20.ありがとう
三十分ほど歩いたところで、歩道脇に小さな公園を見つけた。小さな滑り台しかないその公園で、二人はベンチに座りリセの作ったおにぎりを食べた。ちゃんと三角で海苔が巻かれていたが、具はなかった。
「弟たちが好きでよく作ってあげるの。塩むすび」
お返しにとココは、リュックからグミを出したがリセは慎重だった。
「こういうのはね、いざという時の食料として取っておくの」
受け取らずに、ココにリュックにしまうように言う。
「わたしも四百円しか持ってないからね。帰りの自分の電車代しかないからね」
当然リセに何とかしてもらおうという気など、最初からない。ココはうなずくと、リセにならってリュックを背負った。
マラソン大会開始は二時、今は一時過ぎだ。さっき食べながらリセのスマホで見た残る道は、あと十一キロ。さすがにあと一時間では着きそうもない。
「完全に遅刻じゃない。あんた、のんびりしてるんだから」
いや、元はといえばかまきりの卵……と思ったが、ココは口には出さなかった。それがあったから、今リセはここにいるのだから。
促されてココは、リセと一緒に誰もいない小さな公園を後にして再び歩き出す。足は痛くない。リセのおにぎりでおなかは満たされた。二人は足取りも軽く、歩き進めていく。あまり歩く人も家も少ない、時折畑があるだけの道路だが、二車線の道路には交通量はそれなりにあり、寂しくはなかった。
「わたしね、今月丸ペンとトーンを買ったの。だからお金あんまりないのよ」
「丸ペン? トーン?」
リセの言うことが分からず、ココは首をひねる。リセはえーっと言って小さな目を大きく見開いた。
「あんたマンガ描いてるくせに、そんなことも知らないのぉ!?」
リセのバカにした口調に、ココはムッとして鼻の頭にしわを寄せる。
「悪かったわね! わたしはリセみたいに上手に描けませんから!」
ココは歯茎をむき出して口を横に開いた顔を、リセの前に突き出した。リセはそれを避けるように顔をのけぞらせる。
「まあわたしの方がうまいけどさ……」
否定もしないのか。まんざらでもなさそうにあごに手を当てて頷いているリセを、ココは歯ぎしりして見る。
「高校生のお姉ちゃんがマンガ描いて、本出してるの。わたしはお姉ちゃんに色々教わってるわけ」
「お姉ちゃん、マンガ家なのぉ!?」
そんなのズルいし、羨ましすぎる! ココは今度は食いつかんばかりに、リセに顔を近づけた。リセはココおでこに手のひらを当て、ぐいと押し戻す。
「ちがーう、勝手に自分たちで本作ってるだけ。でもマンガ家みたいにうまいよ。そのお姉ちゃんに教わってるから、わたしも上手なんだ。お姉ちゃんもフブキのマンガ描いたりしてるんだよ」
自分たちで本を作るという意味がよく分からなかったが、高校生にもなると色々できるようになるのだろう。しかしリセのお姉ちゃんの存在は、妹しかいないココにとって羨ましすぎる話だった。
「あのさ、ありがとっ!」
突然隣で歩いていたリセが、怒鳴り声をあげるからココは飛び上がらんばかりに驚いた。横を見ると、リセは顔を正面に向けている。
「誰?」
誰に向かって、リセは突然お礼を言い始めたのか。もしや見えない霊に対してかと、ココは恐る恐るリセに尋ねた。リセはくちびるをかみしめ、ぎらぎらと目を光らせてここをにらんだ。何を怒っているのだと、ココが顔を一歩引き、頬を引きつらせてリセを見ていると、リセはぎゅっと目をつぶって叫んだ。
「あんたに! ココにありがとうって言ってるの!!」
「わ、たし……?」
何のことか分からない。ココは人差し指を自分の鼻に向けて、口を開けたままリセに問い返した。
ぶううとアクセル音を立てて、黒のスポーツカーが二人の横をスピードを上げて通り過ぎてゆく。
おでこに手を当て顔を半分隠したリセが、うめくように言った。
「この前の、図書館っ!」
お礼を言いながら怒鳴るリセに、ココは合点がいき、ああと声を上げた。
