背負う者

はみのめ

背負う者

 最近、私はいいものを手に入れました。たった50年前でしょうか。たまたま冥界に用事があった時に、ちょうど石のようにころがっていたので、戯れで契約を持ちかけました。最初はただの気まぐれでした。遊んで壊れたら捨てようと考えていた、それだけの玩具でした。所詮は辺境の世界の下等生物ですから。えぇ、私は見誤っていました。私が玩具を手に入れた翌日、手始めにあの玩具に星を滅ぼすように命じました。すぐに壊れて死ぬだろうとばかり思っていました。しかし、あの下等生物は思った以上に頑丈で、滑稽で、数億年退屈していた私に娯楽をもたらしてくれました。それはもう…! 哀れで、滑稽で、様子を眺めているだけで活力をもらえるくらい面白い。気が付けば、私はあの下等生物に祝福を与えていました。私はこの判断を後悔していません。何故なら、あの玩具は長い間私を楽しませましたし、きっとこれからも私を楽しませるでしょう。追い込まれて、壊れそうになる狭間。そこで何を見せてくれるのか、とっても楽しみです。さあ、私の玩具の滑稽なショーが始まりますよ。


 息を吸ったら肺が焼けてしまうほどの空気が渦巻いている。火の粉がほのかに顔を掠めていくのを感じた。俺は鉛のようで動かない体を引きずり、目の前の獲物へと距離を詰めていく。あたりは家が崩れ、瓦礫の山だ。あたりは赤色に包まれていて、まるで俺の怒りのようだった。

 「く、来るな!」

 目の前の髭面の男が俺に泣き叫んだ。当然俺は距離を詰めるのをやめない。やめるわけがない。

 「なんで俺たちの世界を滅ぼした! なんで目の前で家族を殺したんだ!」

 さも当然のように被害者ぶる目の前の異質人。憎悪と怒りが煮えたぎってくる。あの時の匂い、感触、感情全てを思い出してしまう。頭が憎悪と恐怖、怒りで掻き乱されている。だが、これだけは言える。俺が非道なら、お前らはもっと非道なクズだ。

 俺は冷酷に髭面の男を見下ろした。髭面の男との距離は、すでに目と鼻の先だった。

 「なんでだ! 俺たちはお前には何もしてない! 理不尽だ!」

 「何もしてない……だと? 白々しいな」

 つい、口を開いてしまった。何もしていないわけがない。俺たちの師匠を目の前で拷問した上に殺し、親友すらもその魔の手で地獄に叩き落としたお前らが、何もしていないだと。ふざけるのも大概にしろ。これは報いだ。俺にとって、とても都合のいい報いだ。

 また、憎悪と怒りが溢れてしまう。ドス黒い感情のまま、俺は目の前の髭面の顔面を蹴り上げ、地面に横倒しにした。そして俺は傷を抉るように髭面の体を踏みつけた。抉った傷から血が吹き出し、あたりに血溜まりができている。

 「けだものめが……地獄に、堕ちろ」

 その言葉を最後に、不愉快な言葉は途絶えた。心底最悪な気持ちだった。気分が永遠に晴れない。誰のためにこの復讐をしているかがわからない。いや、それは違う。俺はずっと前から全ての責任を放棄して逃げてしまいたい。元々振り返れば俺が復讐を始めた理由なんて紛れもなく自分のためだった。だが、あの日に灯した憎悪の灯火が、無関係な場所までに燃え広がってしまったのだ。俺は親友が死んだとき、現れた最高神と取引をした。そして、幾億に上る命をこの手で葬った。

