プラカノンの消えた扇風機 - 呪われた風の行方

佐藤麻衣は、タイのバンコク郊外にあるプラカノン地区の古びたアパートの一室で目を覚ました。日本の大学を卒業してすぐ、タイ語学校に通うために来たバンコクでの生活も、早いもので3ヶ月が経っていた。


窓から差し込む強烈な日差しに目を細めながら、麻衣は起き上がった。そして、部屋の隅に置かれた古い黄色い扇風機に目が留まった。その扇風機は、麻衣がこのアパートに引っ越してきた時から置いてあったもので、不思議と捨てられずにいた。


しかし、今朝はなぜか、その扇風機が特別に不気味に感じられた。麻衣は首を振り、そんな考えを払拭しようとした。


「気のせいよ」と自分に言い聞かせ、麻衣は朝の準備を始めた。


その日の午後、麻衣は語学学校からの帰り道、近所のコンビニに立ち寄った。レジに並んでいると、後ろから日本語が聞こえてきた。


「え?まさか日本人?」


振り返ると、20代後半くらいの日本人女性が立っていた。


「はい、そうです」麻衣は微笑んで答えた。


「わー、珍しい!私、山田友美っていいます。こっちに来て2年になるんです」


麻衣は友美と意気投合し、その場で連絡先を交換した。


数日後、友美から連絡があり、近くのカフェで待ち合わせることになった。カフェでおしゃべりを楽しむ中、友美が突然、真剣な表情になった。


「麻衣さん、プラカノンに住んでるんですよね?」


麻衣が頷くと、友美は声を潜めて続けた。


「気をつけてください。最近、プラカノンで日本人女性が失踪するという噂があるんです」


麻衣は驚いて目を丸くした。「え?本当ですか?」


友美は頷いた。「詳しいことはわからないんですけど、みんな若い女性で、一人暮らしだったらしいです。それに…」友美は躊躇したが、続けた。「黄色い扇風機が関係しているという噂もあるんです」


麻衣は背筋が凍る思いがした。自分の部屋にある黄色い扇風機が頭をよぎる。


「た、たぶん、ただの噂でしょう」麻衣は強がって言ったが、心の中では不安が渦巻いていた。


その夜、麻衣は落ち着かない気持ちで自室に戻った。部屋に入るなり、黄色い扇風機に目が行く。今までは気にも留めていなかったのに、今は不気味さしか感じられない。


麻衣は扇風機から目を逸らし、シャワーを浴びに行った。湯気の立つ浴室で体を洗いながら、麻衣は友美の言葉を思い返していた。


突然、シャワーの音に紛れて、かすかな機械音が聞こえた。麻衣は耳を澄ませる。確かに何かが動いている音がする。心臓が高鳴り、麻衣は恐る恐るシャワーを止めた。


静寂の中、はっきりと聞こえてきたのは、扇風機の回る音だった。


「え?」


麻衣は混乱した。確かに部屋を出る時、扇風機のスイッチは切ってあったはずだ。


おそるおそる浴室を出ると、黄色い扇風機がゆっくりと回っていた。麻衣は震える手でスイッチを切った。扇風機は止まったが、麻衣の不安は増すばかりだった。


その夜、麻衣は悪夢にうなされた。夢の中で、黄色い扇風機が巨大化し、麻衣を追いかけてくる。麻衣が必死に逃げても、扇風機はどこまでも追ってくる。そして、ついに追いつかれた瞬間、麻衣は冷や汗をかいて目を覚ました。


朝日が差し込む部屋で、麻衣は昨夜の出来事を思い出した。扇風機は相変わらず部屋の隅に置かれ、動く気配はない。


「やっぱり気のせいだったのかな…」


麻衣はそう思いたかったが、どこか釈然としない気持ちが残っていた。


その日、麻衣は語学学校で友美と会った。友美は麻衣の顔色の悪さに気づき、心配そうに尋ねた。


「大丈夫?何かあったの?」


麻衣は昨夜の出来事を友美に打ち明けた。友美は真剣な表情で聞いていたが、麻衣が話し終えると、突然立ち上がった。


「麻衣さん、今すぐそのアパートを出た方がいいわ」


麻衣は驚いて友美を見上げた。「え?でも…」


友美は麻衣の腕を掴んだ。「私、実は警察に協力して、この事件の調査をしてるの。そして、その黄色い扇風機が鍵になると思うんです」


麻衣は困惑した。「警察?どういうこと?」

友美は周りを見回してから、小声で説明を始めた。


「実は、私の妹も2年前に失踪したの。プラカノンで。そして、彼女の部屋にも黄色い扇風機があったんです」


麻衣は息を呑んだ。友美は続けた。


「警察は最初、単なる失踪事件として扱っていたけど、私が調べていくうちに、同じようなパターンの事件が複数あることがわかったの。そして、すべての被害者の部屋に、同じような黄色い扇風機があった」


麻衣は震える声で尋ねた。「じゃあ、あの扇風機は…」


友美は頷いた。「ええ、おそらく犯人の印なんです。だから、今すぐ荷物をまとめて、そのアパートを出るべきよ」


麻衣は友美の言葉に従い、その日のうちに荷物をまとめ始めた。しかし、部屋に戻ると、黄色い扇風機が無くなっていた。


パニックに陥った麻衣は、すぐに友美に連絡を取った。友美は警察と一緒に駆けつけたが、部屋からは何の手がかりも見つからなかった。

その夜、麻衣は友美の家に泊まることになった。二人で事件について話し合っていると、突然、友美のアパートの電気が消えた。


真っ暗な中、かすかな機械音が聞こえてきた。麻衣と友美は息を潜めて耳を澄ませる。その音は、どこかで聞いたことのある音だった。


そして、月明かりに照らされた窓際に、黄色い扇風機の影が浮かび上がった。


麻衣と友美は悲鳴を上げようとしたが、声が出ない。扇風機の羽根が回り始め、その風は徐々に強くなっていった。二人は必死に逃げようとするが、体が動かない。


風は渦を巻き始め、麻衣と友美の体が宙に浮く。二人は恐怖に満ちた目で互いを見つめ合った。そして、渦は二人を飲み込み、黄色い扇風機とともに消えていった。


翌朝、警察が友美のアパートを訪れたが、そこにいたのは古びた黄色い扇風機だけだった。扇風機はゆっくりと回り続け、新たな犠牲者を待っているかのようだった。


プラカノンの街に、また新たな噂が広まり始めた。若い日本人女性二人が姿を消したという噂を。そして、黄色い扇風機を見たら要注意だという警告を。


しかし、その噂を聞いても、多くの人々はただの都市伝説だと笑い飛ばすだけだった。彼らには、あの黄色い扇風機の本当の恐ろしさがわからないのだ。


そして、プラカノンの古いアパートの一室で、黄色い扇風機がまた新たな住人を待っている。その羽根は、次の犠牲者を求めてゆっくりと、しかし確実に回り続けていた。

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