第6話 迷子には行燈を
橘のカーテンが飛行機雲に仕切られる夕焼け。
なかなか乙なものだと川沿いで目をすがめる。
日が落ちるのがはやいようで、もうじき黄昏であった。肌寒さに腕をさすり、手のひらを呼気で温める。マントはただのマントで、文字以上の効果は期待できない。
「いしや〜きいも〜おいも〜どんな〜ときいも〜」
通行人がいないことをいいことに、後ろ手に組んで夕方のセンチメンタルな気分に浸る。
いつ心臓を突き抜かれるかわからない深層域(五百階層以降)では味わえない情感に、ずっとこの時間が続けばいいのにとすら思えてしまう。みどりはある種、疲れを溜めていたのかもしれない。
気を張り続ける生活になって久しいいま、帰るこどもたちや五時のチャイムは人の街なのだと実感させる。だれもいない、霊峰ではないのだと。
当てもなく歩く。
さして未練が残る場所もなく、みどりはこのひと時の趣を少しでも長く味わっていたかった。日が完全に沈むと、暗い夜空に街明かりがぼうっと存在を主張するのがわかった。
街灯がちらほら点在する公園を通り過ぎようとして、「ぐす、ぐす」というすすり声に足を止めた。
口を緩めて、遠いむかしに聞いた童謡を口ずさむ。
「どこゆくこの子、わしと行く。泣いておらぬで顔をあげ、夕日に背を向けわが家まで、この子はわしと、帰りましょ」
声の元は陰る滑り台の下、ゆっくりと歩みより膝を折った。
「こんなところでどうしたの、少年」
「ぐす、ぐす……」
十歳に届くだろうか、暗闇でもはっきり分かる金の髪と潤んだ
深淵を訪れたであろう探索者の連れ人であるのは想像に難くない。
みどりは少女が会話できるまで待ち続けた。
しばらくして、リストという少女をベンチまで手を引いて同じ目線で語りかけていく。
「きみの名前はなんていうのかな」
「……リスト」
「そっか、じゃあリストちゃんとお姉さんはどこに行くつもりだったの?」
幼いリストは言い淀み、口をぱくぱくさせて必死に思い出そうとしているのが見てとれた。
「えっと、その……」
「分からないか。ねえリストちゃん」そう言ってみどりは虚空から
「これは
ゆっくりと、安心させるように語る。
少女がこくりと頷いたのを確認し、みどりも微笑んでうなずく。古木の枝から削りだしたチェーンをリストの首裏からかける。くすぐったそうに身じろぎするのでいささか手間取ってしまった。
「のぞめのぞめ、子は親を、旅人は故郷を、友は友を、先の見えない霧へきみはゆく」
行灯は浮遊し、灯籠の暖かな
「わああ!」
「……ふふ、さあ行こっか」
目を輝かせて石ころほどの行灯に夢中になるリストの手を引き、みどりは冬の底を歩き出した。
「くっしゅん」
「ちょっと冷えたかな。
「は〜い」
空に波紋を広げて物を出すみどりは、きっと奇術師かなにかにでも見えているのだろう。少女は不思議そうな顔をやめない。
白いぽんぽんのついたそれを着けさせ、赤らむほおをそっと撫でると、やはり冷たかった。もっと厚着させるべきなのだろうが、あいにく女児サイズの服の持ち合わせがない。
……作るか。
水、土、植物さえあれば大抵の物は作れる。みどりの言葉だ。
『移動式物作り』は触れたものの組成を組み替えられる。
それだけのスキルだ。しかし、使用には明確なイメージと製作過程を仔細まで事細かに記憶しておく必要がある。界隈では『高度すぎて誰も使えない』スキルとして人々の記憶に刻みつけられているほどだ。
自らの手で物を作ることにこだわるみどりとしては、こんなときに即興で欲しいものを組めることだけが『移動式物作り』の本懐だと思っている。
リストを抱き上げ、片手間に作り出す。
虚空から砂を、砂を糸に、糸を編んでピンクのニットセーターを仕上げていく。リストが耳元で「おお!」とか「きれ〜」とか感嘆の声を漏らしているのが新鮮だった。
往来の人々は目を丸くしてみどりとリストを振り返るが、彼はフードを深く被るにおさめるだけにとどめた。
出来上がったセーターを着たリストは上機嫌そのもので、すっかり抱っこ魔になっていた。
「ん、もう近いな」
「すう、すう……」
「子供は寝る時間、か」
散々歩き回って来たのは、一軒家の立ち並ぶ住宅街だった。
リストの首元で薄明かりが点滅しているのをみとめて、少女の姉が近いことを察する。
「迷子届けでも出して、家で連絡まち?」
なんというかしっくり来ない。
首を捻るも、リストに変なところはないし、両親と姉のいる一家なら一軒家も納得の住まいだ。どのみち探り当てるしかないのだからと、みどりは小さく息をついて最後にパートにかかった。
リストからは姉の話しか聞けなかった。それ以外をがんとして口にしないから、社会的に無知な方だと自覚しているみどりでもとある可能性が頭にあった。
白い家、新品みたいに壁がつるつるの、そんな家にたどり着いた。
インターホンを鳴らすと、若い女性の声が出た。
「はい、水崎です」
「夜分遅くに申し訳ありません、行商人の谷々みどりと言います。リストさんのご自宅でらっしゃいますか」
「っ今出ます!」
出て来た同い年くらいの金髪の少女を見て、みどりはずんと重いなにかが腹の底に鎮座するのがわかった。
目元には濃いくま、首までおおったニットセーターの手首の裾から垣間見える青痣に、一時閉口してしまう。少女は最初ほっと安堵していたが、次第に悔しそうに目を伏せて唇を噛んだ。
「……己は」
はっと顔をあげる少女に、見ないよう目を閉じたみどりは続ける。
せめてもの配慮だった。
「己は迷子について来た、ただの行商人だ。だから、きみの行為を咎めることもできないし、正解を示すこともできない」
「……ごめんなさい」
「己は行商人だ。対価さえあれば足元を照らす行灯くらい売って当然の人間だ。寒ければカイロを、手袋を、セーターを用意してやれる。どうせ物々交換ばかりの名前負け商人だから、そんなことしかできなんだけど……」
空いた手で、手製の
ラベルの名前、見られてしまったのだろう。
玄関の明かりに背を向け、寒天の夜空を見上げる。
泣き顔なんてだれかに見せたいもんじゃない。見ず知らずのみどりなら尚更に。
「明日の夜にまた来る。その時までに決めておくといい。対価はすでにリストから受け取ってるから、是も否も己にはありゃしないがね」
「……ぐす、はい」
「信用できないならそれでもいい。だからいま一度だけ自己紹介しとこうか」
麻の底、麻の紐でできた履き物のかかとを鳴らし、フードを取り払う。
幼い頃から栄養不足気味で背が伸びなかったみどり。
腕は細く、ズボンや長袖でないと骨の浮く手足を隠せない少年。
「
肩を張って笑う顔は、欠片ばかりの慈愛が滲んでいた。
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