11.消灯後

 今日泊まる支援室は、体育館から渡り廊下を通っていつも使っている校舎に行き、一階を突っ切って室内で繋がっている支援棟に行かなくてはいけない。その長い道のりを、みんながいなくなったあとでココは一人とぼとぼと歩いていた。


 さっき起きたことが、信じられなかった。

 

 だけどリセは本当に、ココの脚を上履きを履いた足で蹴ったのだ。前の学校でだって、モモとの姉妹の喧嘩でだって蹴られたことなんて一度もない。ただただショックだった。

 理由は、ジンちゃんのことだろう。ジンちゃんと二人でいると、こちらの輪に加わるでもなくリセがにらんでいるのは分かっていたが、まさか暴力に訴えてくるとは思わなかった。しかもみんながカメラに集中している瞬間に。ココが自分が蹴られたことに気づいた時も、リセはみんなと同じように笑顔だった。何も起きていないかのように、笑顔だった。

「リセ、蹴ったでしょう!」

 あの時ココがその場で訴えていたら、リセはどうするつもりだったのだろうか。そんなことないと、しらばっくれただろうか。それともココが言うはずないと思っていたのだろうか。実際、ココは事態が飲み込めず呆然として何も言えなかった。


「あら、ココちゃんどうしたの!?」

 かすれ気味の甲高い声が、背後から聞こえてきた。振り向くと段ボールを抱えた、羽村先生だった。段ボールにはお楽しみ会で使った風船や、とんがり帽子が入っている。

「一人? ずいぶんゆっくり歩いてるじゃない! 調子悪い? なんかあった?」

 ココの顔色を見るように、じっと羽村先生が覗き込んでくる。夜の校舎の蛍光灯に当てられた羽村先生の顔は、いつもよりしわが多く見えた。

 ──なんかあったんですよ、先生。

 この大ベテランの先生に、今あったことを言ってしまおうか。一瞬心が揺れたが、ココはすぐに首を振った。

「夜の学校なんて、今日しか歩けないじゃないですか! もったいなくてゆっくり歩いてるんです」

 意識して目を細めて、口を横に広げてココは笑顔を作る。羽村先生はそれもそうねと、あっさり納得した。大ベテランも、ココの心の中は全く読めないらしい。

「大丈夫、夜の点呼前にはシャワー済ませておきますから」

 ココはそう言って、頭を軽く下げると早足で歩き出した。羽村先生と並んで歩きたくない。一緒に歩いたら、さっきの出来事をつい話してしまうかもしれない。


 話さなかったのは、リセをかばったわけじゃない。この自分が誰かに蹴られるなんて、先生に言いたくなかったからだ。



 女子が泊まる支援室の引戸をココが開けると、賑やかな声が耳に飛び込んできた。部屋の真ん中ではカエデが、自分より背の高い亜里沙を抱えるように抱きしめていた。

 何事かと引戸も閉めずにココが入り口で目を丸くしていると、さっきココに起きたことなど何にも知らないジンちゃんが声をかけてきた。

「あれココ、遅かったね」

「ココ!?」

 ジンちゃんの声に、カエデの胸から亜里沙が勢いよく顔をあげる。切れ長の目を涙でいっぱいにした亜里沙に突然見つめられて、ココはさらに戸惑う。

「亜里沙泣いてるの? どうした──」

「ココ! うわあああん!」

 亜里沙は言葉で「うわあああん」と言いながら、今度はココの元に飛び込んできた。カエデより更に小さいココは、泣いてるんだか泣いてないんだかいまいち分からない亜里沙にぎゅっと抱きしめられた。

 

「綱吉くんに振られちゃったあ!」

「ええっ!?」

 どうしたのと聞く前に、亜里沙がココを抱きしめたまま言った。驚いたのは振られたというより、本当に告白したことに対してだ。


 転校したばっかりで付き合ったりするのは、やっぱりハードルが高かったか。大将や元気は、亜里沙が美人だからOKしそうだが綱吉くんはしっかりした考えを持っていそうだし──などとは、当然亜里沙に言えはしない。

