絵に描いたような熊のぬいぐるみの話

尾八原ジュージ

絵に描いたような熊のぬいぐるみの話

 どういうきっかけか忘れてしまったが、熊のぬいぐるみを一体もらった。もうずいぶん昔、私が子供の頃のことである。

 カフェオレみたいな色で、ふさふさしていて、首元に赤いリボンをつけている。あまり大きくはないが、かといって小さくもない。強いて言えば、子供が片腕に抱くのにちょうどいいサイズだった。手足にジョイントがついたしっかりしたタイプではなく、二本足で立った姿勢のまま、あくまで柔らかい。

「絵に描いたような典型的ぬいぐるみだな」

 と、子供心に思ったことを覚えている。

 特別なものではなかったと思う。たとえば両親か親戚の誰かが、どこかの量販店で買ってきたというようなものだったはずだ。もしかしたら何か曰くがあったのかもしれないが、覚えていない。


 その熊のぬいぐるみを、ふと「抱いて寝てみるか」と思った。

 普段そのような習慣はなかった。でもそれがあまりに「絵に描いたようなぬいぐるみ」だったものだから、絵に描いたような使用法を試してみたくなったのだ。

 当時、夜は子供部屋のベッドで一人で寝ていた。布団に入り、実際に熊のぬいぐるみを抱っこしてみる。具体的な感想は記憶にないが、おそらく悪くないなと思ったはずだ。よくないなと思ったら「抱っこして寝る」を中止していただろうし、いい年の大人になるまで、あのぬいぐるみを覚えていることもなかっただろう。


 夜中、目が覚めた。

 具体的に何時だったかは分からない。目を閉じていたから、時計を見ていないのだ。でも部屋の中が明るくないことはわかったし、家の中は静かで皆寝ているのだと見当がついた。だから、少なくとも夜明け前だったはずだ。

 体が動かなかった。金縛りである。

 金縛りの多くは生理現象である――少なくとも、当時の私はそういう情報を持っていた。金縛りに遭っているときに目撃されるという奇妙なものも、大抵は幻覚だという。

 でも、何かしら見えたら怖い。それが幻覚であっても、怖いものは怖い。瞼を固く閉じたまま、「うっかり何か見てしまわないうちに、金縛りを解こう」と決めた。

 金縛りは、体の一部が動けばそこから解けると聞いたことがあった。そこで固く瞼を閉じたまま、手を握ってみようとした。幸い何度か力を入れただけで、手指は動いた。そこから体が元通りになっていく。体中を支配していた緊張が一気にほどけていくようで、なかなか気持ちがいいなと思いながら、再び眠りについた。

 そのとき熊のぬいぐるみがどこにあったのか――ちゃんと私の腕の中にあったのか、それともどこかに投げ出されていたのかは、覚えていない。


 金縛りに遭ったのは、記憶にある限りこれが初めてだった。

 なぜそんなことが起こったのか? おそらく「ぬいぐるみを抱っこして寝る」などという慣れないことをしたのが原因だろう――私はそう考えた。

 熊のぬいぐるみはしばらく放置された。しかしある日突然、「もう一度抱っこして寝てみるかぁ」という気になった。きっかけは覚えていない。そもそもきっかけなんか、何もなかったのかもしれない。


 その夜、再び熊のぬいぐるみを抱いて眠った。

 例によって夜中に目が覚めた。やはり体が動かない。

 また金縛りか――などと考えつつ固まっている私の耳に、小さな音が届いた。

 ぺら、ぺら、とでもいうような、微かで単調な音だった。

 本のページをめくる音に酷似していた。

 怖い、と思った。

 家族が寝静まった後、何者かが子供部屋にやってきて、本棚から本を取り出し、薄暗い常夜灯の下、無言でページをめくっている。その光景を想像すると不気味で、怖ろしかった。ページをめくる何者かに、自分の存在を意識させてはいけないと思った。

 何もできず固まっているうちに、いつの間にかまた寝入ってしまった。このときも熊のぬいぐるみはどこにあったのか、まるで記憶にない。

 朝になって目を覚ますと、何もかもが元通りだった。少なくとも床の上に本が落ちているとか、部屋のドアが開け放たれているとか、第三者の侵入を匂わせるようなものは何もなかった。

 この夜以降、私が熊のぬいぐるみを抱いて寝ることはなかった。

 これまで遭ったことのない金縛りに、ただぬいぐるみを抱いて寝たというだけで、二回も遭うことがあるだろうか。もしも三回目に挑戦したら、今度はどうなるのか。

 何か怖いものを見てしまったり、聞いてしまったりするのではないか。

 そう考えると、もう一度抱っこして眠ろうとはもう、到底思えないのだった。


 熊のぬいぐるみは、その後何年も放っておかれた。

 やがて私は進学のため実家を出た。子供部屋は家族共用のスペースに変わり、その際、不要品がたくさん捨てられた。熊のぬいぐるみも処分された。

 私は遠方にいたため、実際に作業をしてくれたのは母である。母によれば、ぬいぐるみなどの生き物の形をしたものは、事前に鋏で切るなど「ちゃんと殺してから」捨てたという。

 その後、ぬいぐるみや金縛り絡みで、特におかしなことは起こっていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絵に描いたような熊のぬいぐるみの話 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