 悲鳴がずっと脳裏にこびりついていて、頭の中でこだましている。聞き慣れた罵詈雑言の数々に、殺し殺されでついた傷。地球で育んだ温かい記憶も、殺戮の真っ赤な血のペンキで塗りつぶされていく。こんな地獄、前の俺だったらすでに自分の喉元を掻き切っていた。今はもう戦場の中で投げかけられた罵詈雑言に対してほとんど何も感じることはない。日常生活の小さな喜び、小さな絶望、小さな驚き。それすらも感じることができない。だからこんな狂気じみたことが続けられる。意識はずっとぼんやりしていて、今自分が何をしているのか理解できない時だってある。考えること、抗うことをやめた自分は人間の皮を被った何かに成り下がっているのだろう。だが、俺が求めてしまったこの復讐を果たしているときだけは、はっきりとあの夜を思い出せる。師匠の悲鳴が響き、親友があまりにも怯えた顔で目を背けたあの夜を。俺は余すことなく全て経験した。師匠が次第に動かなくなっていく様を見た。悲鳴が徐々に小さくなっていったのをずっと聞いていた。経験したことのないほどドス黒く、言葉では言い表せないほどの深い感情が噴き出ていた。周りの車が走る音、救急車のサイレン、赤色灯の光。全てが聞こえなくなって、見えなくなった。意識すらもなくなって。気づけば肉塊が転がり、親友は気絶している。あぁ……俺は堕ちたんだ、と確信した。それから俺はずっと復讐に明け暮れていた。そして、唯一の親友が、俺の大切な人が異質に飲み込まれたあの夜。俺は親友と心中した。

 神の命令とはいえ、数えるのが億劫になるほどに復讐一心で世界を滅ぼし、数え切れないほどの生き物を殺すなんて地球にいるとき誰が思っただろう。客観的に見れば親友とおとなしく死んでおくべきだったのだ。あの時、アポカリプスの条件を突っぱねて地獄に行っていればよかった。だが、またあの時を選ぶ選択権が俺にあるとするのならば、俺は変わらず殺戮の道に進むだろう。俺の大切な親友が死んでしまうなんて絶対に納得ができないだろうから。アポカリプスの主従の契約の条件を否が応でも飲んでしまうだろう。俺は何も感じることがない殺戮人形だ。それでも、少しだけ。本当に少しだけ疲れてしまっただけ。

 殺しの相棒である鎌を能力で生成する。数メートルにも上る大鎌は、命を刈り取るには十分な鋭さだ。鏡のような刃に写る自分は死人のような顔色をしている。何度、この行動を繰り返せば俺は地獄に行けるのだろう。鎌をやっとのことで自分の首に押し当てることができた。無駄に大きいから、自分の首を切る時は苦労する。最期となると、人間の生存本能なのか。いつも鈍かったはずの痛覚が研ぎ澄まされている。首からほのかに生暖かい液体が滴るのを感じた。


 「やめなさい奴隷。あなたに死ぬ権利を与えた覚えはありませんよ」


 目の前の火の粉が光を集め太陽のように眩しくなった。思わず目を瞑ると純白が似合う赤眼の神が現れた。俺はため息をついた。あと一歩で終わりだったのに。また邪魔するのか、最高神アポカリプス。

 アポカリプスは俺の鎌を指で触れただけでバラバラに破壊した。そして、バラバラにされた鎌だったものの粒子を俺に押し込み、口を開いた。

 「何度言えばわかるのです? あなたは辺境の世界の下等生物とはいえ、そこまで出来損ないではなかったはずですよ」

 「俺は、もう死んでしまいたいんだ。今なら、死んでも地獄に行けるだろう?」

 アポカリプスはため息をつき、呆れたように俺を見つけた。

 「以前も言いましたがあなたは私のお気に入りです。滑稽さが見てて飽きませんから。それを抜きにしたとして、あなたを殺したらあなたの大切な親友の平和な日常が崩壊しますよ。それが条件だと契約時にお話ししたはずです」

 性格が悪い神だ。俺がこうなることを知ってか知らずか、契約内容がどこまでも俺を苦しめる。どうしてもこの地獄を生き続けないといけないのか。本来なら、種族、世界、生命を奪う罪を償うべきだ。だが、俺は償える気が全くしない。今まで何百の世界を滅ぼした? 今まで何億の生物を殺し回った? 俺は、この地獄から真っ先に逃げてしまいたいと思っている。だが、アポカリプスはそれを許さない。元々逃げ道などなかったのだとわかった途端、乾いた笑いが込み上げてくるような気がした。あぁ、本当に哀れだ。

