15.嘘

 あの日、亜里沙は一日保健室にいたのだという。探し当てたカエデに後から聞いた。


 それから亜里沙と珊瑚は、口を利かなかった。亜里沙はあからさまに珊瑚を避けていたし、珊瑚は特に取り繕おうとしなかった。おせっかいかと思いつつ、ココは亜里沙に綱吉くんも否定してたよ、あの二人なんでもないよと伝えた。

 亜里沙の返事はそっけないものだった。

 

 ココとリセだって、あのお泊まり会の後はギクシャクしっぱなしだ。ジンちゃんは変わらずリセにもココにも話しかけてくるから、お互い話はするけど探り探りの一言二言くらいだ。まあ元々話が弾んでいたわけではないけれど。

 それでも無視したりあからさまに避けたりしないのは、取っ組み合いの喧嘩までして先生に怒られたからだろう。さすがに怒られた後で、思いきり無視をするのは具合が悪かった。


「これ、パパのニューヨークのおみやげなんだ。あげるね」

 中休み、珊瑚がココとジンちゃんの手のひらにキャンディをひとつずつ乗せた。

「えっ、これアメじゃん! まずいって!」

 学校にお菓子を持ってくることは、もちろん禁止されている。強制的に受け取ってしまったココとジンちゃんは、慌てて珊瑚に返そうとした。しかし珊瑚は大丈夫大丈夫と涼しい顔をしている。

「今先生いないし、食べなきゃ大丈夫だよ。これ貴重なやつなんだからあ」

 秘密ねと笑う珊瑚に、大丈夫かなあと不安になりつつココとジンちゃんは渋々受け取る。

 これがニューヨークのアメかあと、ココは両手で隠すようにしてアメを見た。ピンクのキラキラの包装紙に、読めない英語が書かれているから、ニューヨークなのかよく分からない。いや、英語だからニューヨークなのか。


 こっそり見ていたアメが、ふいに視界から消えた。ココは驚いて顔をあげると、そこには右手にココから取り上げたアメを持ち、左手を腰に当てた亜里沙がいた。あごを上げたまま目線を、座っているココとジンちゃんに落とす。そしてゆっくりと目だけを、亜里沙の向かいで立っている珊瑚に移した。

 

「聞いてー藤島さんが、学校にアメなんて持ってきてまーす」

 亜里沙は珊瑚のことを、名字で名指しした。亜里沙はキツいところもあるけど、こんな嫌味な言い方をする子じゃない。ココはまゆをひそめた。教室にいる生徒達の視線は、窓際で大きな声を出した亜里沙に一斉に集まった。

 亜里沙は、ぐるりと視線を教室全体に送る。部屋の中のみんなが自分を見ていることを確認してから、珊瑚を見た。右ほおを上げて笑うと、大きな声で続けた。

「これってPセンターの輸入食料品店で買ったやつよね」

 珊瑚の左のまゆが、ぴくりと動いた。ジンちゃんがえっと驚きの声を上げて、手のひらのキャンディを見る。

「違うわよ、パパが──」

 珊瑚が言いかけると、亜里沙がふふっと笑って言葉を被せた。

「ああ会社の社長で、ハワイに住んでいたこともあるパパが、ニューヨークで買ってきたのよね」

「だからそう言ったじゃない!」

 珊瑚がお下げの髪を振り乱し、ヒステリックに高い声を上げた。怒りでギラギラと光る目で、ぐっと亜里沙をにらんだ。

 

「おい、やめろよ!!」

 突然叫びながら、大将が大きな体を揺らして駆け寄ってきた。珊瑚の腕をつかみ、その場から引き離そうとする。

「なにすんのよっ」

 しかし珊瑚は、急につかんできた大将の手を強く振り払った。

 珊瑚と大将の前、ココとジンちゃんが向かい合って座っていた机の上に、亜里沙がさっきココから奪い取ったキャンディを叩きつけた。キャンディは机の上で小さくバウンドして、床に落ちた。

 

「私、聞いたのよ! うちの塾で! あんたの前の学校の子に!」

 珊瑚の顔色が、さっと変わったのが分かった。

 たしか珊瑚は、Pセンターの隣の駅にある学校から転校してきたと聞いた。だから亜里沙の塾に、珊瑚の前の学校の子がいてもおかしくない。

 それで一体、亜里沙はなにを聞いたのか。どう考えてもいいことではないことをココは瞬時に悟った。でもどうやって亜里沙の話を止めたらいいのか──


「あんたのお父さん、ふっつーの会社員ですって? あんたの生まれも育ちも、日本のそこら辺ですって? なにがハワイよ! なにが金持ちよっ!!」


 ココは目を見開いて、珊瑚の顔を見る。珊瑚の顔は真っ青だった。それが、答えだった。

「なんであんたみたいな嘘つき女が、綱吉くんと──」

 亜里沙の言葉を振り切って、珊瑚は教室の外に駆け出した。ココは追いかけなくてはと、立ち上がる。

「おいっ!!」

 大将が大きな声を出すから、ココは体を大きく震わせ動きを止めた。


 大将は、怒っていた。据わった目で、ぐっと亜里沙をにらんでいた。そしてそのまま亜里沙の薄いブルーのパーカーの襟元をぐっとつかんだ。 

 大将は柔道の有段者だ。一瞬、亜里沙を投げ飛ばすのかとココは慌てた。亜里沙は顔を恐怖でひきつらせ、体をこわばらせる。

 しかし大将は亜里沙を投げることも、殴ることもしなかった。ぐっとつかんだ襟元の手を引き上げ、亜里沙の顔に怒りに満ちた自分の顔を近づけた。

「嘘だったとしても、みんなの前でバラすことないだろう!!」

 凄みを利かせ、うなるような低い声で言うと、大将は亜里沙のトレーナーをつかんでいた手を離した。亜里沙は恐怖でひきつった顔を戻せず、呆然としていた。

 大将はそのまま体の向きを変え、出口に向かって大股で歩き出す。野次馬のように息を飲んでことの成り行きを見守っていた倖世とコバが、突き進んでくる大将に慌てて仰け反るように道を開けた。大将が教室を出たところで、ココは我に返る。慌てて大将の後を追った。

 教室を出るときに、黒板のそばで呆然と立っている綱吉くんが、ココの視界の端に映った。


「大将!」

 大将は大股で歩いていたから、走って来たココはすぐに追いついた。しかし大将は、ココを無視して歩き続ける。眉ひとつ動かさず、そのまま廊下を曲がって階段を降り始めた。

「知ってたの? 珊瑚のこと」

 ココの問いかけに、大将は足を止める。

 中休みの終わりを告げるチャイムが、階段にも響き渡った。


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