第13話 帝国との会議
王宮の長い廊下を歩く二人の男の影が、窓から射し込む西日に長く伸びていた。
一人は不機嫌そうな顔をして歩くグロリエン。もう一人は彼に明日の公務の予定を聞かせているマッドリーである。どうやらその内容にグロリエンは不満があったようだ。
「なあマッドリー、最近俺の公務の量がやたらと多くなってないか?」
「仕方ありません。ペイルディス帝国からお越しの外交官たちが、こぞって殿下に面会を求めてきますので」
すれ違う者もいない廊下ゆえか、グロリエンは憚ることなく文句を言った。
「平和友好会議の調整準備に来た外交官が聞いて呆れるよ。胡散臭い奴ばかりじゃないか。どこまで本気で平和を望んでいるのか分かったもんじゃない」
「奴ら、平和よりも殿下に興味がおありの様ですからな。側近の私にまで殿下の事を根掘り葉掘りと聞いてきます」
外交官でもないマッドリーが帝国から調整準備役に指名されたのも、そんな単純な理由からであったようだ。
帝国内部には確かに平和を望む派閥も存在する。ゆえに今回の平和友好会議を何かの陰謀だと判断する事は一概には出来ない。
しかし少なくとも調整準備の為に派遣された外交官たちは、平和よりもグロリエンに興味があるのは間違いないだろう。
「帝国にとっては殿下本人はもちろん、殿下の勇者の加護もまだ謎だらけでしょうからな。この機会に色々と情報を引き出したいのも道理です」
「ああ、特にあの外交団長のアスマンって奴は、本当に食えない男だよ」
アスマンというのは今回帝国が派遣した外交官の代表者である。皇帝の肝煎りで伯爵位を授けられたという、新進気鋭の貴族だ。
マッドリーはそのアスマンの事を思い浮かべたのだろう、「ふむ」と唸るとグロリエンにと忠告した。
「なるほどアスマン伯爵ですか。くどい様ですが、かの者には油断なされませんようにお願いします」
「分かってるよ。ああいうヤツは他人の粗を探すのが上手いんだ」
「探すのが粗だけとは限りません。かの者は外交官と名乗ってはいますが、本職は秘密諜報部の上級幹部ですので」
「というかお前、よくそんな帝国の裏情報を手に入れられたよな」
マッドリーはその問い掛けには答えずに、さも当然だという風に眼鏡の位置をクイッと直した。
「では殿下、私はその調整準備会議に参加してまいりますので、これにて」
「ああ、頼む。あと俺の公務の量を少し減らすよう頑張ってみてくれ。これじゃあヘルミーネとも会えやしない」
「ヘルミーネと会う?」
「あっ……」
その瞬間、しまったという顔をしたのはもちろんグロリエンである。
シスコンのマッドリーがヘルミーネの名前を聞いて、黙って見過ごせるワケがない。
「なぜ殿下が我が妹に会うのですか?」
「なぜって……あいつとは幼馴染みだ、べつに理由など必要ないだろ」
「ふむ、どうも変ですな。殿下は最近やたらとヘルミーネを気にかけているご様子だ」
「き、気のせいだよ」
グロリエンは心臓が跳ねたのを感じた。やましい気持ちがある訳ではない。ヘルミーネへの想いは誠実であるつもりである。
しかしまだ誰にも覚られたくはなかったのだ。ヘルミーネとの勝負に勝つまでは、その勝負に他人の思惑を混じらせたくはなかったからだ。彼にとっての勝負とは、それほど神聖で無垢なものだったのである。
「さては殿下……」
「な、なんだよ……」
マッドリーに眼鏡の奥から鋭い眼光を投げかけられたグロリエンは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「殿下はヘルミーネのファンなのですな」
「はぁ? お前なに言ってんの!?」
「王家公式のファンクラブを立ち上げたいのであれば、私もご助力致しますぞ!」
「そんな事するかよっ!」
「ほう、違うと?」
マッドリーはしばし黙考した後に小さく首を横に振り、まったく見当もつかないという風にして肩を竦めた。
「ならばどうして?」
「それは、まあ。ヘルミーネと勝負がしたいからだよ」
「ああ、そういう事でしたか!」
途端、ご機嫌な顔になったマッドリーは、さも得意気に「そうでしょうとも」と何度も頷いてみせる。
「確かに我が妹は最強ですからな」
「ぐっ……」
「我が妹に憧れを抱くのは良い心がけです。正直にヘルミーネの高みに近づきたいから、指導して欲しいのだと仰ればいい」
「そ、そこまで言ってないだろ!」
「違うのですか?」
負けず嫌いのグロリエンは、思わずマッドリーの言い草にムッとする。しかしこのシスコンに抵抗しても所詮は無駄なのだ。
「いや、違わない……」
「はっはは、素直でよろしいですな!」
