第14話 降りかかる災難
長くかかったペイルディス帝国との平和友好会議の調整準備もようやく済み、明日は帝国の外交団も帰国の途につく。
公務を終え王宮の車寄せで馬車から降り立ったグロリエンは、これで少しは公務の量も減るだろうと、あらためてホッと胸を撫で下ろした。
「お帰りなさいませぇ、お兄様ぁ」
いつもの甘ったれた口調でそう出迎えたのは、グロリエンの妹であるエリスティア王女であった。
彼女が侍女を連れて外出用のドレス姿でそこに居るのを見るに、どうやら入れ違いにして馬車で出掛けるところだったようだ。
「ただいまエリスティア。お前はこれからどこかへ行くのか?」
グロリエンが何気ない様子でエリスティアにそう尋ねると、彼女は着ていたドレスの襟元を掻き寄せて身構えた。
「えっ! 年頃の妹の行動が気になるとか気持ち悪いですぅ」
「き、気持ち悪い!?」
「妹の貞操は誰にも渡さんとか思ってそうなお兄様が怖いですぅー」
「なっ! 何を言ってるんだお前はッ」
「その目が卑猥ですぅー」
「そ、そんな馬鹿なっ!」
慌てて自分の目をゴシゴシと擦るグロリエンを、エリスティアは冷めた視線で見つめてクスッと笑った。
「お兄様必死すぎぃ。冗談なのにぃー」
「つ、つまらん冗談はやめろっ!」
別にこの兄妹、仲が悪いわけではない。むしろお互い家族に対する愛情は深い方だといえよう。
ただエリスティアのそれは、兄をからかう事で感じる少し歪んだ愛情なだけだ。
「何処に行くのか、気になりますかぁ?」
「いいからもうさっさと行けよ」
「ふぅーん。これからヘルミンに会いに行くんだけどぉー、お兄様も付いて来ていいんだよぉ?」
「なにっ、ヘルミーネに?」
案の定食い付いてきたグロリエンに、エリスティアは表向きは表情をかえたりしない。しかし心中ではニヤリとほくそ笑み、とても楽しんでいる。
「ヘルミンに会いたいのぉ?」
「べ、別にそういうワケではない」
「そっかぁ、いつも二人は喧嘩ばかりしてるもんねぇ。仲悪いんだぁー」
「おいおい、それは誤解だぞエリスティア。俺たちのは喧嘩ではなくて勝負だ」
「でもぉ、いつもお兄様が負けてばかりだよねぇ。勝負になってなくない?」
「ぐっ……。次は勝つさ」
「お兄様の勇者の加護ってぇ、もしかしてポンコツなのぉ?」
「なっ! ぐっぬぬぬぬ……」
グロリエンがヘルミーネに勝った事がないのは悔しいが事実である。ゆえに勇者の加護をポンコツ呼ばわりされたとて、怒るわけにはいかないのだ。
怒ればそれは負け惜しみになる。だからグロリエンはグッと堪えた。
「とにかくだな、俺はこの後も公務が残っているのだ。せっかく誘って貰ったがヘルミーネに会いには行けん」
「うん、知ってたよぉー」
「じゃあ誘うなよなッ!」
「ごめんねぇ。じゃあお兄様、行ってまいりますぅー」
「とっとと行っちまえっ!」
散々グロリエンをからかえたエリスティアはとても満足した様子で、手をヒラヒラと振りながら自分が乗る馬車へと歩きだす。
すると「あっ」と言葉を漏らし、言い忘れていた事があったというふうにグロリエンへと振り返った。
「そうだぁ、お兄様ぁ」
「今度は何だよ……」
「次こそは本当にぃ、ヘルミンとの勝負に勝てるといいねぇー」
「ん? まあ、そうだな」
「そしたらきっとぉ、ヘルミンもすっごく喜ぶと思うよぉー」
「はあ? 負けたあいつがどうして喜ぶんだよ。いい加減な事ばかり言いやがって」
エリスティアはグロリエンの疑問に答える代わりに小さく肩を竦めた。
そしてそのまま無言で馬車へと乗り込んで、馭者に馬車を出発させるようにと言い渡したのであった。
◇*◇*◇
「ああもう、馬車が故障するとか本当にツイてないわっ!」
エリスティアとの待ち合わせに向かう途中、突然馬車が故障するという災難に見舞われたヘルミーネは小走りして王都の往来を急いでいた。
修理を待っていたら約束の時間に遅れてしまうと思い、馬車を乗り捨てる事にしたのである。
(いっそスカートの裾をたくし上げて走ってしまおうかしら)
焦るヘルミーネは貴族令嬢にあるまじき事を考えたりもしたが、さすがにそうはしなかったようだ。目抜通りという訳ではないが、それなりに人通りもあったからだ。
しかしながらヘルミーネの小走りは、普通の人間の全速力より速い。むしろ本気で走りでもしたら、街にどんな被害を与えるか分かったものではない。
そんな事を考えながら小走りしていると、ヘルミーネの名を呼ぶ声が後ろから聴こえてくる。
うっかり置いてけぼりにしてしまった侍女たちが呼んでいるのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「ヘルミーネ様っ、お待ちになってッ! そんなに速く小走りしないでえッ!」
その声の主は侯爵令嬢のアグネスであった。彼女は猛スピードで走る馬車の窓からその身を乗り出させ、ブロンドの髪を靡かせながら声の限りに叫んでいる。
相も変わらず今日もストーカーをしていたのだろう。しかし故障した馬車から降りたヘルミーネが、突然凄い速さで小走りするとは思わなかった。
このままだと見失うと焦ったアグネスは、やむ無くヘルミーネを呼び止める事にしたのである。
(あら、アグネス様?)
