12.邪魔だし、目障りだし

 怒鳴り込んで部屋に入って来た羽村先生に怒られるかと覚悟したが、先生は「夜は寝ないとダメなんだぜ」とノリ良く言っただけだった。とはいえ、そのまま遊んでていいわよとは言ってくれない。先生の登場で、ゲーム大会はお開きになった。女子は先生に促されて、すごすごと自分たちの部屋に戻る。


「ああでも、もう11時半なんだ」

「えーまだ11時半だよ」

 クルミンが眠そうにあくびをして、布団にもぐり込む。リセも目を擦りながら布団に入った。寝る人がいるからと、部屋の電気を消したが珊瑚の目は爛々と輝いている。

「だってあたし、まだいつも勉強してる時間だし」

「わたしもわたしも!」

 亜里沙とカエデが負けじと声を上げる。中学受験グループだ。

「あたしはいつも寝てるけど、楽しみすぎて寝らんないよ」

「わたしもだよ」

 ココはジンちゃんの意見に同意だ。

「うーん、あたしは無理かも」

 いつもは大きい目を重そうにやっとのことで開いていた、未優みゆちゃんがふらふらと立ち上がって布団に入った。するとすぐに寝息が聞こえてきた。

「未優ちゃん、はやっ」

 よっぽど眠かったのだろう。起きているのはココにジンちゃん、珊瑚と亜里沙とカエデの五人になった。五人は寝ている三人を起こさないように、部屋の端に寄る。支援室のじゅうたんの上で、あぐらをかいたり膝を抱えて丸くなって座った。


 こうなると当然、出てくるのは亜里沙の恋愛トークだ。

「ねえ亜里沙、断られたって言うけどさ。さっきのゲームの時、めちゃめちゃ雰囲気よかったよね。いけそうじゃない?」

 カエデの言葉に、他の三人もうんうんとうなずく。当の亜里沙もそうかなあと三つ編みにした長い髪の毛先をいじりながら、否定はしない。

「なんかね、好きって言う前より、綱吉くんと距離が縮んだ気がするんだよね」

「なんかそんな感じだよねー!」

 カエデの相づちに、ココも首を縦に振った。さっき亜里沙と綱吉くんは同じチームではなかったけれど、亜里沙の応援に綱吉くんは答えてくれたり、なにかと声をかけていた。

 ──単に綱吉くんが、紳士で王子様だからかもしれないけど。

 亜里沙に好かれたからって、うぬぼれたり気を持たせたりする綱吉王子でもなかろう。ということは、みんなの前で自分への好意を堂々と見せる亜里沙が恥をかかないよう、相手をしてあげてるだけかも──

 などというちょっと黒い考えがココの頭に現れたが、顔にも出さずそっともみ消した。


「ねえ、みんなは好きな人いないの?」

 亜里沙から、またその話題である。

「あたしは大将でも、メガネでもないから」

 珊瑚がぴしっと先手を打つ。そんなに否定しなくてもと思うが、確かにあの二人とどうこうとは思われたくないのは分かる。がさつで声と体がデカい大将と、皮肉でひょろひょろした小さなメガネはレンアイって感じじゃない。

「わたしは……前の学校にはいたけど」

 カエデの告白。それは初耳である。

「今も好きなの? 最後になにか言ったの?」

 亜里沙の突っ込みに、レースのついた薄いピンクのパジャマを着たカエデは胸のリボンを左手でいじりながら、首をかしげた。

「だってもう簡単に会えないもん。会わなかったらさ……」

 カエデは確か二時間くらいの場所から引っ越してきたって言っていた。隣の市から来たココだって、引っ越してから一度も前の友達に会えていない。好きでも引っ越しちゃったら、もうおしまいなんだなあとココはぼんやり思った。

