第3章 接近

田嶋 亨(たじま とおる)。北央大学 教育学部 中等教育学科 教授。

専門は生物有機化学。元製薬会社の研究開発職。子どもたちの理科離れを嘆き、2年前に同大学 農学部から教育学部へ異例の異動を果たした。生物学・化学を窓口に理科授業内での実験方法の開発や教材開発をはじめとした体験的な学習活動を実現させるための方法についての提案を行っている。


底抜けに明るく、陽気な性格で難解な問題も満面の笑みで取り組む典型的な天才肌。

元々、農学部に所属していたこともあり、現在は、教育学部の専門科目に加え、農学部の科目も担当し、大学屈指の多忙を誇る。

田嶋が率いる【科学実験・教材学研究室(田嶋研究室)】は、大学院生が3名、学部4年生が4名、学部3年生が5名と大所帯である。


「的場先生、急にごめんねー☆ 今大丈夫―?」

妻との落ち着いた時間の代わりに年齢不相応の五月蝿いおっさんの声が電話口から

的場の聴覚を支配する。決して嫌いなのではない。

しかし、つくづくタイミングが悪すぎる。

「手短にお願いしますよ」

なるべく早く切り上げたい。既に耳元が汗ばんでいる。

「俺の研究室の中田 未央(なかた みお)いるじゃん?最近、見なくてさ。何か知らな

い?」

「なんで、私なんですか…。知りませんよ。」

「仲良かったんでしょー?今も君の授業を取ってるみたいだし。」

たしかに、彼女は的場の担当講義『中等理科指導設計Ⅰ』を履修している学部3年生だ。

しかし、中々な人数が履修している上に、課題提出を出席としているため、その場で全ての学生を確認できているわけではない。

「たしかに、授業は取っていますし、以前は質問にもよく来てくれていましたが…」

「今週の授業は出席してた?」

「まだ、確認できてません。課題提出を出席としているので。」

「先週は?」

「学会でしたので休講にしました。」

不穏な沈黙が流れる。しかし、授業の少ない学生が気まぐれに長めの休みを作ることはよくあるだろう。

「いつから来てないのですか?」

「んー…2週間くらいかな」

「先々週の私の授業には出席していたと思いますのでそのくらいが境ですかね」

「なーんか…嫌ぁな予感がするんだよねー。一人暮らしだし」

「近々、中田さんの友人をあたってみましょう。様子を把握した方が良いでしょう      し。」

一人暮らしであれば、少々心配だ。何か異変が起こった時に気付き、手を差し伸べる人がいないのだから。

「的場ちゃん…ひま?」

「暇ではないです。手伝いはしますけどね。」

「あー♡ 頼るべくは的場ちゃんだわー☆」

「……教育者ですから。」


(通話終了)


時刻は23:00を過ぎている。妻はもう寝てるだろうし、洗濯機も今夜の仕事は既に終えているだろう。

「…レポート採点終わらせるか」

なんだか目が冴えてしまった。


翌日の午後、自宅で昏睡状態に陥った中田 未央が発見され、緊急入院となったとの知らせが入った。

栄養失調と脱水症状を起こしていたようであったが、一命は取り留めたようであった。


先日の臨時の教授会で学生の様子見を行うとことになった矢先であったため、

指導教員の田嶋が軽い身辺調査を行うことになり、田嶋に泣きつかれた的場もその手伝いをすることになった。

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