13.目撃

 芽衣ちゃんへ


 こんにちはー芽衣ちゃん! なかなか返事ができなくてごめんね。秋祭りどうだった? 絶対楽しかったよねーいいなあ。わたしもおみこし、かつぎたかったな。

 こっちは運動会も学習発表会もないけど、お泊まり会はあったよ。五年生で学校に泊まったの! 家庭科室でご飯作って、体育館でレクして、楽しかった──


 そこまで書いてココは、鉛筆を便箋の上に放り投げた。

 楽しいものか。リセと殴り合ったのに。

 仲良しだった芽衣ちゃんにさえ、強がってしまう自分。だって殴り合ったなんて、恥ずかしくて言いたくもない。


 

「D女子中学の藤島真凜ふじしままりんって、珊瑚のお姉さん?」

 中休み、席で雑誌を見ていたカエデが珊瑚に声をかけた。雑誌を覗き込んだ珊瑚が、にっこり笑って大きくうなずいた。

「そうだよ、これわたしのお姉ちゃん」

「すっごーい!!」

 カエデは目をきらきらさせて、珊瑚を見上げる。なにを言ってるのだろうと、自分の席で絵を描いていたココはノートを閉じて席を立った。カエデの席に寄っていき、机の上で開かれている雑誌を覗き込む。

「D女でもすごいのにさあ!」

 開かれた雑誌のページには、一人の女の子の写真があった。何かのインタビュー記事のようだ。そっとめくって表紙を見ると、これは中学受験情報紙らしい。

「この女の子が、珊瑚のお姉さんなの? D女って?」

 私立の中学に疎いココが首をひねると、カエデがもう! と軽くココの背中をはたいた。

「日本で一番頭のいい女子中じゃない? とにかくすごいんだから! 珊瑚のお姉さん、そこの生徒会長なんだって!」

「ほえー」

 詳しくは全然分からないが、日本一はすごい。そんな学校の生徒会長はもっとすごい。

「珊瑚もカエデもその中学、受けるの?」

 中学受験に備えて塾に通っている二人に、ココは尋ねた。日本一も偏差値もよく分からず聞くココに、カエデはそんなわけないじゃんと舌を出す。

「わたしの頭で受けられるわけないでしょ。ああでも珊瑚は目指してるよね?」

 カエデの問いに、珊瑚はくちびるをとがらせた。

「親は行けって言ってる」

 行きたくないのか、恥ずかしさからなのか。珊瑚はつまらなそうだった。お姉さんの話のときは、あんなに楽しそうだったのに。


 肘をついてほおを膨らませながら、珊瑚は続けた。

「最近、家庭教師もついたの。夜中まで一緒に勉強してる」

「えっ!? まじ!?」

 カエデとココは目を丸くした。だってココなんて、家に帰ったら宿題しかしてない。夕方の五時には終わって、通信教育をやってる振りをしながら絵を描いたりテレビを見たりしているのだ。それが同じ五年生で、珊瑚は塾に行って家庭教師もつけて夜中まで勉強してるとは!

「家庭教師って、めっちゃお金高いんでしょ? 金持ちすぎん? 珊瑚の家」

 カエデの驚きは、別のところにあったようだ。

「別に勉強にお金使われてもなあ。わたしはまたニューヨークに行きたいよ。ニューヨークでハンバーガー食べたい」

 珊瑚は手を合わせ、天井に向かってオペラ歌手のように言った。ニューヨークには、ハワイにすんでいた時によく行ったとか言ってたっけ。

「ハンバーガーって、マックじゃダメなの? おいしいじゃん」

「ばっか」

 ココの広いおでこを、珊瑚はぴんと人差し指ではじいた。中学受験にハワイにニューヨーク、家庭教師だなんてココには分からないことだらけだった。



 ココヘ


 お手紙ありがとう!

 お泊まり会なんてあったんだ? すごいね、新しい学校も楽しそうだね! こっちはココのいない日々、みんなでさみしがってるよー!

 マンガは書き終わった? この前はまだだって言ってたけど、その後どう? 色々忙しいのかな。

 私もね、塾の先生が中学受験してみたらって言うの。だから挑戦してみようと思って……

 そういうわけでごめんね。冬休みは会おうねって約束してたけど、無理になっちゃった。毎日塾なの。本当にごめんね。

 その代わりに、十二月にマラソン大会があるの。土曜だからココ、来れる? 学校のみんなにも会えるよ!

 ココが応援してくれたら嬉しいな。

 じゃあまたね。芽衣より



 その日、ココはモモと母と一緒に、バスと電車に乗って二駅先のPセンター駅に来ていた。金曜日の夜で、父が仕事で夕飯を食べてくるから、私たちもたまには外で食べましょうと母が言ったのだった。山ノ上ニュータウンには、ファミレスも牛丼屋もうどん屋もないから夜外に出ることは、そうそうしない。こんな風に外食するのは引っ越してきてから初めてだった。

 Pセンターはこの辺りで一番大きい駅で──と言っても、新宿や渋谷に比べたら全然大したことはないのだけれど──駅ビルが立ち、整備されたバスターミナルの奥にはレンガの敷かれた通路が伸びていた。