「じゃあジンちゃんは?」

 急に亜里沙に振られ、ジンちゃんは目を丸くする。慌てて顔の目の前で世話しなく手を振った。

「いないよ、そんな人!」

「そうかなあ。だってジンちゃんは一学期から、うちの学校にいるじゃない」

「だから一学期からいた男子は、大将とメガネだってば」

 ジンちゃんも、あの二人はごめんとばかりに、目を細めて舌を出す。うーんでもさと、カエデがジンちゃんの顔をちらりと見る。切り出したあともしばらくパジャマの胸のリボンを人差し指でぐるぐると回し、カエデは天井を見つめていた。言葉を選んでいるのか、もったいぶっているのか。みんながしびれを切らした頃、カエデはようやく口を開いた。


「なんかリセって、ジンちゃんの恋人みたいだね」


「はっ!?」

「ええっ!?」

 考えあぐねて出したカエデの言葉に、当のジンちゃんはもちろん、亜里沙も珊瑚もすっとんきょうな声を出した。ココはぎょっとして、声すら出せなかった。

「しーっ、しーっ!」

 この部屋ではもう三人が寝ているのだ。円座に座っている五人の女子たちは、慌てて唇に人差し指を当ててお互いを注意し合う。そして恐る恐る、眠っている三人を見た。未優とクルミンは寝息をたててるし、リセはダンゴムシのように布団にくるまっていてぴくりとも動かなかった。

 五人は、起きない三人を確認すると、ほっとして顔を見合わせる。


「でもさ恋人かどうかは分からないけどさ、リセはジンちゃんのこと大好きだよね」

 珊瑚がひざを抱えて、ジンちゃんを上目使いで見た。

「大好きぃ? あいつ、結構キツい突っ込みとか入れてくるよ」

 珊瑚の『リセ、ジンちゃん大好き説』も即座に否定したジンちゃんは、本当に気づいていないらしい。ジンちゃんが他の子に取られまいと、必死になっているリセを。

 

「わたし、何回も見たんだ。ジンちゃんとココが仲良くしてるとき、リセったらココのこと超にらんでるんだよ」

 カエデの言葉に、ココは勢いよく顔をあげる。カエデも気づいていたのか。

「ああ、わたしも見たことあるな。ジンちゃんがココに絵を描いてって言ってる時とか、すんごい怖い顔してた」

 亜里沙が頭のてっぺんをぐしゃぐしゃといじりながら、ため息をついた。

「あの子、絵がうまいんでしょう。だからなおさらだよね。ジンちゃんを取られた気になるんじゃないの?」

「えーっ!?」

 ジンちゃんは眉を下げて困り果てた表情だ。口をあんぐりあけている。

「取られるってなに? あたしはリセ以外と仲良くしちゃいけないの? 別に他の子と仲良くしても、リセともう遊ばないとかそんなことないよ?」

「リセはそう思ってないのよ」

 珊瑚が呆然としているジンちゃんの肩を、ぽんと叩いた。

「わたしも一学期、よくにらまれた。きっと三人じゃなくて、ジンちゃんと二人でいたかったんだろうね。リセは」

 ジンちゃんは目をぎゅっとつぶり、腰まである黒髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。本当にリセの嫉妬も独占欲も全く気付いていなかったようだ。

 ──ジンちゃんは、ハクアイ主義だから。

 以前、珊瑚が言っていた。

 確かにジンちゃんは一学期の時からずっと一緒にいたリセと二人でいることが多いけど、転校初日のココに話しかけてきたように、みんなと分け隔てなく仲良くなろうとする。そのジンちゃんからしたら、リセの『ひとりじめしたい気持ち』は全く分からないのだろう。


 ──今なら、言えるかな。

 ココは紺と白の水玉もようのパジャマのすそを、ぎゅっとにぎりしめた。恥ずかしいし悔しいけれど、みんなに分かってもらいたい。そんな気持ちの方が今は強かった。そして、今ここにいるみんなはきっとわかってくれるだろう、とも。


「あのね、わたし、今日リセに思いっきり蹴られたの」

 

