第32話 一瞬あっけにとられた彩夏は

 一瞬あっけにとられた彩夏は柊に続く。敵に完全に包囲されたら、そこから脱出する一番確実な方法は大将のいる本陣に向かうことだ。


 アメーバの捕食を鶴翼の陣に見立てれば、両翼が背後に迫り取り囲まれる前に本陣に突撃する。鋒矢(ほうし)の陣という矢印型の陣であり、側面を突かれると脆いが取り囲まれる速さ以上の突破力があれば、本陣の意表をついて成功することもある。


 実際に歴史上で、関ヶ原の戦いで島津藩が撤退時に採用して逃げおおせているのだ。


 柊がボスガラスを追い詰める。振り出した必殺の拳(フィニッシュブロー)。確実に脳天を打ち砕く加重加速の拳をカラスはかぎ爪でがっちり受け止めた。


 温羅鋼(うらはがね)製?! 柊の頭の中によぎった可能性……、氷華の一撃を受け止められる物など温羅鋼しか無い。しかし、その考えは拳から手首に食い込む激痛に中断された。


 鳥の足爪は木に止まるとその圧で木を掴むように本能が命令する。柊の一撃はそのかぎ爪の中心に衝撃を加えた。その圧でかぎ爪は拳を掴むように内側に握りこんだ。


 鋭いかぎ爪は手首に喰い込み、手首から先を引き千切った。千切れた手首と一緒に氷華がボスガラスのかぎ爪に握られている。


 そして、ボスガラス自身は加重加速された拳の一撃に耐えきれず、周りのカラスを巻き添えに後方に吹っ飛んでいた。


 一方、柊のほうは柊の周りを舞う形代の一つが爆散して、先ほどの負傷が無かったものになっている。


「アトラクティヴ フォース!!」


 引き合う力でボスガラスが本能で掴んでいる氷華を右の拳ごと左手の氷華に引き寄せた。

 掴んだ千切れた腕を離すだけで、死への恐怖から解放される。本能はそう訴えているのに、引きはがされまいと、さらに強くかぎ爪を食い込ませているボスガラス。


 翼を大きく羽ばたき抵抗する姿は罠にかかった烏そのものだ。


「獣は闘争心を無くした時点で只の獲物だ!!」


 柊はボスガラスの頭目掛けて、全身全霊の拳圧を飛ばした。


 頭にヒットした空気を圧縮した拳圧が、一気に膨張して周りから熱を奪いボスガラスの頭を凍り付かせた。それも一瞬だ。拳を振り出して伸びきった左手に填めた氷華にボスガラスが掴んでいた右腕の氷華が衝突する。


 その衝撃は脳天に突き抜け、凍り付いていた頭はこなごなに砕けて、そこからどす黒い瘴気が吹き出して、ボスガラスの肉体は煙のように霧散した。


 消えていくボスガラスの足に装着されたかぎ爪を落ちる済んでのところで捕まえることが出来た。このかぎ爪は温羅鋼を錬成した手甲鉤(てっこうかぎ)と言われる忍びが使う武具だった。そして氷華は拳鍔と呼ばれる忍びが使う武具である。


「くそガラスには過ぎた得物なんで返してもらうぞ!!」


 柊はそう呟くと手甲鉤を氷華に装着した。すると手甲鉤と氷華はすんなりとセットされ、変形ロボのように変形し、元からそうだったようにメリケンサックに一尺ほどの透き通るほど薄く白銀に輝く鉤爪が生えた武具が現れた。


「薄氷(はくひょう)!! 二十六夜月(にじゅうろくやづき)!!」


 久々に形を得た専用武具にその名称を口の中で呟くと、柊の表情に喜色が浮かぶ。


 二十六夜月とは新月から数えて26日目の月の形であり、三日月とは逆弦の月のことを言う。


 平安時代、氷華と手甲鉤の合体武具が完成したとき、その鉤爪の部分が三日月に似ていることから安直に三日月と命名しようとして、あまりにも平凡なんでその逆の二十六夜月と名付けたのだ。


 令和の現代、中二病を患った柊は、奈良時代でも傾奇者で通っていた。

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