第5話 みどり、地上へ墜つ
ダンジョンは未知を孕み、育む。
その日はかんかん照りで、布団を天日干ししていた。霊峰は風が強いためすぐにものがどこかへ飛んでいくので、物干し棒の近くに作業台を置き、飛ばされないか監視しながら研究をまとめるのだった。
日がてっぺんを回ったころ、『空中倉庫』の構想をまとめた書類を空間ボックスに入れて一休みしていると、ひときわ強い風が吹いた。
「やっば!」
弾かれたように目を向けた先は、すでに自前の布団が上空へと巻き上げられた後だった。
跳んで飛んで手を伸ばしても後少しで布団はつれなく離れていく。そうして悪戦苦闘の末、かすめた布団は虚空の亀裂、真っ黒な裂け目に入っていった。布団ばかりに注目していたみどりももれなく、そこへ。
みどりも知らない亀裂があったのだと思い知らされたとき、急に視界が晴れた。
「え、ちょ」
頭からアスファルトに突っ込み、ヒビを入れてしまう。
額をさすりながら体を起こすと、遠くの方にビル、マンションなどの文明がそびえていた。
おもわず思考が停止する。
懐かしい人の街、雑踏の熱と足音、嫌悪してやまないはずの人々の営みがすぐそこにあった。
みどりは、貧乏人だ。
生活保護を打ち切られ、母がいなくなったそのときから、一人の人間として独立せざるを得なくなった無一文の少年だ。
けれども、それが彼を地上から切り離す原因かといえばそうじゃない。
布団のことなど、目の前のダンジョンの未知に吹き飛ばされてみどりは立ち尽くしていた。
道ゆく探索者たちの顔がよく見えた。
そういえば今日は何曜日なのだろう。
天然の大空をあおぎ、緩やかな心地でふと思った。
「学生は皆無、と」
じゃあ平日かもしれない。
外の空気は軽く、みどりは今にも飛び上がりそうな気がした。
「あ、布団どこいった?」
そうだそうだと周りを見渡し、人だかりを発見した。
ボックスからマントを引き出して身につける。以前、顔を合わせたことのある探索者がいたのだ。皆、突然現れた布団に興味津々なようで、われ先に覗きこんでいる。
ただの布団をだ。
「見せ物じゃないんだけど……」
恥ずかしくなり、地面にボックスの入り口を開けて布団を落とし込む。集まっていた人々はおおいにざわついた。
普段から地面に入り口を出さないのは、閉じ忘れたとき、誰かが落ちた場合手のうちようがないからだ。
身を翻したみどりはボックスからフードのついたマントを取り出した。
街には探索者があふれている。ちょっと顔を隠して往来に出るものは珍しくない。
この際楽しむのも良いだろう。
羽を伸ばすのはいつぶりだろうか、浮わついた気分のみどりは探索者の街へ繰り出すのだった。
「あの人、まさか……」
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調査はひと段落、聞き込みの過程でいささかならぬ敵意を向けられることもあったが、赤髮のホノと銀槍のミサトは生きながらえた。
僥倖なことだ。
戦々恐々をわが身にしみこませた数日間を乗り越え、ホノは平日の学校ー探索者の育成高校の階段踊り場でぐっと背を伸ばしていた。
「あー平和よ。これぞ地上の日々ね」
「またなんかやったの……?」
また、などと言われるのが気に触るが、ここはお姉さんの余裕のというやつだ。流してやろう。
あきれ返る糸目と癖毛の少女に、ホノは反論せず顔を上げた。
「まあね、同業者に取材してたら殺されるかと思った……」
「前後がかみ合ってねえよこのポンコツ」
「だー!深淵の行商人について聞きまわってたのよ。そしたらさ、その行商人に恩のある人がわんさかいて、めっちゃ睨まれてきたんだよ!これでいいでしょオリー」
毒舌が味のオリーは途端に胡散臭そうに距離をとるが、こんなとき調整役にして言質に一定の信頼があるミサトがいないのが惜しまれた。
オリーはあたまから否定するような人間ではないが、あの深淵に行商人がいるという話を聞いたことはない。
とりあえずだ、手で先を促す。
「で、そもそも行商人てなに」
「そっからか……行商人は、深淵で現れる少年のこと。わたしも会ったけどすぐにどどっかへ消えるし、深層の素材と上層の素材を物々交換してくれる変な人」
「一人だけ?」
「……だろうねえ」
語るに謎だらけである。
オリーは前かがみの姿勢を解いて、適当に外を親指で指す。
冗談半分に学校の沿道、フードをかぶっているが若い横顔が覗いている男の子を。彼は木漏れ日にあたって心地よさそうに目を細めている。
「それってあんなネコみたな感じの子?」
「ん?そうそうってああああ!」
ホノは未成年ではミサトを除いて日本内で唯一の第二級探索者(深層への入界を許可された実力者)であるため、彼女やミサトが登校すれば人が集まる。
そんな騒ぎを嫌って人気のない階段踊り場にたむろしていたため、さいわい生徒が駆け付けてくることはなかった。
なんでここにいるー!
