2.ココア
真新しい校舎に、真新しい廊下、真新しい教室。
今日からココたちが通う『あけぼの小学校』は、今年の四月にできたばかりのピカピカの小学校だ。
山ノ上ニュータウン、文字通り山の上を切り拓いて次々とマンションが建てられた新しい街である。山の西側には五年前から『しののめ小学校』があったが、その後東側の開発も進み、今年の四月にこの『あけぼの小学校』が開校したのである。
四月の開校時には、五年生五人を含むたった35人の学校だった。そして今日、二学期の開始とともに68人の転校生がやってきて、全校生徒103人の学校となったのである。
ココも、この夏休みに新しいこの街に引っ越してきた転校生の一人だった。
「
ココは黒板の前に立ち、ぴょこんと頭を下げた。耳の下で二つに結んだ髪が合わせて揺れる。
転校生が多いから、全員で自己紹介をしましょうと担任の羽村先生が言った。微笑むと皺が沢山出来るおばあさんみたいな先生だった。年は六十くらいだろうか。顔はしわが多いが、ウェーブがかった髪は長くて真っ黒だった。
一人ずつ順番に黒板の前に立ち、自己紹介をしていく。ココは前の学校では保健委員の副委員長もしていたから、みんなの前で発表することは慣れている。だけど初めて会う生徒たちの視線にドキドキしてしまい、名前と簡単なことしか言えなかった。
お辞儀のあとに教室のみんなに拍手をされ、どこか落ち着かない気持ちで前に立っていると、男の子の大きな声が聞こえてきた。
「ココアは飲み物ですかー?」
──また、いつものだ。
ココの顔が、さっと赤くなった。
「
間を置かず、羽村先生がさっきまでの穏やかな様子とは打って変わって声を荒立てた。窓際一番後ろの席に座っている、ひときわ大きな体の男子が小さく舌を出した。
大将というのはあだ名だろうか。その名の通り机からはみ出るくらい縦にも横にも大きくて、くりくりの坊主頭の男子だった。ココはドキドキする心臓に負けじと、勢いよく右手を上げた。一斉にクラスメイトの視線が、再びココに集まった。
「ココアだと飲み物なので、ココって呼んでくださいっ」
ココの発言にみんなは目を丸くする。静まり返った教室に、ココはノリを間違えたかなと不安になった。からかわれると、ついつい言い返したくなるココの癖。最初が肝心なのに。
しかし静まった教室で声を出したのは、からかった当の大将だった。
「じゃあオレと同じじゃん! 心愛だからココね。俺は大将って書いて『ひろまさ』だから、大将だ!」
ココの言い返しなど全く気にせず、大きな声を出す大将に羽村先生は眉を下げて呆れた声を出す。
「大将、あんたの自己紹介の番じゃないでしょ!」
先生の声にどっと生徒たちが笑い声をあげる。教室中の張り詰めた空気が一気に和んだ。ココはそっと心のなかで、安堵のため息をついた。
羽村先生の号令で帰りの挨拶を済ませた途端、腰の長さほどの髪をポニーテールにした女の子がココの席へ駆け寄って来た。
「ココちゃん! ねえ、これからココって呼んでいい?」
女の子は笑顔でココに話しかけてくる。
さっきの自己紹介でこの子はなんと名乗っていただろうかと、ココは一生懸命記憶の糸をたどる。女の子はココが思い出す前に、笑顔のまま名乗った。
「あたしはね、
ココのことは呼び捨てで呼びたがるのに、自分はちゃん付けで呼んでとは図々しくて面白い子だ。急に話かかけてきたジンちゃんを、ぽかんと見つめていたココは、よろしくと返して顔を崩した。
「あたしはさ、四月からここにいるからさ。分からないことがあったら何でも聞いてよ!」
笑いながらジンちゃんは、頬の横でピースサインを作る。ほっぺにぺこんとできる、えくぼが印象的だ。何とも心強い申し出をしてくれているけれど。
「でもなんで、わたし?」
転校生は他に九人もいるのだ。特に近い席でもなかったのに、どうしてココに、真っ先に話しかけてくれたのだろう。
「絵を描くのが好きって自己紹介で言ってたでしょ。仲良くしたいなって思って」
「ジンちゃんも、絵描くの好きなの?」
ココはぱっと目を輝かせる。前の小学校でココは、保健委員のポスターを描いたり、学級新聞に挿絵を描いたりしていた。ノートにマンガだって描いている。前の五年生のなかでは、ココが一番上手だったと思う。ココなら絶対マンガ家になれるって、みんな言ってくれていたもの。
「ううん、あたしは全然」
ジンちゃんは手を振って否定すると、後ろを振り返る。そして黒板の前でぼんやりとこちらを見ている女の子の腕を取って、こっちへ引っ張って来た。ココはあ、と声を上げる。
「リセがさ、絵が超うまいの。だからあたしたち友達になれそうじゃない?」
リセ、
だって今朝すれ違った、あの女の子だから。
「ちょっとジンちゃん、転校生戸惑ってるじゃん」
リセだって眉をハの字にして、ジンちゃんの腕を振り払おうとする。それは困った表情にも、ちょっと嫌がっているような表情にも見えた。
「別に困ってないよ。そんでわたしは
ココはリセのことをよく覚えていたけれど、リセの方ではただの転校生の一人としてしか見てなかったのだろうか。ぐずるモモとそれを急かすココを見て笑ったと思ったのは、ココの気のせいだったのだろうか。
ココはあれこれと思い直す。しかしリセはココのそんな気持ちを裏切るかのように、目を大きく見開いてぱちんと手を合わせて言った。
「ああ、大将が突っ込んだ『ココアは飲み物の子』だね!」
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