第9話 頂での初生活 くまと理想まで

 少女と幼女はパチパチと弾ける囲炉裏いろりの前で震えている。

 周囲は暗く、ひっそりしていた。


「さ、寒い」

「お姉ちゃん、手が痛いの〜」

「いや〜はは、朝になればお天道さんがあったかいからそれまで、ね?」


 どこが、ね?だ。それより早く凍死するわ!

 テミスは薄着のみどりを睨みつけるが、彼は板張りの床に布を広げて彫刻ちょうこくしながら苦笑するだけで、姉妹を温めるものは眼前の儚い灯火とうかしかない。

 ものが少なく、極寒であるにも関わらず暖を取るものが囲炉裏しかないという点から、早々にテミスは彼に見切りをつける。


「同じ人間とは思えません」

「ん、耳がくすぐったいよ」

「布団は一組しかない。誰が使うかジャンケンで決めようや」


 みどりは興奮していた。

 夜、自宅に友達が来てお泊まり気分であった。

 なお客の二人は凍死の危機に瀕しているが、こんなもので人は死なないとみどり自身が体験しているため一切気を使うことはない。


「リストに使わせるに決まってるじゃないですか!鬼ですか、あなた!」


 後ろからリストを抱きしめていたが、甲高い叫びに幼女は耳を塞いで被害を免れる。

 

「鬼ではない。平等なだけよ」

「詭弁です!」

「お姉ちゃん、うるさい……」


 カラカラと笑いあげるみどりと、彼がふざける度に冗談じゃないと反論するテミス、彼女の腕の中で縮こまるリストの初めての夜はカオスに更けていくのだった。

 最初はリストが、次にテミスが寝落ちたころ、みどりは追加の薪を入れて完成した木彫りのクマを手前に置く。


「暇つぶしにはこんなもんよね」


 やろうと思えば砂からでも同じものは作れる。ただし、そうして作ったものに心入れなど微塵もないが。

 みどりは余った木材から小物を彫り出すのが得意だ。

 きり一本と木を挟む両足さえあればアクセサリでもおもちゃでも、大抵のものは作れる。

 木彫りのクマさん、あぐらにほおづえをついてそっと呟いた。

 実用性のない道具はどうしてもみどりのなかで優先度が低くなる。

 物資はあるが、無駄遣いはできないのだ。


「神は土塊つちくれに命を吹き込み、人間を造られた……ゴーレム論の始発も始発。まあ土に限らず、魂の器としては木でも親和性はあるのだけど」


 土にもいろいろ種類があるように、木でも同様で魂の器には生命力を溜め込んだ原生林の木々が望ましい。

 みどりは土から命を造らない。

 もとより命のない土より、ある木の方を素材にした方が性能的にも優れているから。これまで何度も孤独を紛らわすために通った道、そして生み出された子たちはいずれ皆旅立っていく。

 自由を望む彼らを止めることはできなかった。いや『主人あるじ様に栄光を』とかのたまって旅団を結成し、深層(五百層以降)へ潜っていくあれらに着いて行けなかっただけかもしれない。

 クマの額に指先を当て、魔力を流して中に組み込んだ自家製の魔石を木と同化させていく。

 正直なところ、複雑な心を持て余していた。また変にこじれないか心配だ。

 

「『白書タブララーサ』己からのギフトだ」


 デフォルメされたクマはまだ眠っている。

 朝はまだ遠く、板張りに横倒しで寝てしまった姉妹に布団を用意し、囲炉裏のそばで彼女らを寝かせるのだった。



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 テミスは温まった毛布のなかで目を覚ました。

 囲炉裏の火が消え、残り煙が一筋たちのぼる。外からの光が木窓から差し込み、静粛な空気がいおりに満ちていた。

 みどりはいないようで、上げかけた頭をふたたび布団に沈める。

 もうあの家ではない。あの父はいない。

 それを自覚できただけ、緊張の糸がなん本か緩んだ。……にしても、期せずして男の子の家にお泊まりしたという事実が成り立ってるのがほおを赤くする。

 これも初めてだ。

 いやだ、なんかやらしく思えてきてしまう⁉︎

 妹の眠っているのをいいことに、テミスはナニを脳裏に描いたか。金髪美少女もてるといえど、思春期の少女である。


「……?」


 目についたのはほんの偶然、地続きの床の先でなにかが動いた。

 首をもたげ、少し目を凝らせば木のクマであることがわかった。二足歩行でトットットと歩くたびに硬い物のぶつかる音がする。

 クマは小さく、ぬいぐるみのように可愛らしい。


「く、くま〜」

「え……?」


 悶々と赤面していたが、鳴き声まで聞こえてしまえば想像の産物と断じることができない。

 つまり、つまるところ、木のクマさんは動いて鳴いていた⁉︎

 文字通り布団を吹っ飛ばして猫特有のフレーメン反応のごとき変な顔でクマを凝視した。


「く、くまままま‼︎」


 両手を万歳してクマはひっくり返ってしまった。

 きまずい沈黙、顔がそんなに恐ろしかったのかと傷つきつつテミスは冷静を取り戻す。

 まだ丸まっているリストに毛布をかけなおし、自身はクマのもとまで四つん這いで近づく。


「組成はゴーレム?木材での試みはされてるけど、そも土を想定した魔法だから根本からの改造を必要としてまだ実用には至ってないはずなんだけど……」


 ピクっと片眉が上がる。

 いるではないか、謎の効果をもつ行燈ださいシンボルの首飾りを妹に渡し、詠唱魔法などという現代で見向きもされない魔法技術を意気揚々と使う異常者やばいやつが。

 手間暇を愛するみどりなら……というか昨日彫っていたのはこれじゃないか?


