4.リセのマンガ
芽衣ちゃん、お元気ですか。わたしは元気。
新しい学校に転校してまだ二週間なのに、驚くことがたくさんです。
まず校庭がすんごくすんごく広いの。山を壊して作った学校だから、多分土地がたくさんあるんだ。でも半分は草ぼうぼうで使えないの。私より高い草も生えてて、そのうち草刈り大会をやりましょうだって。なにそれって感じ。
五年生が十五人、学校全部でも百人ちょっとしかいないから、今年の運動会は全員でソーラン節を踊って終わりなんだって! 今体育はソーラン節踊ってるけど、ありえなくない? 私たち三年の時に踊ったよね。
そうそう、転校初日に早速名前でいじられたんだよ。もう慣れてるけどさ、ムカついたわー! いじったヤツ、大将ってあだ名なんだけどね。給食二人前食べるし、マジデカい。声もデカい。なんか柔道やってるらしい。
友達もできたよ! 四月からうちの学校にいるジンちゃんって子。超髪が長くて、ノリがいいんだ。あと
そっちはもうすぐ秋祭りだよね。いいなあ。こっちはお祭りとか街が新しすぎて全然ないらしいの。
お店もないしさ、駅もないしさ。バスに乗って山のふもとまで下りるとある駅も超ショボいの。ちーっちゃいスーパーが一件あるだけ。だから中学受験する子たちは、そっから電車のって二駅先のPセンター駅の塾まで行くんだって! わたしらの服も本もPセンターまで行かないと買えないんだよ。ありえないよー!
もちろん駄菓子屋も図書館もないの。戻りたいよ、昭和小に……なみだ。
なんてね、ココでした。
引っ越して一ヶ月、学校が始まって三週間。
前の学校からの手紙は、親友の芽衣ちゃんのを含めて二十通を超えた。大して仲良くなかった子からもだ。
「あー転校生あるあるだねぇ。それは」
珊瑚が大きくうなずいた。
「全部返事してたらおこづかい足りないよね。切手代いくらすると思ってるの」
ジンちゃんもたくさん手紙が来たらしい。ジンちゃんは誰とでもすぐ仲良くなるから、納得だ。リセはどうなんだろうか。リセもやっぱり前の学校から手紙がたくさんきたのだろうか。
ココは、三人の会話には加わらずにジンちゃんの後ろの席で、一生懸命鉛筆を動かしているリセを見る。あれはマンガを描いてるようだ。この前見せてと言ったら、速攻断られたけれど。
あんなリセにも、たくさん手紙は来たのだろうか。
「わたしはぁ、お母さんに言えば切手代はもらえるけどぉ」
「出たっ、珊瑚のお金持ち自慢!」
珊瑚は両方の耳の下から垂らした三つ編みを、指にくるくると巻きながら話す。語尾を伸ばすその甘い口調に、ジンちゃんが即座に突っ込みをいれる。
「そんなことないよぉ」
珊瑚は否定するが、本当にお金持ちらしい。父親が会社を経営していて、小さい頃にハワイ住んでいたって言っていた。つまり珊瑚は社長の娘なのだ。
「だけどね、手紙なんか書いてないで勉強しなさいってお母さんに怒られるから、結局書けないの」
「珊瑚も大変だなあ」
ジンちゃんとココは、そろって大きくため息をついた。
珊瑚はお金持ちだから、超有名な私立に行きなさいと親に言われているらしい。それで毎日バスと電車に乗って、塾に通っているそうなのだ。お姉さんもそうして中学受験して、なんだかすごい学校に通ってるんだとか。
ココへ
やっほーココ! お手紙ありがとう。新しい学校の話、すっごくおもしろいね。新しい校舎はいいなあ。うちは相変わらずボロいからさ。
こっちはもうすぐ展覧会だよ。ココの絵が飾られないのが残念。そうそうマンガは完成した? わたしはココのファンなんだから、描けたら絶対読ませてね。ココの家に遊びに行くからね!
