第一章・音楽室の幽霊
夏休み初日、最悪の気分で学校に向かった。校門をくぐると、すでにゴリ沢が待っていた。
「真面目にやれよ。終わったら報告しろ」
「はいはい」
適当に返事をし、渋々清掃道具を手に取った。草むしりを終え、汗だくになりながら廊下を拭いていると、掲示板に貼られたチラシが目に入った。詳細を読むと、ブラスバンド部が地域のホールや公園で練習しているらしい。
(へぇ、だから静かなのか。まぁ、どうでもいいけど)
清掃を続けていると、突如ピアノの音が響き渡った。その旋律に、俺は思わず足を止めた。しかし、すぐに苛立ちが込み上げてきた。
「うるせぇな。誰だよ、勝手に弾いてるのは」
人がせっせと校内清掃をしているのに、勝手に音楽室に忍び込んでピアノ演奏とはいいご身分だ。どう考えても八つ当たりではあるが、そんなことはどうでもよかった。
俺は音楽室に向かって足早に歩き出した。頭の中では、ピアノを弾いている奴をどんな言葉で罵るかを考えていた。
音楽室のドアを乱暴に開けると、想像だにしていなかった光景が広がっていた。
薄暗い室内に、夏の日差しが窓から斜めに差し込み、埃っぽい空気中に光の筋を作っている。その中央、グランドピアノの前に座っているのは、半透明の姿をした少年だった。
俺は目を疑った。まばたきを繰り返し、目をこすってみる。だが、幻覚ではないらしい。少年の姿は薄れることなく、そこにいた。彼は優雅に最後の音符を奏で終えると、ゆっくりとこちらを向いた。陽の光が彼の姿を通り抜け、夢のような光景を作り出している。
少年はにっこりと笑った。俺の心臓が大きく跳ねる。恐怖?驚き?それとも別の何か?判断がつかない。
「な…何だよ、お前…っ」
動揺を隠せず声を荒げた。自分の声が震えているのがわかった。冷や汗が背中を伝う。そんな俺はよそに、少年は立ち上がり、優雅な仕草でお辞儀をした。
「僕は藤堂律。音楽室の天才美少年ピアニスト幽霊さ」
薄く光る半透明の姿は、明らかにこちら側の存在じゃない。でも、それでも――
「自分で自分を天才美少年というなよ!」
それは未知に対する恐怖よりもツッコミ欲が勝った瞬間だった。言葉が口をついて出た瞬間、自分でも驚いた。こんな状況で、なんでこんなこと言ってしまったんだ。
「あは、面白いね君!」
音楽室の幽霊野郎は機嫌が悪くなった様子もなく、にこにこと笑ってる。その予想外の反応に、俺の緊張が少しほぐれた。まぁ、すぐに逆上してとり殺されるってこともなさそうだ。
「ゆ、幽霊だろうが何だろうが、うるせぇんだよ。俺は掃除をしなきゃいけねぇんだ。邪魔すんな」
ビビっていた自分を取り繕おうと、俺は声を荒げる。どもってしまったのは、仕方ない。すると、律はちょっと寂しそうな顔して、柔らかい声で返してきた。
「ごめんね。でも、僕、本当にピアノが好きで――」
その瞬間、俺の心の奥底で何かが動いた。でも、俺はすぐにそれを押し殺した。
「ふん、くだらねぇ」
背中向けながら、吐き捨てるように言い返した。
「二度と邪魔すんじゃねぇぞ」
音楽室を出る時、ちょっとだけ振り返った。律は悲しそうな顔でピアノに向かっていた。俺は胸のモヤモヤを無視して、掃除の続きに戻ることにした。
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