練習問題9 方向性や癖をつけて語る:問3-②
一頭の揚羽蝶が飛んでいた。草が伸び放題の裏庭を、ふらふらとした軌道で横切っていく。
手入れするものない庭は、雑草と呼ばれる繁殖力旺盛な、しかし見ごたえの点で劣る草花に占拠されている。か弱き園芸品種の花たちは駆逐されて久しかった。コンクリートブロックで囲われたこの庭からは。レンガ積みの花壇からすら。しかし蝶の目に映る世界は変わらぬ極彩色の光と香りの徴で満たされていたので、相も変わらずこの一角を縄張りとして生き死にのサイクルが繰り返されていた。産まれて、生きて、繁殖して、死ぬ。
そうして揚羽蝶達が当たり前に数世代を生き切る程の時間が、しかし、家屋の中では異なる流れ方をしているようだった。
裏庭の片隅にある勝手口の向こう側、台所の流しにはプラスチックのざるが干されている。あちこちが破れ、しかし目が抜けていることにすら気付いていないかのような佇まいで、午後の光に照らされてひっそりと水きり籠の中で息づいている。流しは乾いていたが、水垢の跡が落としきれずにいた。ダイニングテーブルの上は果物籠やジャムの瓶、あるいは種々雑多なインスタント食品で埋め尽くされ、その隙間にねじ込まれるように真新しい茶葉の缶があった。洒落た寄木模様のフローリングはワックスがけをする者もなく、すり減っていた。
ガラス戸の向こうのリビングは綺麗に吹き清められていたが、常ならぬ行為のしわ寄せは隣室である書斎に及び、アイロンがけをしていないワイシャツの山が放り込まれている。
二階の寝室。家主はいくつかの写真立て――家主の男と、今はいない女が写っている――を、リビングから寝室のベッドサイドに移していた。クローゼットに欠けているのは家主の外出着一式のみだ。サックスブルーのセーター、ボタンダウンのシャツ、スラックス。洗面台では、蓋をされ忘れたワックスがかすかに乾きつつあった。
今は空のガレージから、自家用車がその場を後にしたのはつい十五分前のことである。揚羽蝶にはあずかり知らぬ事だったが、人類の尺度で言うところの時刻というものが、午後三時を回りつつあった。
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