 「……死なないなら別にあなたが何をしようが自由です。その権利は与えました。しかし、契約時に私とともに異質の殺戮をすることもお話ししました。あとは、分かりますね」

 この地獄はまだまだ続く。このしぼりカスのようなわずか心がなければこの言葉を素直に受け入れ、異質を破滅に導けたものを。今年で50年。アポカリプスが歳をとる権利を授けていないために俺は歳をとることすらできない。自然に死ぬことは絶対にないのだ。本当に苦しい。生き地獄とはまさにこのことだ。

 「次の世界はここです。ここに行って異質を殲滅なさい」

 それを言い残した後、アポカリプスは消えてしまった。また自殺しようとしてもすぐに現れやってくるだろう。相変わらず鉛のように重い体。焦土から立ち上がり、世界の狭間にトボトボと歩いて行った。

 地面の熱を感じ取りながら長い道を歩いていく。その中でずっと、頭の中で葛藤を続けていた。俺は親友が幸せに生きているならそれ以外はどうでも良かった。だからアポカリプスと『親友を生き返らせ、別の世界で平穏で平和な人生を歩ませる代わりに俺はアポカリプスに服従し、アポカリプスの命令を絶対に遂行する』ことを条件に契約した。俺と心中を選んだ親友の人生に納得することができなかったからだ。親友のようないい奴が苦しんで死ぬなんて許せなかった。親友には平穏で、平和な人生を送って欲しいと願ったからこそ、俺は殺戮の道に進んだ。だが、果たしてこれで良かったのかと最近思い始めてしまっている。あいつは俺より先に死ぬだろう。しかも、よりによってあいつは「お前、相当やらかしたな。さっさと地獄に行けよ、俺も一緒に行ってやるから」とか言うようなやつだ。だから、絶対に俺が死んだ時に確実に迎えにくるだろうな。俺とあいつが再開した時、あいつは俺の姿を見てどう思うだろう。殺戮をして地獄に落ちてしまう俺を見て、何を思うのだろう。俺の死期が近いのか、そんなことばかり考えてしまう。


 あの焦土からかなり離れた森だった跡。全てが燃えてなくなっている。そこに、不自然に、どこまでも広がる渦がある。まるで世界の果てのようだ。世界の壊滅に奇跡的に生き残った小動物が、炎から逃げるように渦に入り込んでいく。入り込んでいくと同時に、砂のような塵となって消えてしまった。どんなに小さい虫も、どんなに大きい動物も、渦に触れた時点で消えていく。俺はそんな生き残った動物たちに構うことなく渦に触れ、世界の狭間に入り込んだ。

 一本道の通路に出た。そこは宇宙空間の中、ガラス張りの一本道が続いているようなもので、四方八方からアポカリプスの支配する世界を見渡せた。ここまで広大だとただの一世界も星のように小さく、一つ一つが煌めいている。まともに命がある生き物では見ることのできない絶景だ。

 通路の中に一つ一つ渦のようなものがある。そこから天使や神が吸い込まれたり、渦から出てきていたりしている。通路は決して静かではなく、天使の歌声や神の音で溢れていた。

 考え事をしていたからだろうか。俺はすでに目的の世界の扉の前に立っていた。渦は淡い虹色に輝いており、異質の侵食が見受けられた。

 「異質がもたらす変化……それは、アポカリプスが最も嫌う現象だ。存在することすら悪にされてしまったからな。異質は。こんな境遇でなければ心底同情しただろう」

 懺悔のようにこぼした言葉は賑やかな天使の歌声と神の音にかき消され、虚無を引き寄せた。俺はそんな虚無に耐えきれずに、振り払うようにして異質に侵食された世界に侵入したのだった。

 


  世界の果てからようやく世界の全容が見えてきた。懐かしい緑の煌めきが地球を思い出させてくれる。数ある世界の中には魔力の保護なしでは呼吸すらままならないところや、そもそも魔力すら役立たずでアポカリプスの加護に頼らなければ生きることすら不可能な場所もある。気を引き締めて行かなければ。

