線香花火の延命

熒惑星

線香花火の延命

「花火、やらない?」

 そう彼に声を掛けたのは、瓶に閉じ込められた何時かの線香花火があまりにも憐れだったからかもしれない。


 彼が帰省していると聞いたのは母からだった。母もどうやら彼の母にばったり会ったときに聞いたらしい。あんた小さいときによく遊んでもらってたんだよ、覚えてる? と母が言う。彼の名前を久しぶりに聞いたからかすっかり昔を懐かしむフェーズに入っているらしい。情報をくれたのはありがたいけど、懐古を押し付けてこないでほしい。しかも小さいときって言ってるけど、最後に会ったの小学六年生の時だし。

 逃げるように、コンビニにアイス買いに行ってくる、と言って家を出た。逃げたかったのも、アイスが欲しかったのも本当だった。けれど、そのコンビニは彼の実家の近くにあった。

 コンビニに入ると、使い古された冷房の匂いがした。涼しい空気が頬を撫でる。茹だるような空気を纏っていた体がリセットされたような気がした。暫くここに居ようかな、とアイスのコーナーに向かわずに寄り道しようとすると、そこには花火が売っていた。様々な謳い文句が大きく書かれた花火セットがいくつかある。やるつもりもないのに、じっと花火を見ていると、後に人の気配を感じた。

「あれ、菊花だ」

 振り返る前にかけられた声は低く、少し掠れているけれど柔らかだった。耳に馴染んだその声は、彼のものだった。振り返った私に彼は久しぶり、と言って微笑んだ。思惑通りだったけど、予想外だった。まさか本当に会えるなんて思ってなかった。

「ひさしぶり」

 思ったよりもそっけなくなってしまった自分の声に、心臓が少し痛くなった。

「もうすっかりおおきくなっちゃったなあ」

 しみじみと彼が呟いた。そこに感慨深さが混ざっているのか、落胆が混ざっているのか分からなかった。ただ、「なっちゃった」なんて、貴方がいなくなったのに、とそれだけ思った。

「そっちは老けちゃったね」

 なんて言うと、彼は私の頭を小突いて、生意気、と言った。私は小突かれたところを触る。やっぱり心臓が痛くて仕方がなかった。

「花火買いに来たの?」

 そんな私を気にもせずに彼は聞いた。私はほとんど無意識に口を開いた。

「花火、やらない?」

 彼は目を見開いた後、いいよ、と言った。最近やってなかったしね、と付け加える彼にやってたら一緒にやってくれないんだ、と思う。それでも口角は少し上がってしまっていて、ひねくれてるなと思った。思春期だから、と誰にするでもない言い訳を心の中で零した。

「じゃあ買ってくるね」

 すっと私の目の前から一つ花火セットを取って彼はレジに向かって行ってしまった。そういうところが嫌いだった。でも、そういうところが好きだった。

「え」

 一拍おいて零れた私の声はもうすでに列に並んでいる彼には届かなかった。私はそこから彼が花火を買って来るまで動けなかった。アイスを買い忘れたことに気づいたのはコンビニを出てからだった。

 コンビニからの帰り道。私と彼は終始無言だった。彼との話し方を、もう思い出せない。

 彼の家の前に着いて、二人の足が止まった。微妙な空気の中、彼が言葉を放った。

「じゃあ、始める時間になったらうち来てよ」

 そう言って彼は家に入っていった。あっけない終わり方に引き留めることも出来ないまま、私は二つ先にある自分の家に向かった。


 インターホンを押すと、しばらくしてねむそうな彼が出てきた。

「寝てた?」

 そう聞くと彼は眼をこすりながら答えた。

「最近レポートで忙しくて、徹夜ばっかりだったから」

 レポートなんて知らない日本語、使わないでよ。そんな子供っぽい我儘を飲み込んで「ふーん、大変そう」と興味なさげな様子を取り繕った。手に持ったバケツを揺らす。中に入っていたろうそくとマッチがバケツの壁に当たって音を立てた。

 数分ほど歩いて公園に着いたら、私は持っていたバケツを彼に差し出した。

「水、くんできて」

 え、と言っている彼に、

「私、か弱い少女だから」

 と付け足した。その言葉に彼は胡乱げな視線を私に向ける。

「僕、菊花が運動部入ってるの知ってるからね」

「えっ」

 誰に聞いたの、と驚きのまま言葉にすると、菊花のお母さん、と返ってきた。帰ったら母に一言物申さなくちゃいけないかもしれない。

 そんな様子の私に彼はふふ、と笑う。まあ僕のほうが年上だからね、と言って彼はバケツを持って水道のほうに行った。

 んふふ、今更彼につられたように笑う。薄ら寒い笑い方しかしてなかった彼が、昔みたいに笑った。私の冗談で。私はにやにやしながら花火を開封した。

 袋を開けて、花火が張り付けられた厚紙を引っ張り出す。セロテープを慎重にはがしてから、種類ごとに小さい袋に入っている花火を取り出した。取り出した花火は袋の上に置いて、何の花火かわかるようにしておく。

