第5話

1

 病名:bom-2。接吻で他人に感染するHIV。口内から脳へ細菌が侵食していく。3年間、他人へ移すことができなければ、脳に溜まった菌がガスへと変わり、膨張して爆発する。未だに解明されていない謎も多いこの病気は現在日本で5名の感染が確認されており、爆発した件数は過去に2度報告されている。どちらも多大な被害を受けた。私はこの病気のデータを集めるために、第一志望の大学に入学して、研究を始めた。勉強も恋愛も、全てが順調に進んでいた。あの出会いがなければ。いいえ、あの人が悪いわけではない。情に負けた自分が悪いのだ。世界で一番大切な人と研究のデータをも捨ててまで、私は情に負けたのだ。最近はあまり眠れていない。泣いてばかりだ。


「起きろよ。着いたぞ」


「え?」


 灯真だった。どうやら私は助手席で眠っていたらしい。洗剤の匂いがするブランケットがかけられていた。


「どうして?」


「遊園地行きたいって言ってただろ。降りるぞ」


「...うん!」


忘れよう、現実なんて。何もかも忘れて今を楽しもう。売店でカチューシャを買い、チョコレート味のチュロスを頬張る。甘いや。


 枯れ葉も数を減らす晩秋の頃。寒さも本格的になり、冷え性の灯真の手はいつも冷たい。だから毎年、彼のポケットに私も手を入れる。この距離感が好きだった。ザラザラとした手と甘苦い香水の香り。


 最初にジェットコースターに乗った。寒さを忘れるようなスピードに声を出してはしゃいだ。灯真は高いところが苦手なようだ。ずっと目を瞑って叫んでいる。次は幽霊の館に入った。ゆっくりと進む乗り物と突然襲い掛かる亡霊の数々。幽霊は苦手ではないのか、悲鳴をあげる私の横で腕を組んでいる。すごいな。いや、ちがう。よく見ると膝が震えている。怖いのを我慢して耐えているのだ。館を出て青ざめた灯真の顔を見ると、笑いが止まらなかった。


「あー、面白い」


「笑すぎだろ」


「面白いんだもん」


「飯行くか」


 灯真は気を取り直すようにそっぽむいて、腕時計を見た。


「そうね、お腹すいたわ」


 どうやら予約までしてくれているらしい。手を引かれてお店まで歩いた。芝生の先に見えた白い民族系のグランピングテントを朱色のライトが照らす。中に入るとスーツで決めたウェイターに案内され、丸いクッションソファーに座ると最初のドリンクの注文をした。


「こちらローストラムです」


 一息ついたごろ、最初のメニューが届いた。こんがり焼かれた表面と桜色の引き締まった赤身。玉ねぎで作られたソースの香りが食欲をそそる。手を合わせて一切れ目を口にした。...言葉を失う。そのぐらい美味しい。今まで食べてきたお肉と明らかに柔らかさが違う。それにラム特有の臭みもなく、醤油ベースのオニオンソースから出る甘味が肉の旨味を後押しする。頬がこぼれ落ちそうだ。


「おいしい!」


「ほんと、うまいな」


 皿の上で箸が駆け巡る。そのぐらい美味しい。


「口元にソースついてるぞ」


「え、ほんと?」


「逆だ、そう、もうちょい左...」


 長い付き合いだからか、この人の前では気が抜けてしまう。いつもお世話になってばかりだ。器が広くて頼もしい。ほんと、好きなんだな。


2

 目が覚めた。窓の中に結露が溜まり、滴るように雫が落ちる。顔を洗い、髪を巻いた。私達はもう一緒にはいられないのだ。ハンカチを持って外へ出た。ケジメをつける大切な日なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る