 驚くことに、この世界は俺が育った地球と同じ環境だと分かった。俺がアポカリプスの余計な加護や魔力なしで呼吸できているのがその証拠だろう。ひとつ変わった点を挙げるとするならば、見かける人々全員淡い虹色の結晶、すなわち異質に侵食されていることだけだろうか。遠くで無防備に農作業に営む人々。淡い虹色の結晶に侵食されていると言うだけで、「あ、この隙で確実に殺せるな。」とか、「ここで切りつけて反動から流れるように刈り取れる」などと反射的に考えてしまう。確実に病気でしかない。

 久しぶりの空は見慣れた青さをしていて、太陽のような光が照り付けている。空気はこんなに爽やかなのに、どうして俺はこんなに息苦しいのか。足取りも枷をかけられていると勘違いするほど重い。ああ、本当、こんなことずっと考えていたらだめになりそうだ。

 

 気晴らしにでも、と始めた異質の影響で変化してしまった生物の討伐。結局この世界を滅ぼすまではやることもないし、かといってのんびりしていたら変なことを考えて潰れそうだ。こうなってしまうと、考えることすら許されない戦場に身を置くしかないのだろうなとしみじみ感じてしまう。いっそのこと、アポカリプスが全部奪ってくれたら楽だったのに。本当に悪趣味だ。本当に世界を統べる神なのか? いや、世界を統べるのだからこそ性格が悪いのかもしれない。

 手に残る感触がもはや日常となっている。どうしても手に馴染んでしまうのだ。この鎌を本気で一振りすれば世界すらも滅ぼせてしまう。俺はその本気の一振りを何百回してきた? もし俺が幸運にも誰かに殺されたとして、こんな大罪人を受け入れてくれる地獄はあるのか?


 この星を照らす光が西に傾き、少し暑くなってきた頃。木々には結晶に蝕まれた肉片が飛び散っていた。あたりにはよく嗅ぎ慣れた匂いが漂っている。俺は何を思ったのか、返り血で真っ赤なまま、大鎌をその辺へ突き刺し、ふらふらと森林を散歩してみた。不気味なほど静かで、鳥のさえずりさえも聞こえない。わずかに聞こえるざわざわと木が揺れる音が、俺の思考を全てかき消していた。久しぶりにリラックスできる環境に出会った。貴重な休める環境。ざわざわとした木々に耳を傾けていたら、もう直ぐ夜になってしまうほどに暗くなっていた。夜になるまでに戻らなければ、道に迷ってしまうな。だが、今は少しゆっくりしたい。ちょうどいいところに倒れた木々が椅子のようになっていた。木は苔に包まれていて、倒木してかなりの年月が経っていることがわかる。俺は返り血を落とすことをすっかり忘れ、腰掛けた。



 気づけば、温かな光と木の匂いに包まれている。そして、久しぶりの柔らかいシルクのようなベッド。待て。どういうことだ。俺は確か、異質に侵食された生物を殺して、その後に。意識がぼんやりして、前後の出来事がほとんど思い出せない。ベッドから起き上がり、辺りを見回してみた。すると、俺はベッドの上に寝かされていた。少し離れたところから食欲をそそる香りが漂ってくる。耳を澄ましてみると男たちがガヤガヤと騒ぎ立てる声が聞こえてきた。ここは、どこなんだ。

  「目が覚めましたか」

 台所から顔を出している女性が見えた。女性は自分のエプロンで手を拭きながら、「森で血を流しながら倒れていたので、ここに運んだんですよ」と話す。そういえば返り血はそのままだったな。

 「すみません、わざわざ運んでいただいたようで」

 森の中でいつの間にか寝ていたようだ。まさか、俺が無防備に森で寝るなんて。我ながら馬鹿かと思ってしまった。

 「ささ、体調がよろしければ宴会にご参加ください。今日はあの結晶の化け物が倒された記念日です。これで畑を荒らされずにすみます。あなた様が討伐してくださったのですよね?」

 一体どの結晶の生き物のことを言っているんだ。心当たりが多すぎてわからないのだが。笑顔で微笑む女性と思わず頭にハテナを浮かべる俺。温度差が50年前の世界一暑い場所と世界一寒い場所の気温差ぐらいある。とりあえず俺は、気まずい状況に全くと言っていいほど慣れていなかったので女性の言う通りに宴会に参加した。

