第四章・過去

 新しい楽譜を探すために、俺は祖父の遺品が詰まった本棚を漁ることにした。ほこりっぽい匂いが鼻をくすぐる中、俺は慎重に古びた本や紙の束をめくっていった。そんな時、一冊だけ特別に丁寧に扱われていた連弾曲の楽譜が目に留まった。表紙には「友との記憶」と祖父の筆跡で書かれていた。なぜか心惹かれ、その楽譜を手に取り、音楽室に持ち込んだ。


 律に見せると、彼の反応は予想外だった。楽譜を見た瞬間、律の目が大きく見開かれ、体が震えだした。彼の半透明の姿が一瞬、より鮮明になったように見えた。


「この楽譜...!」


 俺は息を呑んだ。律はまるで長い眠りから覚めたかのようだった。


「思い出した...僕は...」


 律の口から、少しずつ過去の記憶が語られ始めた。その声は震え、時折途切れながらも、しっかりと過去を紡いでいく。俺は息を殺して聞き入った。


「僕は...15歳の時、親友と一緒に連弾コンクールに出場しようとしていたんだ」


 律の言葉に、俺は息を呑んだ。彼の声には懐かしさと悲しみが混ざっていた。


「でも、コンクール前日に...僕たちは些細なことで喧嘩してしまって」


 律の目が悲しみに曇る。俺は黙って頷き、話の続きを促した。律は深呼吸をして、続けた。


「翌日、会場に向かう途中で事故に遭って...そのまま目が覚めたら、僕はこうして幽霊になっていた」


 律の声が掠れる。俺は喉の奥に何かが詰まったような感覚を覚えた。律の悲しみが、まるで自分のことのように胸に迫ってきた。


「でも、どうして僕がここにいるのか、何も思い出せなくて...」


 その瞬間、律の目に涙が光った。


「翔太の祖父さんが...僕の親友だったんだ。ずっと一緒にピアノを弾いてきた、かけがえのない存在だった」


 俺は言葉を失った。そしてそのタイミングを待っていたかのように、祖父の若かりし頃の写真が楽譜から滑り落ちた。そこには確かに律と肩を組む祖父の姿があった。二人とも晴れやかな笑顔を浮かべ、ピアノの前に座っていた。


「じいちゃんと...律が...」


 俺は楽譜を開き、その内容を見た。複雑な音符の羅列に目を凝らすと、祖父と律の想いが込められているように感じられた。胸が熱くなる。懐かしさと驚きが入り混じって、俺の中で渦を巻いた。祖父の思い出が鮮明によみがえり、目頭が熱くなるのを感じた。

 その瞬間、俺は決意した。祖父と律の夢、そして俺自身の夢。それらを全て繋ぐものがここにあるんだと気づいた。この曲を完成させることが、祖父と律への恩返しであるような気がした。


「律、この曲を完成させよう。俺たちで」


 律の目が輝いた。その瞳には、かつての情熱が蘇っているようだった。


「うん!きっと素晴らしい演奏になるよ、翔太」


 それからの日々は、まさに猛練習の連続だった。学校での掃除を終えるや否や、俺は音楽室に駆け込んだ。指に豆ができ、痛みを感じることもあったし、律との意見の食い違いで言い合いになることもあった。でも、俺たちは決して諦めなかった。


「もう一度!」

「ここはこう弾いた方がいいんじゃないかな」

「くそっ、またミスった...」


 壁にぶつかっては乗り越え、喧嘩しては仲直りを繰り返す日々。辛いときもあったけど、律と一緒に音楽と向き合える喜びが、俺を前に進ませ続けた。

 律も必死だった。幽霊のくせに汗をかいているんじゃないかってくらい、真剣に練習に打ち込んでいた。俺が帰った後も、一人で黙々と練習を続けているらしい。その姿を想像すると、俺も負けてられないと思った。

 家に帰っても、俺は自室でこっそり楽譜とにらめっこしては、直すべき手癖を見直していた。律との約束を果たすため、そして自分自身のために、毎日少しずつでも上達していこうと必死だった。

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