愕然と外を見つめるホノに対して、みどりの実態にぴんときていないオリーの方が迅速な対応をした。
「行ってくれば?普段深層にいるなら一か月二か月じゃ会えないんだし」と手すりに頬杖をついて言うオリーの助言に、反射的に窓を開けて飛び出した。
「屋上で日向ぼっこしてるミサトにも伝えておいて!」
「りょーかい」
オリーは学校を抜け出すのに、ためらいがない彼女に肩をくすめて階段を上っていくのだった。
ホノは深層に潜れる探索者だ。
校舎から道路まで助走をつけずとも、一秒もあれば足がつく。地面に降り立つときは最小の衝撃に抑え、そこで動きを止めずみどりの背へと踏み込みをかけた。
深層に潜る探索者ともなると、動きの切り替えの滑らかさやとっさの機転が生死を分ける刹那の世界で戦うことになる。モンスターとの接触を避けられるのは一部の
「ちょっとむぐう」
声をかけようとしたホノの視界が、急に真っ暗となり首を絞められる。
このないようである柔な感触は、ミサトか!
「いまめっちゃイラついたんだけど、なにか知らない?ホノ……」
「っぷはあ。し、知らないかな〜。てかなんで止めんのよ」
ゆるい拘束が解かれ、向き合ったホノの第一声は抗議だった。
泰然と腕を組むミサトは、遠くのビルを指し示して馬鹿を諭すように告げた。
「あの物騒なスナイパーに気づかないの?」
言われて悟る、首筋をチリチリと焼くその視線を。
ホノは盛大に冷や汗を吹き出し、ミサトの体を盾にして身を縮めた。頭ひとつ抜けた高層ビルの屋上、二脚を備えた銃身が二人を捉えている。
「おい、なにやってんだ馬鹿野郎」
ドスのきいた脅しがあった。
「だだだって、完全に捕捉されてんじゃん。しかもなにあのでっかいライフル、対大型モンスター用の榴弾砲じゃないよね⁉︎」
「……トリトン31『沈黙の悪魔』まったく」
「はあ⁉︎そんなの人にむけんなや!」
奪おうとした国軍の戦艦を一撃で沈めた長大魔力式ライフル『トリトン31』。
二人はこの流れを知っている。予言すらされたのだから、察せない方がおかしい。
「間違いなくみどりくんの信者ね。それも一人じゃなさそうだし」
「ううえ、濃い濃い濃いって……」
顔を引き締めたミサト、その場で自分たちに必殺を降り注ぐことのできる気配にむせるホノ、ここまで来れば引き返す選択肢は塞がれたとみるべきだった。
『みどりに手を出すな』
平穏な街路道は、二人にとってギロチンへの一本道である。
大人しく両手をあげてみどりを見守る側に付いた。
「過保護すぎんでしょまじで……」
「守るものあれば攻めるものありってことよ、ホノ……」
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