 宴会会場に行くと、早速酒を飲んでいる農夫たちに囲まれてしまった。「どうやってあの結晶の化け物を倒したんだ?」とか、「こんな細身の若者が化け物を倒すなんて驚きだ」と声が上がった。「どこの生まれだ?」とも聞かれ、本当のことを話すわけにもいかないので誤魔化すと「とりあえずうちで居候しないか」との声も上がった。なにぶん、ここの村は後継者が街に出てしまっていて若手が少ないのだとか。

 農夫たち、いや、さっき看病をしてくれた女性もわずかに異質の侵食が見受けられた。

 「すみません。俺、よく分からないまま結晶に飲まれた生き物を倒してしまったのですがご迷惑ではなかったでしょうか」


 農夫たちは「とんでもない!」と口を揃えて、異質に蝕まれた結晶化した化け物の被害について話してくれた。


 ここ数年、その化け物が村の近くの森を闊歩していたせいで釣りやきのこ採集、山菜とりに行くことすらままならず、畑は荒らされるし森に近い家は壊されるしで散々だったそうだ。しかも、化け物が通った道は結晶化していて、結晶化してしまった土地は二度と何にも使えなくなってしまったそう。流石に厄介だと感じた村の農夫は総出で化け物の討伐も試みたものの、武器が効かず返り討ちに遭った上に、犠牲者も出てしまい二進も三進も行かない状態だったそう。さらに数年前は一体だけだった化け物が徐々に増えてきてしまい、村を捨てる事を考えるほど思い悩んでいたそうだ。


 俺がなぜ見つかったかというと今日はたまたま農夫たちが命懸けで山の幸を採集しに来ていた日だったそうなのだ。そんなところに血まみれで倒れている俺と死んでいる化け物を見つけて、目を丸くしたそうだ。それで、様々な疑問があったものの、このまま死なせるわけにはいかないということで、俺をここに連れてきたそうだ。

 なぜ化け物を殺したのが俺とわかったのか。それは、俺が気まぐれで周辺に突き刺した鎌の刃と化け物の傷跡が同じなことがわかったからだそうだ。なんでも、村周辺でも俺が使っている大鎌を使う人間はいなかったらしい。

 

 この世界に入ってから巡り合わせがいいな。正直なことを言うと好意的に取られていて良かったと思う。本当に運が良かった。もし下手に勘違いされて寝込みを襲われたらだいぶ面倒なことになっていた。主にアポカリプスっていう悪趣味な神のせいで。


 俺はようやく椅子に腰掛けることができた。眼前にはふわふわのパンにクリーミーで温かいシチュー、香ばしい鶏の丸焼きに、みずみずしい果実など多くの料理が机に並べられていた。見ているだけでもお腹が空いてくる。

 「にいちゃんにいちゃん、早く食べなさいな。なくなってしまうよ?」

 隣に座っている農夫の一人が声をかけてくる。

 「すみません、食事から何まで。ありがたくいただきます」

 俺も正直食べたくて食べたくてたまらなかったのですぐに料理に手をつけた。味はというと、それはもう本当に美味しくて、果物を食べた時は甘露のような味がした。料理はここまで美味しかったか。ただのパンのはずなのに、50年前に食べた食パンの味とは比べ物にならないほどに美味しかった。ふわふわで、しっとりとしていてほのかに甘く、小麦の風味が伝わってくる。何もつけなくても美味しかった。とうの昔に食べることをやめてしまった俺だが、あの判断は愚かだったと思わされた。

 冷たい戦場と隣り合わせの俺にとって、この時間は数少ない癒しの時間となった。最近は神や天使、悪魔、地獄の番人としか会話をしていなかったから、人と話すのも本当に久しぶりで、今まですっかり忘れていた人と触れ合うことのあたたかさを思い出すことができた。しかし、温かい食卓の時間は、流れるように過ぎていく。もうすっかり夜も深くなり、農夫たちは酔いつぶれてしまった人、寝てしまった人がたくさんいた。起きているのは俺と台所で忙しなく働いてくれている女性たちのようだ。

