第11章 狙いと潜入
9:55。大学4年に、もはや夏休みという概念はないのかもしれない。昨日、作成した資料を手に、的場の居室に向かう。10:00に研究に関する面談を行うためである。
古間の研究は、専ら授業設計に関するものである。教科教育は学習者に「もっとやりたい」と思わせることが出来たら勝ちであるという考えから、興味と主体的な学びを促進させるための授業づくりについての研究を行っている。
研究を進めるにあたり、現場での実践が必須であり、実践校と単元については既に決定している。後は、実践に向け準備を進めるだけであるのだが、進捗は芳しくない。
指導計画の作成に極めて苦戦しているのである。
しかし、今回は自信がある。的場を納得させることが出来ると古間は息巻いていた。
コンコンコン
古間は的場居室のドアをノックする。
「どうぞ」
ドア越しに的場の声が聞こえる。
「失礼します。」
ドアを開き、的場の居室に足を踏み入れる。雑誌等の廃棄物の山はまだそこまで大きくなっていない。しかし、それを差し引いても全体的にごちゃごちゃしている上、的場は言語化しにくい何とも不思議なセンスを持っているようで、どこから手に入れたか分からないアイテムやグッズが資料や本に交じり所々に混ざったように置かれている。
「どうぞ、座って。」
的場に着席を促され、古間は椅子に座る。的場居室は、的場が作業を行うためのメインデスクの他、面談用にもう一つ机を配置している。机の上には大きめのモニターが置かれており、PCに接続することで電子資料などを映すことが出来る。
古間は紙の資料に加え、スライド資料を準備していたのでモニターにPCを繋ぎ資料を映す。
「こちらが資料です。」
古間は、的場に印刷してきた資料を渡す。
「それでは、始めます。」
古間は、指導計画をはじめ、どのようなデータを取りたいか、そのためにどのような方法を取るのかを的場に説明する。
古間の説明が一通り終わる。的場は資料を見返し、少し考える。
「悪くないね。」
的場がつぶやく、少し安堵する古間に的場が言葉を続ける。
「でも、面白くない」
古間に再び緊張が走る。その言葉の意味を必死に探る。
的場の言葉の意味を理解することのできない状況に古間は言いようのない怒りを覚えた。悔しさに近いのかもしれない。的場もどちらかというと感覚派の人間である。的場はその研ぎ澄まされたセンスと感覚で構想を練り、その上で論文や書籍を漁ることでその構想を正当で強固なものに固めていく。着想を得るために文献を漁る古間とは対極的なスタイルなのである。古間にとっては、的場も一種の『天才』なのである。
しかし、古間にとって的場の恐ろしさはそこではない。
的場は古間にとって天才であることは間違いなく、的場の言葉は古間にとって極めて鋭利で切れ味抜群である。的場はそのことを分かっているのだろうか。言葉を慎重に選ぶのである。痛みは感じるが出血はしない、傷にならない、そのギリギリを攻めるのである。それは学校現場によって鍛えられた的場の技術であり、ほぼ無意識で為せるほど定着しきった産物である。
「・・・と言うと?」
古間は言葉を絞り出す。
「んー。何というか、何のためにこれをするのかがぼやけてるというか…既視感もあるというか。まぁ、感覚的なものだけどね。でも、悪くはないからこれでやってみるか。形になってから見えてくるものもあるだろう。どうかな?」
「・・・そうですね。」
ギリギリ及第点と言ったところだろう。古間は分析する。しかし、前進したことをまずは素直に喜ぶことにする。
「それはそうと、古間君。来週は理科教育学分野の合同ゼミだからね。そっちの準備も忘れないようにね」
合同ゼミ。それは、理科教育学分野の全ての研究室合同で行うゼミである。年に数回行われる。今回は主に4年と院生の研究進捗報告会ということになっている。
「もちろん、分かっています。」
「よし、ならここまでにしようか。何度も言うけど形としてはしっかりしたものが出来てるから。そこは安心して。」
その言葉が決して誉め言葉ではないことを古間はよく知っている。しかし、少し前まではダメ出しばかりされていたわけであるので、とりあえずは肩の荷が下りたというところであろう。古間は、そんなことを考え、自分の中で踏ん切りをつける。