すっかり気を良くしたマッドリーは高笑いを残し、ペイルディス帝国との会議場へと大股で歩いて行ってしまった。
グロリエンは何だかどっと疲れを感じると、顔に射し込む西日を払うかのようにして、大きな溜め息を一つ吐いた。
◇*◇*◇
ところで王宮の第二会議室には、すでにペイルディス帝国の外交官たちが会議の開始を待っていた。
彼らの中には先ほどグロリエンとマッドリーの話題に上った、アスマン伯爵もいる。たったいま少し遅れて入って来たマッドリーにも嫌な顔ひとつせず、微笑みを湛えたまま静かに座っていた。
「遅れて申し訳ありませんな」
悪びれた様子もなく謝罪し席に着くマッドリーに、「いやいや、お忙しいところを連日会議にお付き合い頂き、かえって申し訳ない」と、アスマンは愛想よく返事する。
付き合うもなにも、これが自分の仕事だと思ったマッドリーだが、もちろんそんな事を言ったりはしない。代わりにテキパキと会議を進行させた。
マッドリーは超記憶力の加護により、昨日までの会議の内容が全て詳細に記憶されている。
ゆえに一切の滞りもなく、粛々と決定事項を増やしながら会議をまとめていく。だというのに未だ調整準備の会議に終わりが見えてこないのはどういうワケか。
「ところで皆さん。会議の議題からは少し離れてしまうのですが──」
この様にしてアスマンが必ず脱線させてくるからである。彼らの魂胆は明らかで、一日でも長くフェンブリア王国に滞在し諜報活動を続けていたいのだ。
当然ながらマッドリーはその事に気づいている。しかし敢えてアスマンの策に乗っているのは、今回ペイルディス帝国が連れてきた秘密諜報員たちの動向を全て把握していたからだ。
マッドリーは帝国側を泳がせて動向を観察したり、わざと偽の情報を流したりもしていた。まさに狐と狸の化かし合いである。
「私は不思議でならないのです。貴国のグロリエン王太子殿下は、何ゆえ未だ婚約者を決めておられないのでしょう? 内政干渉をするつもりはありませんが、些か寂しい話ではありませんか?」
アスマンは同情を装いながらも、その理由を知りたがった。帝国最大の脅威であるグロリエンに関する事なら、どんな情報でも拾いたいという姿勢だ。
彼にしてみれば些細な弱点でも見付けられれば大成功なのだろう。それとも帝国から王女を輿入れさせる魂胆でもあるのか。
いずれにしろ王国としては、わざわざ正直に取り合う必要のない話題である。
「ご心配には及びません。すでにグロリエン王太子殿下には、王家に相応しき女性の候補者がおりますゆえ」
「ほう、実はもう決まった女性が?」
「詳しくは申せませんな」
「なるほどなるほど。となると王国随一の女性という事になりなすかな」
マッドリーとアスマンは腹の探り合いをしながらも、お互いにしらばくれった応答を続けた。
「白銀の女王の名で知られるアグネス侯爵令嬢や、ミランダ伯爵令嬢。それにソフィア公爵令嬢もいらっしゃる。いずれも麗人ぞろいで王国随一を決めるのは難しそうだ」
この様に幾度も話を蒸し返すアスマンに対してマッドリーは鉄壁の態度を貫き、決して話に乗るような真似はしてこない。
これまでずっとそうしてきたマッドリーであったのだ。ところが────
「フッ……。確かに皆さんお美しい方達ばかりですが、王国随一と言うのは少々おこがましいかと」
「ほう! それは一体どういう?」
何故か今回に限っては鉄壁の態度どころか、自分から門戸を開いて食いついてきたのである。
当然ながらマッドリーのこの変化をアスマンは見逃したりはしない。
「王国随一の女性といえば、我が妹のヘルミーネ以外ありえません。いや、王国どころか世界随一の女性でしょうな!」
「それは存じ上げずに失礼致しました」
「うむ、勉強不足ですぞ」
「申し訳ない」
国家の大事な外交の場であろうと、極度のシスコンであるマッドリーがヘルミーネに関する話題を無視する事はない。
彼の優先順位がブレることは、決して起こり得ないのである。
「であれば、ヘルミーネ嬢こそがグロリエン王太子殿下の婚約者最有力候補といったところでしょうか?」
「ヘルミーネの婚約相手には殿下とて些か役不足ですな。しかし王国随一と限定するならば、必然ヘルミーネだけでしょう」
「ほほう!」
言うまでもなく全てマッドリーの妄想である。しかし国際会議の場で真面目な顔をして妄想を垂れ流す者がいると、一体誰が思うだろか。
果たしてこの話をアスマンは信じた。アスマンだけではない、帝国の外交官全員がヘルミーネという名前をその脳裏に刻み込んだのであった。
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