 「すみません、食事までご馳走いただいて。疲れてますでしょうし、後片付けは俺がやっておきますよ」

 お皿を下げながら女性たちに挨拶する。女性たちは黄色い歓声を小さく上げ、なぜかとても疲れているはずなのにキビキビとまた台所で働き始めた。



 片付けも終わり、すっかり寝静まった夜。俺は夜風を浴びに外へ出ていた。夜の暗さと涼しさは、自然と俺を冷静にさせていた。久しぶりの宴会と人々の温かさにあてられ、熱がなかなか冷めなかった。

 出会った人々全員に異質による侵食が見られた。異質に侵食されてしまった生き物も殺した。感覚で言うともうすぐこの世界は異質に完全に侵食される。異質により動物が変異してしまったように、人間も自我のない傀儡に成り果てる。そして、異質を振り撒き永遠に死ぬことはない。でも意識だけは残るから、自分と相反する体との葛藤に苦しむことになる。俺は一体どうすればいいのだろう。ここで終わらせた方が彼らは幸せなのだろうか。何も知らないまま、命を終えさせた方がいいのか。それとも、最後まで抗って、人間と異質の狭間を彷徨いながら破滅するのを見ていればいいのか。俺個人の意見としては、生命の灯火を一生懸命に輝かせて生きている人たちが死よりも苦しい目に遭い、破滅するならここで楽に逝かせた方がいいと思う。だが、抗う権利も、生きる権利も奪うなんてそれはある種の誇り高い生命に対する冒涜なのではないかとも考えてしまう。普段ならもう滅ぼしている時間だ。焦燥感が俺を襲い、どうしようもない恐怖感を感じる。だが、わからない。判断できない。俺は一体どうするのが正解なんだ。

 意味もなく森へ向かって歩き出す。焦燥感につられるままに足早に歩を進める。日中には鮮やかな緑に見えていたはずの森は、夜ではただひたすらに黒い。森の中に入れば、フクロウのような生物の鳴き声、虫の声が聞こえてくる。俺はどうしようもできなくて、森の真ん中で座り込んだ。

 ずっと頭を抱えている。俺が奪ってきたものがもし、あの農夫たちのような幸せな日常だとしたら? いや、十中八九あのような幸せを奪ってきたのだろう。どの世界でも、その生き物たちが幸せに思う営みをしていたはずだ。俺はそれを自分勝手に、復讐対象として壊した。アポカリプスの命令があったとしても、それは確実に人間がやってはいけないこと。俺は、人間から成り下がったけだものだ。この罪は果たして、償えるのだろうか。俺は一体何に成り果ててしまうのだろう。漠然とした焦燥感が強くなる。なあ、カルマ。お前はこういう時どうするんだ? こんなところで、遠いところで幸せにしているお前に聞いても仕方ないことはわかってる。でも、俺だけじゃもう、どうしようもないんだ。



 蝉の声が響いている。太陽がジリジリと照り付け、とても蒸し暑い。ここは……地球だ。地球の、しかも夏だ。夏の葉の緑は太陽に照らされ、宝石のように煌めいている。懐かしい地球への帰還に動揺している俺の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 「はぁ!? なんでお前そんなこと聞くんだよ。物騒だなぁ……」

 この声は。久しぶりにこんな元気な声を聞いた。目頭が自然と熱くなっていく。この声は、俺が全てをかけて幸せを願った、たった一人の親友。カルマの声だ。そして隣にいるのはいつぞやかの若かりし俺。一体何を話しているのだろう。

 「俺が個人的に気になってるだけだが! お前が世界を滅亡させることになったらどうするんだ?」

 これはまたしょうもない……いや、昔の俺たちにとってしょうもなくても、今の俺にとってはとても重要なことだな。まさか、地球にいる時にこんなに軽く聞いているとは思わなかったが。

 「俺がか……? 俺なら、できるだけみんなが幸せに逝けるように頑張るかなぁ……それかもう、痛みすら感じさせないレベルで一瞬で殺すか」

 「ブフッ……」

 本当にあいつらしい答えだ。最期まで見たあいつの性格の変わらなさに、思わず吹き出してしまった。あ、しまった。思わず吹き出したが俺の存在が二人にバレたらまずいのではないか?

