異境の囁き―バンコク怪奇譚5 クラウス・シュミットの呪われた運命

クラウス・シュミットは、1920年代のドイツ、バイエルン州の寒村で生まれた。彼の父親ハンスは、表向きは古書店を営む真面目な商人だったが、その実態は恐ろしい悪魔崇拝者だった。母親エルザは、ハンスとの結婚後まもなく姿を消した。村人たちは、彼女が夫の暴力から逃げ出したのだと噂したが、真相は誰も知らなかった。


実際、エルザの失踪には恐ろしい真実が隠されていた。ハンスは、古来より伝わる禁断の書物「ネクロノミコン」の一部を所有しており、その中に記された悪魔召喚の儀式を実行していたのだ。彼は妻エルザを生贄として悪魔に捧げ、見返りとして特別な子供を授かることを望んだ。


その結果生まれたのが、クラウスだった。

幼いクラウスは、父親の恐ろしい秘密を知らぬまま成長した。しかし、彼の中には生まれながらにして異質な何かが潜んでいた。幼少期から機械いじりが得意で、特に回転する物に強い興味を示した。その才能は、古い扇風機を修理したときに顕著に現れた。


クラウスが10歳のとき、彼は父の書斎で偶然「ネクロノミコン」の断片を見つけた。好奇心に駆られた彼は、その一部を読んでしまう。そこには、H・P・ラブクラフトの小説にも描かれるような、人知を超えた存在たちについての記述があった。クラウスは恐れると同時に、強く魅了された。


その夜、クラウスは奇妙な夢を見た。夢の中で彼は、巨大な扇風機のような装置の前に立っていた。その羽根は、鉤十字の形をしていた。装置が回り始めると、異形の存在たちが次々と現れ、クラウスに語りかけた。


「お前は選ばれし者だ。我々の力を受け継ぐのだ」


翌朝、クラウスは父に夢のことを話した。ハンスは息子の話を聞き、歓喜に満ちた表情を浮かべた。


「わが息子よ、お前こそが悪魔との契約の結晶なのだ」


そう告げると、ハンスはクラウスに真実を打ち明けた。母親の失踪、自身の出生の秘密、そして彼に宿る特別な力について。


クラウスは、自分の存在が悪魔との取引の結果だと知り、激しい衝撃を受けた。しかし同時に、自分の中に眠る力への好奇心も芽生えた。彼は父から「ネクロノミコン」の教えを受け、徐々にその力を開花させていった。


ナチス党が台頭し始めた1930年代、クラウスは10代後半を迎えていた。彼の持つ特殊な才能は、ナチスの秘密結社「アーネンエルベ」の目に留まった。彼らは、クラウスの能力が超常的な力を引き出す鍵になると考えたのだ。


クラウスは、アーネンエルベに加わることで、より深い知識と力を得られると考えた。彼は、自身の能力を利用して特殊な装置を開発した。それは、一見すると普通の扇風機だったが、実は強力な悪魔召喚機だった。この装置は、ナチスの秘密兵器開発プロジェクトの一環として極秘裏に進められた。


第二次世界大戦中、クラウスは自身の研究に没頭した。彼は、扇風機型の悪魔召喚機を通じて、異界の存在たちと交信することに成功。しかし、その過程で彼は恐ろしい真実を知ることとなる。彼が呼び出そうとしている存在たちは、人類を滅ぼそうとしているのだと。


戦争末期、クラウスは自身の研究の危険性を悟った。彼は、ナチスがこの力を手に入れれば、世界が破滅的な結末を迎えると確信した。そこで彼は、自身の研究データを持って逃亡を図ることにした。


ニュルンベルク裁判が始まる直前、クラウスは極秘裏にドイツを脱出。彼は東へと逃れ、最終的にバンコクにたどり着いた。混沌としたアジアの街で、彼は完璧に姿を隠すことができると考えたのだ。


バンコクで、クラウスは古道具屋を開いた。表向きは普通の商売人を装いながら、裏では自身の研究を密かに続けた。彼は、悪魔召喚機としての扇風機の改良を重ね、その力を制御する方法を模索し続けた。


しかし、クラウスの平穏な日々は長くは続かなかった。ある日、彼の店に奇妙な客が訪れた。その人物は、クラウスの過去について詳しく知っているようだった。クラウスは、自分の正体が露見したのではないかと恐れた。


それ以来、クラウスは常に警戒を怠らなくなった。彼は、自身の研究の集大成である特殊な扇風機を、店の奥深くに隠した。その扇風機には、クラウスが長年研究してきた悪魔召喚の技術が詰め込まれていた。


しかし、クラウスの警戒も空しく、ある夜、その貴重な扇風機は何者かによって盗み出されてしまう。クラウスは、自身の研究の結晶が奪われたことに愕然とした。同時に、その扇風機が悪用された場合の恐ろしい結果を想像し、背筋が凍るほどの恐怖を感じた。


クラウスは決意した。どんなことをしても、あの扇風機を取り戻さねばならない。彼は、バンコクの路地裏を這いずり回るように探し始めた。その過程で、彼は様々な怪しげな人物たちと接触。中には、かつてのナチスの同志たちもいた。


しかし、扇風機の行方を突き止めることはできなかった。クラウスは、自分の過去の罪が自分を追い詰めているのではないかと考え始めた。父親から受け継いだ呪われた血統、ナチスとの関わり、そして禁断の知識への探求。すべてが、今の状況を招いたのではないか。


絶望的な気持ちになりながらも、クラウスは諦めなかった。彼は、自身の罪を贖うためにも、あの危険な扇風機を見つけ出し、破壊しなければならないと考えた。それが、彼にとっての最後の使命となるのかもしれない。


そして今、クラウス・シュミットは、バンコクの迷宮のような路地を歩み続けている。彼の周りには、過去と未来を結ぶ不思議な風が吹いている。その風が、彼をどこへ導くのか。クラウスの、そしてあの扇風機の運命は、まだ誰にも分からない。


ただ一つ確かなのは、クラウスがその身に宿す闇の力と、人間性の間で揺れ動きながらも、自らの過ちを正そうとしているということだ。彼の長く曲がりくねった人生の道のりが、これからどこへ向かうのか。それは、時間が教えてくれるだろう。

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