そうそう最近、美亜ちゃんと関根くんが両想いになったらしいよ。あと増渕が牛乳一気飲みして大変で──
楽しみにしていた芽衣ちゃんの返事だが、ココは読み途中で便箋を折りたたんで机の上に置いた。芽衣ちゃんの手紙は、楽しいことばかりだった。ココも楽しそうに書いたのだから、当然かもしれないけれど。
別に関根くんのことなど一ミリも好きではなかったが、転校したばかりのココに両想いの話などちょっと無神経ではないだろうか。両想いや牛乳の一気飲みなど、こっちの学校ではできる段階ではない。みんな探り探りなのだ。
いい子の振りして話しかけて、たった十五人しかいないクラスメイトとなんとか友達になろうとしている毎日だ。
「展覧会だって、本当は参加したいし」
絵の好きなココにとって展覧会は楽しみな行事の一つだが、今年あけぼの小では開催されない。そもそも図工の先生もいないのだ。
つい声に出してしまったら、目から涙がにじみ出てきた。
「ヤバイヤバイ、泣いたら負け!」
ココはくちびるをかみしめて眉間にシワを寄せると、ぐっと気合いをいれた。そして机の一番上の引き出しから、ピンク色のノートを取り出す。普通の大学ノートだが、中にはココが四月から頑張って描いているマンガがあった。
大親友の二人の女の子が、同じ男の子を好きになってしまう話だ。お互いの気持ちを知ってショックを受けるものの、二人は一緒に頑張ろうと決める。彼も好き、だけど親友も好き。だから彼のことは好きなだけ、それで十分だった。なのに主人公が彼から告白されてしまう。迷いに迷うが、最後に主人公は彼を振って、友情を選ぶ──という内容は決めているのだが、どうも進みが遅い。
マンガというのは、右向きの顔を描いたり全身を描いたり、背景を色々描かなくてはいけないからイラストのようにはいかない。おまけに引っ越しなどするから、漫画を描く余裕が全然ない。頭のなかでは色々考えているのに手が追いつかず、五か月以上かけてやっと描けたのは、主人公と親友の好きな人が同じと分かるところまでだった。
今度芽衣ちゃんに会うまでには、なんとか完成させたい。
「えーココのマンガ!? 読みたい! 見せて見せて!」
「しーっ! しーっ!!」
ココはあわててくちびるに人差し指を当てて、大騒ぎしたジンちゃんを
母は、ココがマンガを描くことなど理解してくれない。そんなくだらないもの描かないで勉強しなさいとすぐ怒るのだ。隠れてコソコソ描くしかないのだが、それだとどうも進みが悪い。
それで前の学校の時と同じように、休み時間に描こうとノートを持ってきたのだが早速ジンちゃんに見つかった。
「ちょっとぉ、恥ずかしいじゃん。大きな声出さないでよ」
「ごめんごめん」
ふくれるココにジンちゃんは謝るが、言葉だけで顔は笑っていた。幸い他のみんなは教室のなかで大騒ぎしている、雨の日の昼休み。誰もジンちゃんの言葉を気に止めている様子はなかった。
男子は七人全員で、廊下で野球をやっている。バッドがほうきで、ピッチャーの大将がカラーボールを投げている。新しい学校は校舎の大きさに対して人が全然いないから、中でものびのび遊び放題だった。先生に見つかったら、廊下で野球は怒られるけど。
教室のなかでは、入り口近くでオシャレな亜里沙とお金持ち珊瑚とカエデちゃんが、大きな声で楽しげに話している。あの三人は中学受験グループだ。