ヘルミーネはアグネスに気づくと小走りを止めて彼女を待った。
呼吸ひとつ乱れていないヘルミーネに比べ、馬車に乗っていたはずのアグネスは何故か肩で息をし疲れ切っている。髪もボサボサでずっと風に当たっていた顔も強張っていた。
「どうしましたのアグネス様。私に何かご用でしょうか?」
「ハァハァ、よ、用というか、ハァハァ、確認に……」
「確認?」
「いえ、こっちの話ですわ。ハァハァ」
元婚約者栄誉の会からヘルミーネの欠点を盗み聞きしてからも、アグネスはずっとストーカーを続けている。ライバルの欠点は多ければ多いほどいいのだ。それを見つける為の努力を彼女は惜しまない。
しかし今日の目的はそれとは少し違った。本当にヘルミーネが小動物を嫌っているかを、確かめようとしていたのである。
(私はこの目で確かめた事しか信じませんのよ。噂に踊らされる愚かな女性だとは思わないことですわ!)
誰と戦っているのか分からないが、とにかくアグネスは心の中でそう息巻いた。
やがて息が整ってくると彼女はいつもの毅然とした態度に戻り、困った顔で待っているヘルミーネにと話しかける。
「実はヘルミーネ様にちょっとご覧頂きたいものが御座いますの」
「えっと、私あまり時間が無いのですが」
「大丈夫ですわ、すぐ済みますので」
迷惑そうなヘルミーネの事などお構い無しに、アグネスは自分の目的を果たすべく馬車から降りる。
そのままドアの横に立った彼女は、車内を見て欲しいとヘルミーネに指差した。
「これをご覧下さいまし!」
「馬車の中をですか?……って、これは!」
途端、目に飛び込んできたその光景に驚愕したヘルミーネは、思わず息をするのも忘れてその場に立ち竦んでしまったのだった。
◇
この二人のやり取りを少し離れた路地から見ている五人の男達がいる。商人風を装ってはいるものの、その眼光の鋭から只の商人にはとても見えない。
なにやら怪しげな男達であったが、何故かみな一様に肩で息をして疲れ切っていた。
「や、やっと追いついた」
「馬車の細工は上手くいったのにな」
「ああ、まさか走り出すとはな」
「いや走ってないだろ。あれは小走りだ」
「だな。あれって加護の力か?」
「筋力強化にあんな効果あったっけ」
「とにかくここで方を付けるぞ」
「おう、確実に誘拐を成功させよう」
「ところでどっちがヘルミーネだ?」
「えっ?…………」
実を言うと彼らは帝国が差し向けた諜報員たちなのである。アスマンからヘルミーネ誘拐の任務を命じられ、今まさにその実行中なのだ。
アスマンはマッドリーとの会議の席で得た情報から、マッドリーの妹、つまりヘルミーネ・ロックス公爵令嬢こそがグロリエン王太子の婚約者となる人物だと直感した。
その直感の当否はともかく、アスマンは決然として誘拐を企てたという。
実行部隊の五人は諜報員たちの中でも精鋭を揃えた。マッドリーでさえ未だ把握出来ていない者たちなのだ。
従って上司のアスマンから「とりあえず誘拐しとけば色々と使い途があるものだ」と、なんとも乱暴な命令を下されても粛々と遂行するだけの実力もあった。
ただ今回はあまりにも準備の時間が足りなくて、ヘルミーネについての情報が殆どなかった。
いくら帰国が明日に迫っていたとはいえ、本人確認さえ出来ていないままの誘拐は、あまりにもお粗末すぎると言える。
「おい……。まさか誰もヘルミーネの容姿を見てないのかよ?」
「あの状況じゃ仕方ないさ。馬車から飛び出したと思ったら、あっというまに人混みに消えてしまったんだもの」
「いやでも確か髪の色がブロンドとか栗色とか、明るい色だという情報があったぞ」
「あそこにいる二人はそのブロンドと栗色だけど、どっちがどっちなんだ?」
「まて、思い出した。さっき馬車から飛び出した時、水色っぽいドレスを着ていたのを覚えているぞ」
「二人とも、その水色っぽいドレスを着ているわけだが?」
「…………」
諜報員の五人の精鋭たちは上司の無茶な命令に困り果て、もう誘拐なんてやめて国に帰りたいと心の中で愚痴をこぼすのだった。
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