リセはこの前の、六年生がリセのマンガを取りあげてからかった時のことを言っているのだ。二人の六年生に立ち向かっていった、ココのことを。
「描いてるマンガなんて、見られたくないじゃん。それを取り上げるなんて、あの六年生マジ許せなかったから」
「そうだけどさ、みんな何もしてくれなかったのにさ、ココはさ」
ココは、首を強く横に振った。
「気がついたら、あいつらの前にいただけ。わたしもこの前、お母さんに勝手に描いたマンガ見られたの。それがすっごく嫌で、許せなくて、だからああいうの本当に嫌でさ。別にリセのことを守ろうとか、そういうのじゃなくて」
「守ろうとしたんじゃないんかい」
リセは自分の髪に手をやり、ぐしゃぐしゃとかきあげて苦笑いを浮かべた。しかしすぐに思い至ってふと顔をココに向ける。
「え? お母さん、勝手に見たの? ココの描いたやつ? いやまあ、私も勝手に見たけどさ」
リセは以前、ココが描いているところを覗き込んで、やめてと言っても返してくれずに読んだことがあった。
「うん。リセもひどかったけど、うちのお母さんなんてわたしが学校行ってる間に勝手に机の引き出しあけて、マンガ読んでたの。そんでこんなくだらないもの描くんじゃない、勉強しろって怒るんだよ」
話を聞きながらリセの口がどんどんと開いていき、表情が驚愕のものとなっていく。
「何それ酷すぎじゃない? ココのお母さんって、教育ママなの?」
「わかんない。でも妹のモモより、私への方が厳しいと思う。マンガを描くだけじゃなくて読むのも嫌がるし、転校を嫌がるのも、モモには何も言わないのに、わたしにはわがままって怒ったし。今日だって──」
今朝のことを思い浮かべて、ココは顔を歪めた。
自分勝手だと、妹のことを心配しないココをひどいとなじった母。確かに自分勝手かもしれない。だけど今日のことはずっとずっと楽しみにしていたのだ。
だからごめんねとたった一言だけ、いつも我慢させてごめんねと、たったひと言でもいいから言ってくれたらよかったのに。
目尻から涙がこぼれそうになり、ココは慌てて手の甲で目をぬぐう。
リセがいるのに泣きたくなんかない。強くこすって顔を上げると、リセは街道から斜めに向かう細い道に入って行くところだった。
「ちょっと、リセ! 道はこっちだってば!」
今通っている街道はそれなりに車の通りが多いが、リセが行こうとしている道は細くて道の両脇は木が生い茂っている。第一昭和市に行くのに、こんな道は通ったことがない。
「スマホでは、こっちが近いって言ってるのよ」
リセはココの抗議に表情を変えず、右手に持ったスマホの画面をココに見せた。確かにスマホの地図は、今リセが入っていく道を推奨ルートとして示している。
「でもこんな山道……」
知らない道だし、人の気配もなさそうなところで迷子になったらどうするのだ。ココは尻込みするが、リセはさっさと歩き始める。
「ココ、最近のスマホ技術を知らないわけ? てか、時間ないんでしょ!」
ココは大丈夫かなあと不安で仕方ない。しかしずんずん進んでいくリセの背中は、何か頼もしいものがあった。ココはリセを小走りで追いかける。
どこかで牛の鳴く声が聞こえ、牛舎の匂いが鼻をついた。生い茂る木が途切れると、崖を覆うコンクリートののり面が現れ、道は上り坂となってゆく。まさに山道である。本当にいいのかとココがびくびくしていると、一台のバイクが猛スピードで二人を追い抜いて行った。バイクが走るのなら、ちゃんとした道のようだ。
「見て、ココ!」
リセが指さす先に、青地の看板があった。少し薄汚れているが、それには白い字で矢印と確かに昭和と書かれている。まっすぐ行けば着くのだ。
不安は収まらないが、ココはリセと一緒にこの道を突き進むことにした。
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