8.告白

 マンガを描いているノートは、毎日ランドセルに入れて学校に持っていくことにした。マンガを描くのを禁止するのも、机のなかを勝手に見るのも『親だから仕方ない』と母は言う。そんなの絶対おかしいと思うが、父は母の言うとおりだと言うし、もうココに勝ち目はなかった。そもそもマンガを悪いものと、母は何故考えるのか。結局母は、ココが勉強以外のことをするのが許せないのだろう。


「ココはお泊まり会で告白とか、考えてる?」

 あまりに唐突な亜里沙の問いかけに、ココは持っていたT字のほうきの柄を手放してしまった。柄が床を叩きつける派手な音が、音楽室に響き渡った。

 

 掃除の時間、今日は女子だけの八人で音楽室にいた。男子は図書室の掃除をしている。本当は男女別ではなく班で分かれているのだが、亜里沙が提案したのだ。「羽村先生は掃除を見に来ないし、今日は男女で分かれようよ」と。お泊まり教室が来週に迫った今日、つまりこういう話がしたくて亜里沙は男女別にしたらしい。


 「う、ううん、ううん!」

 ココは激しく首を横に振る。

「いないよ、そんな人!」

「そっかあ、前の学校の人かあ」

 前の学校にだって好きな人なんていないから──と言いたがったが、亜里沙はココにもう興味を失ったらしく今度はカエデに話しかけていた。


 亜里沙は結構おしゃれで、イケてる女子だった。

 顔つきも五年生にしては大人っぽい。可愛いというより、美人だ。身長も高くスラッとしていて、クラスで一番背の低いココとは20cm近く違う。長い髪はいつも結ばず垂らしていて、くるくるしている。リセのような天然パーマじゃなく綺麗に波打ってるから、きっとパーマをかけているのだろう。洋服だっていつもおしゃれで、聞いたら雑誌をチェックして買ってるらしい。中学受験もするらしいし、珊瑚と同じお金持ち族だと、ココは密かに思っている。


 カエデにも誰もいないと言われ、亜里沙は次にそばにいたリセに尋ねていた。

「リセは? 誰かに告白する?」

「私はフブキ一筋だから」

「は?」

 そうだ、リセは(本人は否定しているが)自分とのラブストーリーを描くくらい『イプシロン・ツェット』のフブキが好きなのだ。しかし初めて聞く亜里沙には意味が通じない。クラスにはフブキという名の人間はいないので、どうでもいいやと思ったらしく、それ以上は突っ込みもせずに隣のジンちゃんに同じことを聞いていた。

「そういう亜里沙はどうなの?」

 そんなのいないってと長いポニーテールを揺らしながらジンちゃんに否定されている亜里沙に、ココは横から問いかける。

「みんなに聞いてるってことは、亜里沙は──」

「綱吉くんに決まってるじゃない」

 亜里沙は、ココの言葉を全部待たないで即答した。ひゅーうと、ジンちゃんが口をとがらせて冷やかす。

「分かるでしょ? そんなの。でもココ、綱吉くん取らないでね」

「取んないよ」

 腰に手を当ててにらむような目つきで忠告してくる亜里沙に、ココは苦笑いを浮かべた。


『綱吉くんに決まってる』という気持ちは、分からなくもない。

 綱吉──水戸綱吉みとつなよしくんは、背も高くてすらっとしているイケメンだった。おまけにすっごく頭が良いけど、それを鼻にかけたりはしない。大将たちと一緒に廊下で野球したり、バカなこともするけど、クラスできちんと自分の意見も言ったりする、できすぎた男子だった。名前が将軍みたいで面白いということ以外は、王子様みたいな男の子だった。

「だけどさ、亜里沙も綱吉くんも九月に転校してきて、まだ二か月だよ? 早すぎじゃない?」

「恋に時間なんて関係ないの!」

 亜里沙は長い髪を後ろに払いながら言い切るが、ココにはよく分からない。そもそも好きな子なんて、できたことなかった。


「みんな本当に好きな人いないの? 一緒に告白しようと思ったのにぃ」

 亜里沙がほうきを抱えながら、音楽室にいる女子全員に声をかけるが、みんなは顔を見合わせて首を振るばかりだった。大体綱吉くんを取るなって言っておいて、他の男子に一緒に告白しようって──

「そうだ珊瑚、大将かメガネに告白しないの?」

「なんでよ」

 亜里沙の問いかけに、珊瑚が鼻の頭にしわを寄せて、即座に反論する。よく一緒にいるからそう振ったのだろうが『大将かメガネのどっちか』は、あまりに雑だ。

 

「どっちか好きじゃないの? いつも一緒にいるじゃない」

「それでなんで好きとかっていう話になるのさ、めんどくさい」

 珊瑚が吐き捨てるように亜里沙に返すから、音楽室にいた女子はぎょっとした。珊瑚はいつも少しゆっくり語尾を伸ばして甘ったるく話すから、こんなぶっきらぼうな言い方が意外だったのだ。亜里沙も一瞬目を見開いて息を飲む。しかしすぐに思い直して腰に手を当てて、負けじと言い返した。

「なによ、面倒って言うことないでしょう」

 穏やかだった女子だけの音楽室に、緊張が一気に走る。

 珊瑚が返す言葉によっては、二人はつかみ合いになるのではないか。

 ココは他の女子に視線を走らせる。みんな同じように、にらみ合う珊瑚と亜里沙をちらちら見ながら、視線を泳がせていた。

 ──どうしよう。

 珊瑚はリセとジンちゃんと一緒にいられないから、一学期は大将とメガネとつるんでいたのだ。その話をこの前聞いたから、珊瑚が亜里沙の決めつけに苛立つのは分かる。だけど珊瑚もあんな言い方しなくてもいいのに。

 どっちが悪いとも言えないし、どっちかの肩を持ったら、途端にたった八人しかいない五年生の女子は分裂することになる。

「ねえ、もうやめ──」

 ココが二人を取りなそうとした時だった。


「そろそろ女子は掃除終わった? もうすぐ帰りの学活始まっちゃうよ」

 今渦中となっている綱吉くんが、さわやかな笑顔で音楽室に顔を出した。

「ほら男女一緒に帰らないと、勝手に掃除の班変えたことが先生にバレちゃうし」

 なにも知らないで話しかけてくる、綱吉くんの歯が白く光る。この音楽室の険悪な雰囲気を全く分かっていないのだろうか。それとも分かっていて、この笑顔を向けているのだろうか。

 

 王子様の登場に、亜里沙がはっと我に返る。眉間のしわもこめかみの縦筋も、噛みしめられたくちびるも一瞬にして力を緩ませ、大げさなくらい口角をあげて笑顔を作った。

「やっだー綱吉くん、来てくれたの? ありがとう!」

 亜里沙は腰をくねらせて、音楽室の入り口に立つ綱吉くんのもとに駆け寄る。さっきのことなんて何もなかったかのような甘えた口調。珊瑚の小さく漏らしたため息が、ココの耳に入ってきた。

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