 ココの突然の告白に、四人の視線が一斉にココに集まる。

「え?」

 にらむとは違う、暴力の話だ。みんな丸くした目で、ココをじっと見ていた。ココはパジャマのすそを、ぎゅっとさらに強くつかむ。

「さっきお楽しみ会あとの写真撮影の時、隣のリセが思いっきり脚を蹴ってきたの。誰も気づいてなくて、それで」

 自分の声が震えていることに気がつき、ココは言葉をつまらせる。いやだ、泣くのは嫌だ。楽しいお泊り会で、しかもリセのことで泣くなんて。

「そういえばお楽しみ会の後、ココが部屋に来るの遅かったよね」

 亜里沙が泣いてないか確認するように、少しうつむいたココの顔をのぞき込む。

「ちょっとショックすぎて、しばらく体育館でぼうっとしてた」

「でもリセは何にも変わったところなかったよ。ココを蹴ったって雰囲気出してなかった」

 首をひねる珊瑚に、ココはさっと顔を上げた。

「だから怖いんじゃん! なんであんなに強く人を蹴っ飛ばしておいて知らん顔できるの?」

 四人は顔を歪めて、探るようにお互いの顔を見合った。

 ココは泣くまいと、必死にくちびるを噛んできゅっと口を横に結ぶ。


「嫉妬かあ」

 珊瑚がぽつりと言った。

「分かんない。わたしのことが単にすんごく嫌いなのかも。わたし、なんかすごく嫌なことリセにしたとか……」

 ココは力なく首を横に振った。自分が誰かに嫌われるなんて、本当は考えたくもないけれど。

 転校初日から、リセはココのことをどこかバカにしていた。登校中にぐずったモモをあやしていた時も、そんな目で自分たちを見ていた。

「ココが嫌われるなんて、ありえなくない? ココは人が嫌がることなんて、絶対してないってば!」

「てかそもそも、蹴るっておかしいよね」

 亜里沙とカエデが、口々にココを擁護する。

「リセってホント怖いよね。なんであんな顔でにらむんだろう。相手が嫌がるの分かっててやってるんだよねえ」

 珊瑚も大きなため息をついた。自分がにらまれた時のことを、思い出しているのだろう。

 

 それは、今まで黙っていたジンちゃんが、顔をしかめて重い口を開いた時だった。

「リセはなんでそんなにらむとか、蹴るとか、そんなこと──」


 ふいに、低く圧し殺したような泣き声が聞こえてきた。

 五人はさっと顔を見合わせる。どの顔も目を見開き、青ざめていた。そっと視線を動かし、見たリセの布団は小さく揺れていた。

「リセ……」

 リセは、起きていたのだ。最初から? 途中から? 『しまった』と『どうしよう』がココの頭のなかでぐるぐると渦巻いている。

「ごめん、リセ。あの」

 ココが謝罪を口にすると、リセの布団が勢いよく跳ね上がった。赤いロンTにグレーのレギンスを履いたリセが顔を真っ赤にして、布団の上に立つ。両手はぐっとこぶしを作り、脚を開いて立つ姿はまさに仁王立ちだった。次々とあふれ出す涙で真っ赤にした顔は、びしょびしょになっていた。涙で光るその目で、ココのことをぐっとにらんでいる。ぐっと食いしばった歯から牙が出てきて、今にも噛みついてきそうな表情だった。


「なに、いい子ぶってんのよ!!」

 涙で震わせた声で、リセがココに向かって叫んだ。意味が分からず呆然と座ったまま自分を見つめるココに、リセは更に続けた。

「蹴られて、もしかしたら自分の方が悪いことしたのかって!? そんなわけないじゃん!」

 リセの金切り声に、未優とクルミンがのそりと起きあがった。目をこすりながら眠そうな顔をしていたが、立ってココをにらむリセを見てぎょっと目を剥いた。

 

「今もごめんってなに! 思ってもないくせに! あんたわたしの悪口言おうとしてたでしょっ!」

「そんなことない!」

「うそつけっ!!」

 リセが自分の枕を手に取り、ココ目がけて思い切り投げつけてきた。あまりに急な出来事にココは避けることができず、枕はココの頬をかすり、三角座りをしていたひざに直撃した。