「前の学校の子に見せなくちゃいけないから、早く仕上げたいの」
「ええーあたしも見たい! ココの絵、超可愛いんだもん。マンガも絶対面白いはずだよ、見せてよー」
ココの前の席に座ったジンちゃんは、手を合わせて体をくねらせる。ジンちゃんの長いポニーテールの先が、ゆらゆらと揺れた。
転校翌日、頼まれてジンちゃんの前で女の子の絵を描いたら、可愛い可愛いと言ってくれた。そのジンちゃんにマンガも見せてと言われたら、断ることはできまい。
「いいけど……ちょっと恥ずかしいなあ」
「全然! ココのなら絶対面白いって」
ココは少しもったいぶってみるけれど、ジンちゃんはそんなことなど一切お構いなしだ。机の上からノートをさっと取り上げて、すぐに最初のページから読み始めた。下を向いて読むから、その表情は読めない。なにか声を出すわけでもなく、無言のままジンちゃんはページをめくる。ドキドキしながら、ココは目の前で自分のマンガを読むジンちゃんを見つめていた。
長いようで、ほんの一瞬だったかもしれない。まだたった十二ページしかないから。最後のページまで読み終えると、ジンちゃんは顔を上げて大きくため息をついた。
「おもしろーい!」
「本当に!?」
ジンちゃんの感想に、ココは
「これって女の友情の話なんだね。同じ人が好きだって分かっても、二人は友達なんだね! ねね、続きはどうなるの?」
ジンちゃんが身を乗り出して、あれこれ尋ねてくるのもまた嬉しい。
ジンちゃんに見せてよかったなとココは照れ笑いを浮かべ、耳たぶをさわりながら思った時だった。ふいに、くるくる天然パーマにそばかすを浮かべた顔が、ジンちゃんの背後から現れた。
「ふーん、須藤さんってこういうの書いてるの」
「リセ!」
さっきまで教室にいなかったはずのリセが、机の上で広げられたココのマンガをじっと見つめていた。
「ちょっと見ないでよ!」
ココは慌ててノートをしまおうと手を伸ばしたが、一歩遅かった。リセがさっとノートをつかみ、立って許可なく読み始める。
「やめてってば!」
ココが立ち上がって取ろうとするが、リセはさっとそれを避ける。ココの手はむなしく、空気をつかんだ。
「ねえ返して!」
再び右手を伸ばして、やっとリセからノートを奪う。ジンちゃんには見せてもいいと思ったけど、リセに見せるのは絶対に嫌だったのに。
目をつり上げてギラギラとにらむココに、リセは頬を膨らませて不満げに言った。
「なんでジンちゃんには見せて、わたしには見せないのよ」
「だってリセは、自分が描いたのを見せてくれないじゃない!」
二人はジンちゃんを挟んで、にらみ合う格好になる。バチバチと音がしそうなくらいだ。
「リセぇ……」
間にいるジンちゃんが眉毛を下げた困った表情で、リセを見上げた。
「分かったわよ」
リセはあっさりとそういうと、くるりと背を向けてすぐそばにある自分の机の中から、一冊の大学ノートを持ってきた。段ボールみたいな茶色の表紙のノート。いつもリセが休み時間、一生懸命なにか描いているノートだ。
ココが受け取ろうと手を伸ばすと、リセはそれをさっと避ける。
「ちょっと!」
「一ページだけね」
ココの抗議など聞こえないかのように、リセは涼しい顔をして自分のノートをめくる。
──なんでわたしのは勝手にたくさん見たくせに、自分のは一ページだけなのよ!