「謎ね……」


 すべてはみどりのみぞ知る。

 現代の魔法愛好家マジックフィリアによる彼への尋問が決定するのであった。


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 みどりの朝は早い。

 普段から眠らず朝を迎えるなんて珍しくもないが、この日は違った。

 

「……そうだ、島にしてしまえばいい」


 白一色のぼんやりした濃霧に包まれた庵、その戸の横にある長椅子に腰掛けてこうべを垂れていたが、パチリと目を開けてひらめきが走る。

 弾かれたように立ち上がった。

 眠っている間に、頭が勝手に考察を深めているようで不思議な気分だ。

 

「島、炉、大気……」


 ペンと紙、ペンと紙。

 みどりは両手をさまよわせ、虚空から布紙と骨の万年筆を引っ張り出す。

 書面へ目を向けず、天を仰いだまま凄まじい勢いで行数が増していく。顔には耳まで裂けんばかりの笑みが張り付いていた。


「あはは、島自体を魔力炉の機構として成立……防御性にて不可逆的問題を発見、だめ。では二律式にりつしきで空間を拡張し、そこへ魔力炉を挿入……二律式の維持にエネルギー問題あり、考を保留とする」

 

 正気へ戻る頃には、濃霧は晴れて崖先より雲海が広がっていた。

 あとは黙々と布紙と空間ボックスへ放り込む。

 朝のテンションなどそんなもんだ。しかし、木窓からその光景を見ていたクマはあわあわ。彼の知識が詰め込まれたクマは『主人様のご乱心だー!』と右往左往する始末、ついにはテミスの顔に気を失ってしまった。

 

「く、くまままま‼︎」

「?」


 みどりは緊張感のかけらもない叫びを耳にしたが、駆けつけるような危機でもないだろうと、寝ぼけまなこをこすりながら朝風呂のためにドラム缶と転がすのだった。



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「可及的すみやかに解決しなければならない問題があります」


 生活に関わる三大問題。


「まず、服!次に食!最後に家!谷々さん、あなたこれまでどうやって生活してきたんですか⁉︎」


 長椅子にみどり、リストが並んで座る前でテミスが翠玉エメラルドの瞳をこれでもかとかっらいて気炎をはいていた。

 すみで居眠りしていたクマがひっくり返って板壁に頭をぶつけ、一斉にそちらへ視線がむかう。


「く、くま」


 出会いが出会いであったためか、クマはテミスを怖がってみどりのシャツのすそをはさむ。

 みどりは相手にせず、リストが反対から手を伸ばすが、クマは隠れたままだった。


「……くーちゃんはほっとくとして」


 森のクマさん、くーちゃんと命名される。

 みどりとリストは、とくに違和感もないので流す。


「好きなんだ、テミス」

「こほんっ、とにかく問題を上げていきますよ」

「はい。できることは尽力するから、て言うか大体解決できる」


 テミスは思わず顔をしかめた。

 飄々と言ってのけるが、彼女が物申そうとしているのは数えて十を超える。

 中には女性としてデリケートな問題もある。軽々しく扱われるのはいささか不快だった。

 みどりもそんな彼女の表情に、とはならず、カジュの草を山羊のようにむしゃむしゃ貪っていた。小腹の足しにしているのだろう、眠そうにしているリストにも手渡している。

 テミスにはただの雑草にしか見えないが、きっと食べられるものなのだろうと結論づける。

 完全におやつをあげるおじいちゃんの図だ。


「……話聞く気あります?」

「ん?安全な衣食住の確保でしょ、聞いてるよ」


 もう返答に期待するのをやめたテミスは、独り言のように語り出すのだった。


「ふうむ、じゃあ住まいについては防寒を基礎に調理場と風呂を用意。食はテミス監修、服は己が直接採寸……己、男だけど」


 怪訝そうに上目遣いで『いいのか』と聞いてみるが、テミスの表情に曇りはなかった。

 いっそ清々しい。


「あなたは人外。男?はてなんのことです」

「は、鋼の精神だ……!」


 タオル一枚でドラム缶風呂に入っているみどりを目にして、テミスには分かったことがある。

 谷々みどりは女性に対して興奮しない。

 なぜなら


「そも、あなたは弱った女の子二人を拾った挙句に対価らしい対価も要求せず、終いには一緒に風呂に入らないかと寝ぼけながら誘うくらい性の境界が緩いように見えるので……」


 あれか、両性具有とでも言いたいのか。

 このとき初めて、みどりは目を細めてテミスを見つめた。傷跡の残る相貌は、テミスからしてなにを考えているか分からない。


「あれの副作用か。吉か凶か、思わぬところで役立つな」


 冷めた声色にテミスは己の失敗を悟った。

 まずい、なにがとは分からないけど、触れちゃならないところに触れた!

 考えればわかる話、深淵に住むような人間が正常なわけない。生き残るためになにをやっていることやら、それはテミスのような小娘に想像できる域を超えている。

 

「して、なにを固まってんのよ。テミス」


 少女は、別のなにかを目にしているようだった。

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