第10章 表裏
的場は,授業用のノートパソコンを取り出し,室橋と同じ画面を表示する。
時系列順にサークルの基本情報が書かれた資料を見ていく。
発足2年目の資料にて,サークルメンバーが急激な増加をしていることを的場は確認した。
「2年目に随分人数が増えてるね」
「新入生がたくさん入ってくれたんです。地域や学内で何度か演奏をしていたので興味を持ってくれたみたいで。未経験者もたくさん入ってくれたんですよ。」
「部室はパンパンだっただろうね。」
「ええ、だから、新入メンバー…特に未経験者は近所の貸しスタジオを使って交代で楽器を教えてたんです。」
活動場所を民間施設にしているサークルは多くみられる。水泳部なんかは冬場の練習は市民プールで行っているといった感じだろう。しかし、毎日ではない。平日は室内で筋トレ,休日は市民プールなどといったサイクルをとっており、その理由として費用面の問題が挙げられるだろう。しかし、軽音となるとそうはいかないし、話を聞いている限りほぼ毎日行っているといったところであっただろう。その費用は莫大であることは想像に容易い。
「貸しスタジオを高頻度で借りるということは、結構費用が掛かったんじゃないか?」
「ええ…まぁ…」
室橋の返事がはっきりしなくなる。これは何か裏がありそうだと的場は直感した。
「これは、何か裏があるね。」
的場は含みを持たせて掘り下げにかかる。
「…もう時効ですね。実は…未央ちゃんとネットで音楽活動をしてたんです。」
「サークルの営利目的の活動は禁止のはずだ。」
「分かっています。あくまでサークルの活動とは別です。顔出しをせずにシークレットバンドとして動画投稿してたんです。ファッションも変えて、清楚な服装で活動してたので正体がばれることはありませんでした。その収益を全額ではないですがサークルの資金として入れていたんです。」
今の時代、誰でもインフルエンサーになれる。Vtuberが好きな的場にとっても、もう少し若ければ是非ともチャレンジしたかったことである。おそらく室橋のようなスタイルの活動をしている学生は多いだろう。大学のルールとしては黒寄りのグレーであると思うが、室橋の言う通り、時効というやつだろう。的場は、追求を一旦やめ、目を瞑ることにした。
「この話は一旦やめて話を進めましょう。この白神というのは?」
「白神君は農学部でサークルではパーカッションを担当してました。」
的場は、農業教員としての実務経験も少なからずあることもあり、農業の教員免許を取得するための必修科目を担当することがある。通常は非常勤講師が担当するのだが、見つからなかった年は的場が担当する。理科の教職課程を履修している農学部の学生もいるが、的場と農学部の学生との関わりはその程度であった。
「白神君、田嶋先生をすごく慕ってて、田嶋先生のところで研究するためにこの大学に入学したとか言ってました。今思えば、性格もすごくそっくりでした。颯人なんて『田嶋2号』なんてあだ名を付けてるくらいだったんですよ。」
「古間君は田嶋先生のことを知っていたのか?」
「颯人、結構顔が広いんです。」
古間は、社交性のある学生である。人との繋がりが広いことも頷ける。
的場は、自分のノートパソコンを操作し、学生情報のページにアクセスする。
大学職員しかアクセスできないページだ。間違ってでも学生に見られてはならないため、室橋に見られないように注意を払う。そのためのノートパソコンであるわけである。
白神 夕樹(しろがみ ゆうき)。
北央大学 農学部 総合農学科 4年
所属:食品科学研究室(栄養学専攻) 【前】生物有機化学研究室
指導教員:藤田 宏一(ふじた ひろかず) 【前】田嶋 亨
現状:休学
「休学…」
的場は小声でつぶやく。
「室橋さん、白神君とは連絡とってる?」
「いえ…引退してから全くとってないんです。颯人は連絡してたみたいですが、音信不通みたいで…。」
「音信不通?」
「でも、白神君のことだから研究に夢中なのかなって。理系の研究室は忙しいと聞きますし。」