 よし、と立ち上がると向こうから彼が来ているのが見えた。彼がおぼつかない足取りで水の入ったバケツを持ってくる。よいしょ、なんておじさん臭いセリフを吐くから、まだそんな年じゃないでしょとツッコんでしまった。彼は私の言葉にちょっと大人ぶった顔をして言う。

「いや、高校生を過ぎれば衰えてくばっかだよ」

「まだ大学生じゃん」

「もう、大学生四年生だよ。まあ菊花もあと数年したらわかるかもね」

 また大人ぶった顔をして言った。彼が少し目じりを下げて笑うから、瞳の中の光が見えなくなる。ふと、何回も地面に落として摺りガラスみたいになってしまったビー玉を思い出した。

 彼は地面に置いたバケツから離れて、私の手元を横から覗く。綺麗に開けられた袋の上に乗せられた手持ち花火を見て彼は言った。

「二人でやるには多かったかな?」

「そうでもないんじゃない」

「でも、消費するの大変だよ?」

 ああ、消費しちゃうんだ。ふっと湧いて出たその思考にがっかりしたような色が混ざっていたことに驚いた。だからまともに返事もできなくて、適当に声を出しただけの私に、彼は気にしていないようにまあいっかと言った。

 彼に持ってきたろうそくを渡す。マッチで火をつけると、彼はろうそくを斜めにして地面にろうを垂らした。その上にろうそくを立てると、それは真っ直ぐ立った。

「すごい。どこで知ったの、そんなこと」

 思わず感心したような声が出た。そんな私に彼は得意げに言った。

「去年、大学の友達と花火やった時に教えてもらったんだよね」

 ふうん、という相槌がワントーン下がった。そんな私に彼は少し不思議そうにしながら、それじゃあやろっか、と言った。

 彼は沢山の手持ち花火の中からすすき花火を一つ手に取る。私はそれを見て思い出したように線香花火を手に取った。彼と同じすすき花火を取らなかったのは、線香花火が好きだったからという理由だけではなかった。

 

 数年前、彼に誘われて花火をやった時、彼に言われた言葉が忘れられなかった。

 当時の私も普通の花火があんまり好きではなかった。大人ぶっているというのもあったのかもしれないけど、それ以上に線香花火が好きだった。最初にゆっくりと熱をためていって、それを短い時間でより鮮烈に弾けさせるのが好きだった。美しい光り方も好きだったけれど、それ以上にその在り方が好きだった。

 だから一度友達に誘われた時も線香花火しかやらなかった。普通の花火は勢いが強すぎて怖かったし、煙の臭いが好きじゃなかったから。けれど、そんな私を見てみんな口々にノリが悪いだとか、大人ぶってるだとか、そう言った。ノリってやつだったのかもしれないけれど、確実にその場に私の居場所はなくなったし、私は家族以外とはもう花火をやらないと誓った。

 そんなことがあって彼の誘いも一回断ったけれど、もう一度誘ってくれたことが嬉しくて、彼は家族みたいなものだと誤魔化して誘いに乗った。迷って、やっぱり自分を変えたくなくて最初に線香花火を手に取った私に彼は「その年で線香花火の良さがわかるなんて大人なんだね」と言った。人と違うものばかりを選び取ってしまう私を無条件に肯定してくれた、言葉だった。

 彼はそのあと「手持ち花火でそこら辺の雑草燃やせたりしないかな」とビー玉みたいにキラキラした瞳で笑った。大人っぽい彼の子供っぽいところ一面を見た瞬間だった。きっと気を使ってくれたその言葉は、けれど彼の本心で、私は新しく見つけた彼を大事に心の中にしまった。

 

 そんな彼は線香花火を手に取った私を見て、摺りガラスみたいな瞳で言った。

「菊花はすすき花火とかやらないの?」

 ああ、ああ。もう。

 きらりと輝くビー玉が好きだった。どこか儚いのに、夏を全身で押下しながら輝くビー玉が眩しくて、好きだった。それは少しだけ線香花火に似ていた。

 黒々しい瞳は一体どこを見ているのだろうか。私は無意識に彼を知らない人を見るような目で見てしまった。

「……う、ん。そうだね。やろうかな」

 喉が詰まって、うまく声が出せなかった。どうにかこじ開けて発した声は不格好だった。

 ああ、きっともう彼はいなくなってしまった。私が知らない間に、光を失くしてしまった。

 すすき花火に火をつける。勢いよく光が噴き出して、煙が上がった。隣を見ると彼のすすき花火が色を変えていた。もう、雑草を燃やすとか、そんなことはしていなかった。

 煙がすごくて、じんわりと涙が滲んだ。


 

 あの日からずっと心の片隅に線香花火を閉じ込めた瓶があった。何時までも彼岸花のような光を放って、私の心を焦がし続けていた。けれど。

 線香花火を閉じ込めていた瓶が割れた音がした。

 急速に時が進んでいって、線香花火は中心の火の玉を黄色に変えていく。先のほうで枝分かれしていた光はだんだん真っ直ぐな一本の線になって、流れ星の軌跡のように風に流される。ちかちかと最後まで命の全てを燃やし尽くしたとき、真ん中の火の玉が輝きを失った。

 線香花火は静かに光を失った。それは線香花火の光に不釣り合いな、虚しい終わり方だった。

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