 「なんで笑うんだよ!?」

 「いやいや、あまりにもお前らしいと思っただけだ。」

 「ハァ〜! そうやって人を煽る!」

 どうやら俺だけでなく、過去の俺も吹き出していたようだ。俺も根っこ自体はあまり変わっていないのかもしれない。カルマがムッした顔をしたかと思えば、親友の俺たちしか通じない言葉の応酬が始まる。

 親友同士のじゃれ合いにカルマも笑っている。過去の俺も笑っている。こんなふうに笑い合うことができたのは、カルマと出会って数年の期間しかなかった。そのせいか噛み締めるように眺めてしまう。俺も、もっとこんなふうに笑っていたかった。


 みんなが幸せに逝けるように……。そうだよな。そうしないといけないよな。カルマ。

 

 この世界、いや、これから出会う数多くの世界は、滅ぼされる世界であり、結局のところは滅んでしまう世界でもあるだろう。同じ結末だとしても、地獄の苦しみを味わうのと、安らかに死んでいくのでは天と地ほどの差がある。俺は、同じ道を歩むとしても違う結果をもたらしたい。それが終わりに導くものの責務だろう。そう、わかっていた。わかっていたのに俺は地獄の破滅へ導いた。今まで身勝手に殺してきた。権利を奪ってきた。そして、残酷と言う言葉では言い表せないほどの最悪な結末を与えてきた。もう取り返しがつかないかもしれない。もう赦されることなんてあり得ないかもしれない。それでも向き合って、悠久の時をずっと苦しみ続けよう。そして、優しい結末を与えると誓おう。それが、殺す者としての償いだと信じて。


 地獄なんて、生ぬるい。


 

 閃光が天空へと舞い上がる。その様子は赤い流れ星のようで、美しい。夜空の上空の風は激しく、まるで俺の激動の感情を示しているようだった。俺は両腕を振りかぶり、赤い魔法陣をゆっくりと展開する。展開された魔法陣は、世界を余すことなく覆い尽くす。世界全体が赤い光に包まれているのに、世界にいる住民は気づくことはない。それは、住民たちが眠っているから。この魔法陣は、眠るように逝かせる業。赤黒い鎌を持ち、世界を見下ろす死神が一人。また一つ、世界を滅ぼす罪を背負いながら大鎌を振り下ろす。鎌が振り下ろされた瞬間に赤黒い斬撃が四方八方から飛び交った。世界は結晶のように砕け散り、砕かれた星はさらなる星を生み出し、世界の最期の輝きを見せた。そして、世界が生きていた軌跡も、繁栄した生物たちも全てが無に帰った。



 「随分と優しい殺し方をしましたね。いつもは残忍に殺して終わりではなかったですか? 何か心変わりでも?」

 アポカリプスは怪訝そうな顔で俺を見つめている。何かが変わったことをすぐに嗅ぎつけたのか。滑稽な俺が好きだったからな。復讐心で殺戮をしていた俺を眺めていたかったのだろう。俺はアポカリプスを嘲笑うように見つめ、挑発した。

 「予想が外れたのがそんなに悔しいか? 世界最高の神とあろうお方が、こんなことで下等生物に執着していいのかよ?」

 アポカリプスは俺をキッと睨みつけた。

 「私は想定外が嫌いです。想定外の化身である異質を滅するほどに。考えを改めましょう。あなたたち人間は変化をもたらします。ですが、所詮は限られた命の下等生物。執着するには及びませんよ」

 アポカリプスは負け惜しみのように言葉を吐き捨て、「芸をして欲しいという神がいます。早く私の宮殿に来ることですね」とだけ言い、俺の目の前から消えていった。


 また日常に戻っていく。俺が変わり、覚悟を決めたとしても周りは一切変わらないし、変わろうとしない。でも、それでも俺は、殺戮の日々を少しでも償えるように尽力しよう。なんとなく空を見上げると、相変わらず綺麗な星が広がっている。一面に広がっている星は全て世界だ。あの星に、俺の親友が平和に暮らしているはずだ。カルマ、お前は今どうしている? 俺は元気とは言えないが、なんとか生きている。カルマは今、笑っているのだろうか。笑っているのなら、カルマ、俺はお前のためだけにアポカリプスに服従しよう。

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