16.家庭教師
「珊瑚の家、オレんちの隣の隣なんだ」
昇降口で珊瑚の靴があることを確認しながら、大将が言った。もう中休みは終わり、授業は始まっている。それでも大将もココも、教室に戻ろうとは言わなかった。
靴があるなら珊瑚は校舎の中にいる。あけぼの小はこれから生徒がもっと増える予定だから、空き教室はたくさんあった。そのどこかにいるに違いない。二人は一階から回ることにした。
「だから毎日聞こえてくるんだ。珊瑚の家の──声が」
「声?」
話がよく分からない。ココは首をひねって、130センチのココより頭ひとつ分大きい大将を見上げた。
「珊瑚のお姉さん、すんげえ頭いいんだろ? それは嘘じゃないんだ」
「らしいね」
この前、カエデが雑誌で見て騒いでいたのを思い出した。日本で一番頭のいい女子校に通っている、珊瑚のお姉さん。珊瑚にそっくりな顔で、そこの生徒会長をしているというお姉さん。
「それは嘘じゃないってことは、他は嘘なの?」
授業をしている教室を避けて、二人は一階の教室を回る。空き教室にも、図工室にも珊瑚はいなかった。保健室にも、生徒がいる気配がなかった。
「私立を目指して塾行ってるんだから、貧乏じゃないだろうけど」
それは分かる。ココは母に、お金がないから受験はできないと言われてるから。
「近所だから親伝いで聞いたけど、珊瑚んちのお父さん、予備校の講師やってるって言ってた。ニューヨークもハワイも関係ないと思う。社長でもないし」
「そんなに……そんなにすぐ分かることなのに」
なぜ、珊瑚は嘘などついていたのだろう。誰かが家に来れば、すぐに嘘だと分かるというのに。それに前の学校だって、電車に乗ればたった三駅の距離だ。今回のように、前の学校から情報が漏れる可能性だって十分あっただろう。
職員室のある階にはきっといないだろうと二階を飛ばして、ココと大将は階段を登り続ける。あと一段で三階というところで、大将は足を止めた。一段後ろにいるココを振り返った。
「毎晩、珊瑚を激しく叱る声が聞こえてくるんだよ」
「えっ」
[[rb:激しく>・・・]]叱る声?
穏やかでない言葉に、ココはぎょっとする。大将は眉間にシワを寄せて、苦しげな表情で話を続けた。
「オレ、割と本気で柔道やってて、道場が遠いから帰るのが十時過ぎになるんだ。それで珊瑚の家の前の廊下を歩くと、必ず聞こえるんだ」
ここで大将は更に低くして、圧し殺した声で続けた。
「なんでこんな簡単な問題も解けないの!? お姉ちゃんはあんなに優秀なのに、あんたはバカだよ! できないんだから、もっと頑張りなさいよっ!! って……」
「えっ……」
「それと一緒に、ごめんなさい、頑張りますごめんなさいっていう、珊瑚の泣き声が聞こえてきて……」
大将は階段に座り込むと、頭を抱えた。
「家庭教師がそんなこと言ってるの?」
珊瑚は塾のあと、夜中まで家庭教師と勉強していると言っていた。そんなひどい家庭教師がいるなんてと憤って尋ねたココに、大将は抱えた頭を激しく横に振った。
「違う、叱ってるのは珊瑚のお母さん」
大将の言葉に、ココの視界がふいに歪んだ。
ココの母だって口うるさいし、理不尽なことばかり言う。でもバカとか、無理矢理勉強させるとかは──
家庭教師というのはやっぱり嘘で、珊瑚の母が𠮟責しながら夜中まで教えていて。学校ではあんなに明るくて普段はおっとりした珊瑚が、毎晩泣いて謝っている。想像しただけでココの目から涙があふれ出てきた。
「オレ、調べたことがあるんだ。自分を良く見せようと嘘を重ねる理由。それは、注目されたいとか愛情不足が原因って」
声が大きくて、転校初日に真っ先にココの名前をからかってきた大将が、そっとそんなことしていたなんて全然知らなかった。
「大将、優しいんだね。分かっててずっと黙って珊瑚のこと見守ってたんだね」
腕で涙をぬぐって、ココは言う。大将はすぐにかぶりを振った。
「違うよ。結局珊瑚のこと、守れなかった。黙ってるだけで、何もしなかった」
ココは首を振った。肩の上でツインテールの毛先が揺れた。手の甲で、もう一度涙をぬぐう。
「行こう、大将。珊瑚を探さないと」
今、自分を守るためについていた嘘がみんなの前で見破られて、どんな気持ちだろう。
恥ずかしい? つらい? 消えちゃいたい?
「ねえ、屋上に行く階段は?」
「ええっ?」
ココの言葉に大将が、膝に押し付けていた顔を勢いよくあげた。
「まさか! だって屋上へのドアは鍵がかかってるだろ!」
大将が顔を引きつらせる。ココと同じ考えに思い至ったようだ。
「だけど今すぐどうにかなりたいって、思ったら!」
──屋上から飛び降りたら、全てが終わる。
「もう一つの階段だよ! 行くぞ!」
ココは強く頷き、大将に続いて三階の廊下を走っていく。三階では三年と四年の教室があった。授業中だが、そんなことは構っていられない。珊瑚を探すことの方が先だ。
反対の端にある屋上に続く階段にたどり着いた時、授業中に廊下を走る二人を不思議に思ったのか引き戸を開ける音が聞こえた。二人は構わず階段を一段飛ばしで登っていく。五年生の教室のある四階を越え、踊り場を曲がる。
「珊瑚!!」
屋上への扉の前で、珊瑚が膝に顔を押し付けて座っていた。
「なんでこんなところにいるんだよっ!」
大将の声に珊瑚は、顔を伏せたまま激しく首を振った。
「だって、だってあたしもう、みんなの前に……」
「もういいから!」
ココは珊瑚の元へ階段を駆け上がると、飛び込むように座っている珊瑚を抱きしめた。
「そのまんまの珊瑚でいいから! 大丈夫だから! わたしたちは、そのまんまの珊瑚が大好きだから!」
ココが言うと、抱きしめた珊瑚の体が激しく上下した。
聞いたことのないような、大きな声で珊瑚は泣き叫びだした。ココは更に珊瑚を抱きしめる手に力を入れる。ココの目からもまた、涙が次々とこぼれてきた。
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