的場は、白神の件は明日にでも藤田という教員に連絡を取ってみることにした。
「つかぬことを聞くが、室橋さんと古間君は交際をされている。そのことはサークルメンバーは知ってたりするの?」
「いえ…2人の関係はメンバーには秘密にしてました。何というか、友達同士だとしてもそのグループの中にカップルがいたら…こっちが気にしなくてもいいって言っても周りは気を使うじゃないですか。メンバーとの関係は何でも言い合えるフェアな関係であり続けたかったんです。」
「それなら、他のメンバーでそういった関係の話は何かある?」
室橋と古間の関係を2人が秘密にしていたのは、あくまで2人のルールでありサークルのルールではない。他のメンバーではどうだったのかを的場は問いかける。
「特になかったと思います。少なくとも私は知らないですね。」
どうやら、サークルに鍵はなさそうである。時刻は20:00を過ぎようとしている。そろそろ話を切り上げようとしたとき、室橋が口を開く。
「未央ちゃんはなぜ田嶋研究室に入ったのでしょう。」
的場の動きが一瞬止まる。確かに、ここまでの情報を整理すると明らかに違和感のある部分である。
「だって、元々、音楽教育をしようとしていた未央ちゃんが3年次に急に他分野に方向転換するのも変じゃないですか?教員免許だって取れるか怪しいですよ。」
「ちょっと待って中等教育学科は初等教育学科と少しルールが違うんだ…」
初等教育学科は卒業要件の1つに小学校の教員免許の取得がある。しかし、中等教育学科は教員免許を取得することが必須ではないのである。的場はそのことを室橋に説明した。
「ということは、未央ちゃんの進路変更は珍しいことではないのですね。」
「中田さんほどの変更はかなりのレアケースではあるけどね。」
しかし、白神は元々農学部の田嶋研究室の学生であった。そして、田嶋が教育学部に異動した後の新たな受け入れ先は、学生情報に記されている藤田という教員の研究室。そして、教育学部に異動して来た田嶋の研究室に所属したのが中田。しかし、中田は直前まで音楽教育学分野に進む予定であった。かなり奇妙な繋がりである。それどころか、偶然と考える方が無理がある。的場はその3人の関係も掘り下げる必要があると考えた。
どちらにしても、今日の所はここまでが限界だろう。
「室橋さん、この件はここまでにしておこう。私の方でも整理しておく。」
「あと、もう一つの要件は?」
「あー、実は的場先生にお願いがありまして、私、大学院に進むことにしたんです。それで、大学院では的場先生の研究室に入りたくて、近々研究室見学をさせていただきたくて。」
的場は少し驚いた。的場はあくまで中等理科教育が専門であり初等教育については素人同然である。それに児童文学から中等理科指導法なんて室橋も中々の角度の方向転換である。
「私としては大歓迎だけど、どうして?」
「颯人の話を聞いていて興味が湧いたんです。私、小学校の教員免許の取得は確定してるんですけど、理科の授業は自信なくて…ちゃんと向き合ってから現場に立ちたいんです。」
「なるほど…」
もし、本当に室橋が的場研究室に来るのであれば初等理科教育をテーマとするだろう。
的場は、初等理科教育の勉強をしておくことにした。
時計は20:50を過ぎている。的場と室橋は今日の所は切り上げることにした。的場は自家用車で室橋を送った後、再度居室に戻り帰り支度を始める。
帰り際にいつもの流れでゼミ室に立ち寄る。ゼミ室のドアの隙間に明かりが漏れている。
的場はドアノブに手をかける、施錠もされていないようであった。ドアを開き顔を覗かせる。
古間がいた。的場はその光景を珍しく思うと共に、明日は古間と研究に関する相談を受けることになっていることを思い出した。資料作りでもしているのだろうか。
「古間君、まだ残っていたのか。」
「集中してました。すぐに帰ります。」
古間は、手早く帰り支度を始める。的場はその様子を見た後、大学を後にし、自家用車に乗り込み帰路についた。
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