妙にもったいぶっているページをめくるリセのその仕草も、ココの怒りを一層刺激する。
「このページでいい?」
たっぷり時間を取ったあと、ようやくリセがノートを開いて見開きの一ページをココに見せた。
「ええっ!?」
ようやく見せてもらったココは、飛び上がらんばかりに大きな声を上げる。同時に一瞬にして顔が熱くなるのを感じた。きっと耳の先っぽまで真っ赤になっているだろう。
「ちょっと須藤さんには、刺激が強すぎたかなあ」
言いながらノートを閉じようとするリセの手を、ココは力強くつかんで動きを止めさせた。
「ちょっと痛いってば!」
「このページは見せてくれるって言ったじゃない! このままの格好でいいから! まだいいでしょ!」
ココの気迫に押されたリセは、分かったわよと小さく言って手の動きを止めた。机の横に立ったリセが自分の前でノートを開き、それを椅子に座っているココが顔を真っ赤にしながら食い入るように見る。妙なかっこうだった。
「なにこれ、すっごい……」
しばらくしてココの口から出たのは、賞賛の「すごい」とは違う。
「すっごいシーンじゃん……」
だってリセが描いていたのは、女の子と男の子が教室でぎゅっと抱き合っているシーンだったからだ。
「そう? まあ友達の同じ人を好きになったからって、レンアイよりユウジョウを取る須藤さんのマンガからしたら激しいかなあ」
リセはふふんと鼻を鳴らしながら、ノートを閉じた。なんか自分のマンガをバカにされたみたいで、ココはくちびるをかみしめた。
「そんなことないよ、ココのだって超面白いじゃん! リセはちゃんと読んでないからそう言うんだよ」
すかさずジンちゃんが、フォローを入れる。だけどそれもちょっと空回りしてると思った。ジンちゃんは本当にそう思ってくれてるのかもしれないけれど。
抱き合うシーンなんて恥ずかしいし、そもそもココには、あんな風に抱き合う人間なんて描けない。それに抱き合ったあと見つめ合う二人。アップの男の子の顔は、ちゃんと男の子で──くやしいけれど、かっこいい顔に描かれていた。
でもあの男の子、どこかで見た顔に似てるなあとココは首をひねる。
「その男の子さ」
ココが言いかけると、ジンちゃんがうなずきながらそうなんだよと言った。
「あれね、フブキくんなの。ね? リセ」
「ジンちゃん!」
リセがキッと鋭い視線を送って、ジンちゃんを制するがもう遅い。ココはその名前に合点がいって、ああと口を開けた。
「フブキって、あの『イプシロン・ツェット』の? 確かにそっくりかも!」
イプシロン・ツェットは、今アニメもやってる小中学生に大人気の少年マンガだった。主人公のサッカー少年。ココの家では見せてもらえてないからそんなには詳しくないが、それでも名前と顔くらいは知っている。
「えっ、でもなんでフブキなの? これはフブキのマンガなの?」
「フブキかっこいいじゃん。わたし、好きなのよ」
得意気なリセだが、ココはいまいち意味が分からない。
「テレビでもやってるのに、フブキのマンガを自分で描くの? 写すとかでもなくて?」
そもそもイプシロン・ツェットはサッカーマンガだから、リセが描いてたようなラブシーンはないはずだ。
「リセが描いてるのさ、フブキとリセのラブストーリーなんだよ」
「えっ!?」
困惑するココに、ジンちゃんがそっと耳打ちした。ココは即座に驚きの声をあげる。
「自分とフブキの話!?」
更に意味が分からないが、確かにさっきのフブキと抱き合っていた女の子は、ふわふわ天然パーマに小柄で、リセに似ていたかもしれない。そばかすはなかったけれど。
「ちょっとジンちゃんやめて! いつも違うって言ってるでしょ! 女の子の名前は
あれだけ余裕で得意気だったリセが、真っ赤になってジンちゃんに怒る。でもそんなことは気にせず、ジンちゃんはいや絶対そうだってーとへらへら笑いながら返していた。
セリカは、リセの反対読みだ。否定してるけど、きっとリセ自身を投影しているのだろう。自分とマンガの主人公のラブシーンを描くのも驚きだが、ココはリセの絵の方が何倍も何十倍も衝撃的だった。
前の学校ではココが一番絵が上手だった。それなのにリセはココより全然すごかった……!
ココのマンガを見たときの、リセの笑い。余裕の表情。あれはきっと「なんだこんなものか」と思ったに違いない。
ショックだった。
遠くで昼休みの終わりを告げるチャイムがなる。みんなが慌てて自分の席に着いていくのを、ココはぼんやりと見ていた。
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