「亜里沙はこんなに可愛いのに、なんで綱吉くんダメなんだろうね」

 ズルいとは思うが、ココは調子よく返した。亜里沙は、えーんココ優しいっ! と背中に回した手にぎゅっと力を入れてから体を離した。

「まだよく分かんないから、友達でいようだって」

 体を離した亜里沙が、あごに両手を当ててうるんだ瞳でココを見る。

 ココが思った通りだったが、当然そんなこと言えはしない。


「それなら全然チャンスあるじゃん! 亜里沙、これからだよー!」

 思いきりの笑顔で、ぽんぽんと亜里沙の細い二の腕を手のひらで叩く。

「ほら、ココも同じこと言うじゃーん!」

「全然振られてないよ、亜里沙ー!」

 部屋の奥からカエデとクルミンが、まだ引戸を開けたままの部屋の入り口で、ココと向かい合っている亜里沙に話しかけた。


 もう既にココ以外の全員に話していて、大丈夫だよと励まされたあとだったらしい。

「そっかなあ~」

 亜里沙も現金なもので、部屋の奥を振り返り、笑顔で肩をすくめていた。

 ココは亜里沙に言った励まし兼なぐさめが正解だったことが分かり、その場にへたりこみそうになる。

 よかった。本当は前の学校に好きな子がいるのかもねとか、じゃあもう綱吉くんは諦めなよなんて言わなくて、本当によかった。

 ココはそっと胸をなでおろした。



 消灯時間の九時なんて、守るはずがない。

 羽村先生と保健の先生が二人で、寝る前の体温チェックと点呼に来た。みんなにこにこ笑って、先生おやすみなさーいなんて二人を送り出したけど引き戸が閉まった途端、目配せをする。

「そろそろ?」

「待って待って」

 もしかしたら今、先生たちが引き戸に耳をつけて中の様子を伺ってるかもしれない。女の子たちはすぐに飛び出したい気持ちを押さえて、ひそひそ話しながら十分待った。


「もう大丈夫じゃなあい?」

 珊瑚が先陣を切って、そっと引き戸を開ける。最初は目だけ、気配がないのが分かると次に首だけ廊下にだしてキョロキョロと様子を伺った。

「いないよ、行ける!」

「やった!!」

「しっ!」

 珊瑚のゴーサインに、部屋から歓声が上がる。それをココが即座に制した。先生たちの部屋も、すぐそこにあるのだ。騒いだら聞こえてしまうだろう。


 ココたち八人は、珊瑚を先頭にぬきあしさしあし、廊下を歩く。そして支援棟の端にある男子の部屋にたどり着いた。引き戸を開けると、男子が拍手で女子八人を迎え入れてくれた。

「トランプやろうぜ!」

「ここはUNOでしょ!」

 男子の部屋の布団は、寄れたり折り重なったりして既に乱れまくっていた。どうも女子が来ない間に枕投げをしていたらしい。

「枕投げなんかして、先生に聞こえなかったの?」

 あまりにぐちゃぐちゃで居心地が悪いので、布団を直しながらココが尋ねた。

「大丈夫大丈夫、先生たちもきっと酒盛りしてるって!」

「そんなことするかなあ?」

 大将の根拠のない大丈夫に、女子は首をひねる。


 最初の頃は騒ぎそうになると、しーっと注意し合っていたが、盛り上がるにつれてそんなことは忘れていった。

 UNOは十五人だと多いから、二人一組で対決した。くじびきの結果、ココは珊瑚とペアだった。亜里沙は大将とで、なんであんたとなのよとちょっと不満そうだった。さっき綱吉くんに振られたことなんて、もう忘れたみたいにメガネとペアを組んでる綱吉くんを応援したりしている。


 夜、みんなパジャマ姿で、布団の上でカードゲーム。

 家でやったら普通なのに、なんで学校のみんなとやるとこんなにそわそわ、わくわくするのだろう。

 元気がこっそり持ってきたポテチとポッキーをバッグから出してきて、部屋は更に盛り上がる。

 ココも、さっきリセに蹴られたことも忘れるくらい、はしゃいでいた。さすがにリセと話そうとは、思わなかったけれど。


 しかし先生たちはやっぱり、酒盛りなんてしていなかった。11時を過ぎた頃、ちょうどメガネと綱吉くんのペアが大貧民でビリになって罰ゲームの躍りを踊っているところだった。メガネ考案の、よく分からないカンフーダンスを、綱吉くんが見よう見まねで踊る。亜里沙が綱吉くん、可愛いーと声をかけた瞬間。

 勢いよく、部屋の引き戸が開けられた。

「こらあ! あんたたち!! 寝る時間はとっくに過ぎてるのよっ!」

 パーンと建物中に響き渡るような音で引き戸が開かれ、十五人の生徒たちはぴたりと動きを止め一瞬にして静まり返る。恐る恐る部屋の入口へ視線を動かすと、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべたジャージ姿の羽村先生がそこにいた。

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