 その通路を中心に量販店が二件と、小さなショッピングモールがひとつある。有名塾も通路にそっていくつかあり、珊瑚と亜里沙、カエデはそのどこかに通ってると言っていた。


「おねえちゃん、ハンバーグおいしかったね!」

 久しぶりの外食がよっぽど嬉しかったのか、店から駅へと向かうレンガ通りをモモがスキップしながら歩いている。左手はココの手をしっかり握りしめたままスキップするから、ココは小走りでモモと並んで駅に向かって歩いていた。母は少し後ろから、一人歩いてついてきた。


 あの後、母にマンガは見つかっていない。もう家で描くのは辞めたし、毎日持ち歩いているからだ。勉強する時は部屋ではなくリビングでするようにして、いかにも勉強してるかのように見せている。

「最近頑張ってるじゃないの、ココ。えらいわね」

 そんなわけで母はこのところ機嫌が良かった。新しい家に引っ越すとき、自分の部屋を持てるんだからいいでしょうと説得されたのに、その部屋で好きなことをしたら怒るって、ひどく矛盾しているのに、母は気づいていないようだった。

 こんな風に上機嫌でいられるのも、お泊り会での出来事を知らないからだ。

 先生はあの場でリセとココ二人を叱って、仲直りさせて終わりだった。殴り合いまでしたのに、家への報告はしませんと言った。もう五年生なのだから、先生がここで暴力はダメだと怒って、互いに反省したら終わりにしましょう、と。

 

 ショッピングモール入り口の、丸い大きな時計がぼーんと音を立てた。九時を知らせる鐘だった。

「モモ、こんなに遅い時間に外にいるの初めて!」

 初めてではないと思うが、無邪気な小二の感動に、ココはうんうんと相槌を打った。確かにモモにとって九時は、寝る時間だ。そんな時間にまだ外にいるのは、ちょっとした感動かもしれない。


 駅へ続く通路には、次々とココと同じくらいの小学生が現れ始めた。九時になって塾が終わったのだろう。いつもはココがパジャマで本やマンガを読んでる時間に、この子たちは塾で勉強しているのだ。

 

 ──塾のあと、夜中まで家庭教師がついてるの。

 珊瑚なんて家に帰って、家庭教師と勉強しているというから本当にすごいと思う。

 そしてココはちらりと振り返り、後ろを歩く母を見た。母は前にいるココとモモではなく、周りの小学生たちを見ていた。ココは途端に顔を曇らせる。どうせ後で母は言うのだ。あの子たちはあんなに夜遅くまで勉強してるのに、ココは一体なんなの。もうちょっと頑張りなさいよ。

 別に私立を行けとは言われていない。むしろ私立に行かせる余裕などないと言われている。母はただ、いやなのだ。ココが一番頑張っていないのが。ココが一番頑張って、一番の成績を取らないのがいやなのだ。


 母から、隣で楽しそうに歩いているモモへと視線を移す。モモはココの気持ちなど全く気づかず、無邪気にスキップを踏んでスカートの裾をひらひらとさせていた。

「人が増えてきたから危ないよ」

 はぐれないよう、繋いでいるモモの手を軽く引っ張った。

「はーい」

 モモはスキップはやめたが、鼻唄は歌ったままだ。モモの気楽さを羨みながら、ココは顔を上げた。その時視界に飛び込んできた二人に、ココはあっと小さく声を上げた。

 慌てて手で口を押さえたが、人が増えてきた駅前はざわざわしていてココの声をかき消したようだ。誰も声を上げたココに、注目はしていなかった。


 前にいたのは珊瑚と綱吉くんだった。お揃いの、有名進学塾のリュックを背負って、二人でバスターミナルの端で立って話していた。珊瑚と綱吉くんの距離はすごく近くて、時折顔をくっつけるように珊瑚が手にした本を一緒に覗き込んでいる。塾のテキストだろうか。そろって顔を上げたと思ったら、なにかを話しながら笑顔を見せていた。

 ──あんなところで、二人きりで。

 同じ塾に通っていたのか。珊瑚はなにも言ってなかった。

 同じだけじゃない。駅に入ろうとせず一緒に帰るわけでもなく、立って二人で仲良さげになにを話しているのだろう。


 ──ああいうの、付き合ってるっていうのかな。

 ココは一瞬思ったが、慌てて首を振った。

 違う違う、綱吉くんのことは亜里沙が好きなのだ。付き合ったらダメじゃないか。いや、ダメじゃない……かもしれないけど、この前珊瑚も亜里沙のこと応援するって言ってた。もし付き合ってたら裏切りになってしまう。

 でもどうしたらいい? 今二人に、付き合わないでって言いに行く?


 なんだかそれも違う気がする。ココがもう一度首を振るとモモが手を引っ張ってきた。

「ねえお姉ちゃん、なに止まってるの。早く行こうよ」

 足を止めてしまったココを、モモが手を引いて動かそうとしていた。立ち止まっていたから、後ろを歩いていた母が追いついてしまった。

「ココ、なにぼーっとしてるの」

 急に立ち止まったココを、母がまゆをひそめて不審そうに見る。

「あのね、あそこに学校の──」

 言いかけて、口をつぐんだ。母は友達がそこにいるというより、こんな時間まで同じクラスの子が塾で勉強しているという事実ばかり強調するだろうと思い直したからだ。

「なんでもない。さっき食べたハンバーグ、なんて名前だっけ」

「どっきりどっかんハンバーグだよ、お姉ちゃん!」

 モモの無邪気な声に救われる。どうかこのこと、亜里沙に知られませんようにと願いながら、ココはモモに手を引かれて駅に向かった。

 

 

 

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