「いったあ……」

 枕なんてふわふわしている。ぶつかったところは、本当は痛くない。でも心の奥のどこかが痛い。じりじりと焼けるようだった。

「なんで、わたしにこんなことすんのよっ!!」

 もう黙っていられなかった。

 ココは立ち上がると、負けじと枕をリセに投げ返した。リセは軽く身をかわし、当たり損ねた枕は壁にぶつかった。

「えっ、ちょっとココ!? リセ!?」

 寝ていて何も分かっていないクルミンが、リセの隣の布団で座ったままオロオロと二人に声をかける。だけどもうココもリセもお互いしか見てなかった。


「色々目障りなのよ! あとから来たくせにっ!!」

「なんですって!?」

 好きで、あとから来たわけじゃない!

 好きでこの学校に来たわけじゃない!

 それなのに何故、こんな風に言われないといけないのだ!

「目障りってなによ! なんでわたしが目障りなのよっ!!」

 もう我慢できなかった。涙はココの目から次々とあふれ出していた。ぎゅっと強く握った手が震える。食いしばったあごが震える。悔しかった。ただただ悔しかった。

 

「邪魔に決まってるじゃない! わたしがジンちゃんといたところに、空気も読まず入ってきて! いい子ぶって、先生にまで『二人で絵を描いたらいいと思います』なんて取り入って! まじでそういうの腹立つのよ!!」

「邪魔ってなによっ!!」


 気がついたら、ココはリセのほっぺたを手のひらで思い切りひっぱたいていた。乾いた音が部屋に響き渡る。リセはひるむことなく、ココのパジャマの襟をつかんできた。

「邪魔だから邪魔って言ってんのよ! あんたなんか、この学校に来なかったらよかったのよ!!」

 ココの襟を自分の方に引き寄せて右手で自分の顔を殴ろうとするリセを、ココはさっとかわした。その途端、二人はバランスを崩して布団の上に倒れこむ。

「きゃあっ!!」

 どすんと大きな音が響いて、部屋の女子たちが我に返ったように叫び声を上げた。

 それでもリセとココはやめようとしない。上に倒れたリセが、布団の上のココのほおを、ばしんとひっぱたいた。それは電気のように痛みが走ったが、ここまでされて負けるわけにはいかない。ココは歯を食いしばって、リセの天然パーマの前髪を力強くつかんだ。

 あまりの痛さに歯を食いしばるリセの顔が真っ赤になった。そこで勢いをつけて、ココは上にいたリセを、転がるように今度は布団の上に押し倒す。形勢逆転、不利になったリセはココの腕をきつく爪を立ててつかんだ。


「ねえ、やめなよ! リセ! ココ!!」

 珊瑚の声が聞こえるが、二人は全くやめようとしない。リセのつめが食い込む左腕の痛みに耐えながら、もう一発殴るためにココが右手を振り上げたときだった。


「なにをしてるの!」

 叫び声と同時に、引き戸が思い切り強く打ちつけられる音が響き渡った。ぱっと部屋の電気がつけられる。女子八人は、まぶしさにぎゅっと目を閉じた。

 そしておそるおそる部屋の入り口を見る。そこには紺のジャージ姿の羽村先生が、長い髪を振り乱して肩で息をしていた。

「やめなさい、ふたりとも!!」

 ずかずかと部屋に入り、まだ取っ組み合ったままのココとリセを力ずくで離した。

 先生の突然の登場で動きを止めていた二人は、されるがまま離される。顔は涙と鼻水でお互いにびしょびしょだった。興奮はおさまらず、ココはさっきまで殴りあっていたリセをちらりと見る。リセも荒く呼吸をしながら、涙の光る目でぐっとココをにらみつけていた。その目つきがまたココの癇に触り、ぐっとくちびるを噛み締めたときだった。

「なんで喧嘩なんてしてるの!!」

 再び二人の頭の上から、羽村先生の怒鳴る声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る