「ありがとうございました。失礼します。」
的場の部屋を後にする。
ゼミ室に戻り、合同ゼミのための資料を作りつつ、昨日メモした農学部の教員にメールを送る。ゼミ用の資料は今回作成した資料を発表用にアレンジすればよいので、そこまで難しくはない。
一通り、メールを送り終え、返信待ちの状態となった。
次に、古間は、自身の机の引き出しから理科教育学分野の名簿を取り出す。
今年度の顔合わせの時に配布されたもので、全員の氏名と所属研究室のみが書かれた簡素な名簿である。
田嶋研究室の学生を確認する。顔が広い古間であるが田嶋研究室には親しい中の者はいない。研究室が違えば同じ学問分野であっても関わることは少ない。
「近づくなら合同ゼミか」
当然と言えば当然であるが、中田とも関わっておらず、研究室内での中田の様子も全く知らない状態であった。中田に会いに田嶋研究室を訪ねることを考えたが、田嶋研究室の学生とそこまで親しくないことに加え、当然、中田との関係性を知る者もいないため、あらぬ疑いや噂が立つのも面倒であったからである。そして、何よりも顔合わせ会の時の中田の様子から、中田としても決してウエルカムではないだろうと感じたからである。
16:00。メールを確認する。何名かの教員から返信が届いている。当然であるがその多くは白神という学生は在籍していないというものであった。中には、古間の意図が上手く伝わらなかったのか、他人のことを嗅ぎまわるべきではないという説教を含んだ返信もあった。
その中に、白神の所在を示すものがあった。
「藤田…?」
どうやら、その藤田という教員が白神は在籍している研究室の指導教員のようである。古間はメールの全文を確認する。
Re.農学部4年白神祐樹のご在籍の有無についてのご確認とお願い
古間さま
ご連絡ありがとうございます。
農学部総合農学科食品科学分野 藤田と申します。
古間さまが白神君の御友人であることは、白神君から聞いておりました。
軽音楽サークルの同期であったようですね。
先ほど、公認サークルの資料と学生情報を確認し古間颯人さまご本人であると
確認できたため、ご返信いたしました。
貴方の探している白神君は確かに私の研究室に在籍している学生でございます。
しかし、本学及び農学部の規定による守秘義務により、これ以上のことをお伝えすることはできません(厳密に言うと在籍の有無をお伝えすることもグレーではありますが)。
ご友人を心配しての行動であることは共感しますし尊敬もいたしますが、
どうか、ご理解くださいますようお願いいたします。
藤田 宏一
白神が在籍していることしか分からなかった。
当然であろう。寧ろ、在籍の有無を教えてくれただけかなり譲歩してくれた方であろう。文面からして人の良さが伝わってくるとともに、的場と似たようなものを感じ、古間は複雑な感情になった。
現時点では白神の件について調査を進めることは不可能だろう。
「次は、中田の件だな」
古間は、来週の合同ゼミと田嶋研究室の学生に接近するための準備を行うことにした。
調査2日目
・白神は藤田宏一の研究室に在籍している。
・これ以上の情報開示は守秘義務で出来ない(農学部は厳しめ?)
1週間後。
理科教育学分野合同ゼミ。それぞれの研究室からの発表者が自身の研究の進捗と今後の方針について発表する。古間もプレゼンと質疑応答を何とか乗り切り、無事、合同ゼミが終了した。解散となったタイミングで田嶋研究室の学生の元へ近づく。
「聞きそびれた質問がある。詳しく聞きたい。」
事前に準備していた謳い文句で田嶋研究室の学生に近づきゼミ室に潜入する。
怪しまれないように、初めは研究に関する質問を行い、徐々に中田について聞き出す算段であったが、想定以上に話しが盛り上がり、今週末に共に出掛ける約束を取り付けた。
調査3日目
・田嶋研究室にて中田と親しい学生はいないようだ。
・中田は研究が全く進んでいない(テーマ決めすらできていない)
・実験も失敗ばかり。
・社交性に乏しかった(田嶋との関係も良好ではなかった)。
・田嶋研究室に出入りしやすくなった。
・今週末のお出かけでより詳しく聞く。
「明日も田嶋研究室を訪ねることにしよう。」
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