第12章 各々の余暇

9月中旬。

大学の夏季休業期間(所謂、夏休み)も佳境に入り、合同ゼミを終えた的場は、有難く暇を持て余し、冷房をガンガンに聞かせた居室でアニメや映画を楽しむ。

属に言う「サブスク」というやつである。パソコンにスマホ、どこでも作品を楽しめるのは有難い。元々は、レンタルや録画で休日に一気見して楽しんでいた的場であるが、娘たちの成長に伴い、テレビのチャンネル権どころか、立場まで失ってしまった。

的場家は圧倒的女社会かつかかあ天下であり、家に居るのも大学に居るのも大して変わらないわけである。

大学は夏季休業中とはいえ、学部4年や大学院生は研究などがあるため、学生に何かあればすぐに動けるという点で、大学に居た方が何かと都合が良いというのも理由に含まれている。


コンコンコン

ガチャ!


ノックの音の直後にドアが開く。

その速さは、的場の「どうぞ」を言う隙を与えなかった。

「的場ちゃ…寒っぶ!!なんだこれ!!」

的場居室に、陽気な声が響く。序盤からここまで五月蝿くできるのはもはや才能と呼ばれるものではないのか。

田嶋によって開け放たれたドアから入り込む外からの熱気に自身の部屋がどれだけ贅沢な空間であったのかを的場は思い知ることになった。

「田嶋先生、どうされました?」

「いやぁ、特に用はないんだけど…飯でも行かね?」

気付けば時刻は13:00を指していた。今日、研究室に来ていた的場研究室の学生は、

合同ゼミのお疲れさま会で午後から遊びに出かけていた。

聞いた話によると、ひたすらカラオケで歌うらしい。

的場も誘われたわけであるが、丁重にお断りした。カラオケが大好きな的場であったが、学生たちの楽しい雰囲気に水を差したくないという思いからである。

「今日は、学生はいませんし、いいですよ。」

「よーし☆行こう!!で、何食べる?」

「私が決めるんですか。」

「俺は、誰かと飯が食いたかっただけ☆的場ちゃん、決めて♡」

「・・・とんかつはお好きですか?」


13:30。的場は、自家用車に田嶋を乗せ、昔から通っているとんかつ屋へ行く。

『とんかつ処 カツ♪カツ♪』

変わった店名であるが、味は確かなとんかつ屋である。

「・・・的場ちゃんって本当に色んな店知っているよね。」

的場は、田嶋が教育学部に異動してきてから、何度か共に食事に行っている。

他にも、学部で行われた田嶋の歓迎会でも、的場が幹事を務めていたこともあり、

その時は『メキシコ忍者』とかいう、メキシコ料理店でセッティングを行った。

その店は、的場の長女が教えてくれたわけであるが、今回の店は、的場が大学院生の時に見つけたとっておきである。

「ほへー、雰囲気あるねー☆俺、こういう店大好き♡」

「美味しいのにあまり知られてないんですよ、ここ」

「・・・そりゃ、レインボーカラーのゴシック体で『カツ♪カツ♪』って、何屋か分かんないよー」

「『とんかつ処』ってちゃんと書いてありますよ。」

「ちっちゃいのよ、字。一番大事な情報でしょ(-_-;)」

田嶋の言う通り、この店の看板は「とんかつ処」という文字だけ異常に小さい。

それは、的場が店主から聞いた話であるが、看板の注文を間違え「とんかつ処」の部分が抜けてしまっていたのだ。

結局店主が、手書きで書き加えた形であるので、ツッコミどころ満載の看板になってしまったわけである。


「博司、久しいのう。」

ドスの効いた渋い声が的場と田嶋の至近距離で発せられた。

「おっちゃん、御無沙汰してます。」

この店の店主である。大学院生の頃から通っている的場とは、顔なじみの関係である。

「今日は、友達も一緒かい」

「一緒の大学で教員してる、田嶋先生です。」

「どうも、よろしく☆」

「博司のお友達は、愉快なのが多いのう、日替わりでええか?」

「それしかないでしょ、2つください。」

「へへ、すぐ持ってくる」


しばらくして、店主が2つの定食を運んできた。

「的場ちゃん、多くないか?」

「店主のサービス精神ですよ、田嶋先生、大食いでしょ?」

「的場ちゃんが、この店に俺を連れてきた理由が分かったぜ☆」

そう言って分厚いとんかつとマンガ盛りのご飯を掻き込みはじめた。

いつもよりも盛りの良い定食を見て、的場は店主がいつもより、気合いを入れて作ったことを悟るのであった。


「そういえばよ、的場ちゃん。合同ゼミ、なかなか良かったねー」

「ええ、例年よりも出来が良かったと思いますよ」

「最近、的場ちゃんとこの古間君だっけ?よく、うちの研究室に来るんだよね」

「へー、古間が」

「学生同士の交流が増えることは良いことだからねー☆」

古間の社交性なら十分にあり得ることであろう。何より、研究室の垣根を越えて学生同士の交流が増えることは実に喜ばしいことである。

研究室が違うことがきっかけで、関係が希薄になるということはよくある。

しかし、的場は何となく違和感が拭えなかった。

単なる交流や意見交換だけではないような気がしたのだ。

その違和感の正体を探っていく最中、かつて、田嶋研究室の所属していた白神という学生のことが的場の脳裏に浮かんだ。

「田嶋先生、単純な疑問なんですけど、農学部から異動するとき、元々研究室にいた学生はどうなったんですか?」

「んー、あー、別の研究室に移籍っていう形で移ってもらったんだよ。」

「全員、スムーズに受け入れ先が決まったんですか?」

「そりゃそうよ。教育学部ではどうか知らないけど、大学教員の異動は割とあるからね。あー、的場ちゃん、室橋さんの件はちょっと特殊だからね。一緒に考えちゃダメよ!」

田嶋は、室橋の文学作品を巡っての騒動を挙げて冗談交じりに説明する。

的場もやたらと矢面に立たされがちな方であるが田嶋も負けていないのかもしれないと感じざる得ない。

「あー、でも白神っていう学生にはちょっと悪いことしたなー」

突然出てきた聞き覚えのある名前に的場の集中力は突然田嶋の言葉に引っ張られた。

「白神君っていう、俺のことをスゲー慕ってくれてた子がいるのよ。教育学部に再入学します!なんて言ってくれたけど、現実的じゃないじゃん?だから、何とかそれは抑えてもらって、藤田っている教員の研究室に移ってもらったんだよ。」

「今は、元気にしてるんですかね?」

「さぁね。連絡も取ってないしね。」


食事を終え、お会計に向かう、的場はすっかり食べ過ぎてパンパンになったお腹をさすりながら財布を取り出す。

「的場ちゃん、奢るよ。」

支払いをしようとする的場を制しながら、田嶋がお会計を済ませ、車に乗り込む。

「あー♡食べた食べた♡、にしても安いねーここ。気に入った☆」

「お気に召して、何よりです。」

この満腹感は、映画どころではない。今日は早めに帰宅して寝ることにした。

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