第12話 大好きなのに
ここにドアにへばり付き、部屋の中の様子に聞き耳を立てる怪しい女性がいた。
その部屋には『元婚約者栄誉の会』という表札が掛けてある。女性は部屋の中での会話がよく聞き取れないのであろう、イライラとして舌打ちをしたようだ。
(何の話をしているのかしら? もっとハッキリとした声で喋ればいいのに!)
よく見ればその怪しくも白銀の女王を思わせる美しい女性は、侯爵令嬢のアグネスであった。グロリエン王太子の妃になる事を目論む宰相の娘である。
彼女はもっか自分のライバルと見なしているヘルミーネを、加護の力を使ってストーキング中だ。
(なんとしてでもヘルミーネ様の欠点を見つけ出さないと……)
アグネスはその欠点を利用して、ヘルミーネがグロリエンから嫌われる様にと仕向けたかった。ゆえに現在、その奮闘努力の真っ最中というわけだ。
すると透き通るような白い肌がピクリと動き、アグネスはその表情を変える。
(えっ? 誰かがヘルミーネ様の欠点の話をしている!? よく聞こえないじゃないっ、もっと大きな声で──あっ)
頬の形が変わるくらい目一杯ドアに顔を押し付けていたアグネスは、微かに聞こえてくる部屋の中の会話を聞いて大きくその目を見開いた。
(そんなまさか! ヘルミーネ様が、か弱い小動物をお嫌いだったなんて……。なんてことなの、信じられないわ!)
さらに部屋の中の殿方たちによれば、それを母性がない残念な欠点とみなしているらしい。
これはとんでもない情報を得てしまったと、アグネスの鼓動はどんどんと早くなる。だがやがてドアから顔を離すと、押し付けていて赤くなった頬をにわかに歪めた。
(フフフ、ヘルミーネ様、これでグロリエン殿下は私のものですわ!)
そう豪語したアグネスの美しい面差しには、くっきり付いたドアの木目と共に邪悪な微笑みが張り付いていた。
◇*◇*◇*◇*◇
ヘルミーネが元婚約者栄誉の会を訪れた日から十日が経った。
その間ヘルミーネはずっと私室に閉じ籠り、ある特訓をし続けている。
(頑張れ私! 女性として成長するには、この欠点を克服しなければならないのよ!)
そう一人力んで拳を握るヘルミーネの周りには、沢山のぬいぐるみが散らばっていた。良くみると猫や仔犬といった小動物のぬいぐるみばかりである。
どうやらヘルミーネの特訓とは、か弱い小動物に慣れる為の特訓であるようだ。
しかしそのぬいぐるみたちの様子はどこかおかしかった。ボロボロで継ぎはぎだらけなのだ。
ヘルミーネはとりわけボロボロな猫のぬいぐるみを手に取ると、泣きそうな顔をして謝った。
「ごめんねニャンティ……痛かったよね」
すると今度はやはりボロボロの仔犬のぬいぐるみを手に取り、頬擦りをする。
「バウザーもごめんね。練習台になんかにしちゃって……」
実を言うとヘルミーネは小動物が大好きなのである。沢山ある小動物のぬいぐるみに、各々名前をつけて大切にするほど大好きだったのだ。
ではなぜ元婚約者たちから、ヘルミーネが小動物を厭っていると誤解されたのか?
ボロボロのぬいぐるみを一つ一つ優しく撫でたヘルミーネは、「加護さえなければ……」と溜め息をつく。
興奮すると無意識に加護を発動させてしまうヘルミーネにとって、小動物は危険極まりない存在なのだ。間違いなく大好き過ぎて興奮し、強化された筋力で小動物を傷つけてしまうだろう。故にあえて遠ざけたその配慮が誤解を招いたのである。
実際にヘルミーネには消すことの出来ないトラウマがあった──
『なにこのネズミ、かわいいっ!』
幼い頃に屋敷の使用人が飼っていたハムスターが可愛いすぎて、ヘルミーネは夢中で抱きしめた事がある。だがその結果、加護による不幸が起きてしまったのだ。
それ以来ヘルミーネは罪悪感と恐怖心に苛まされ、小動物には絶対近づかない様になったのであった。
(だけど、いつまでもそのトラウマを引き摺っているわけにはいかない!)
興奮を抑える事が無理ならば加護の発動を抑えればいいと、ぬいぐるみを本物の小動物に見立てて特訓をしたのである。
母性に欠点のある女性だとグロリエンに思われない為に、何度も失敗を繰り返しながらも頑張った。
「みんな……今日まで文句も言わず、ツラい練習台になってくれてありがとうね。そしてごめんね」
ヘルミーネはぬいぐるみ達を手に取ると、涙ぐみながらそう語りかけた。
「でもみんなのお陰で私乗り越えられたと思うの。だから最後まで見守っていてね、きっと証明してみせるから!」
どうやら到頭ヘルミーネは自分の欠点を克服する事に成功したらしい。
その喜びと感謝の気持ちをボロボロのぬいぐるみたちに述べているヘルミーネの目からは、ぽろりと涙が溢れる。
と、その時ドアをノックする音が届く。
案内してきた侍女と共に現れたのは、ヘルミーネの親友でありこの国の王女でもあるエリスティアだった。
「来たよぉーヘルミン」
「いらっしゃいエリスン! 今日は私の無理を聞いてくれてありがとう」
「言われた通りぃ愛猫のビッチも連れてきたよぉー」
そう言ったエリスティアは確かに猫を抱いている。毛並みの美しい黒猫で丸い目が愛くるしい。
(かっ、可愛いーッ!)
鼻息を荒くしてビッチという名の黒猫に食いついたヘルミーネに、エリスティアが不思議そうに尋ねた。
「けどぉヘルミンはぁ、小動物が苦手じゃなかったっけぇー?」
「え? えっとね。実はそうじゃないの」
黒猫の可愛さに暴走しそうになるのを抑制し、ヘルミーネはエリスティアに今回特訓に至ったまでの経緯を話す。
「ふぅーん、そうだったんだぁ。てっきりヘルミンはゴミを並べる趣味があるのかと思ったよぉー」
エリスティアの視線の先にあるのは、ボロボロのぬいぐるみたちだ。
「ゴ、ゴミじゃないよ! 私の可愛いぬいぐるみたちだよっ」
「えーっ、どうみてもゴミだよぉ」
「可哀想なこと言わないでよ!」
「でもぉ、可哀想なことしたのはヘルミンじゃんねぇー」
「うっ!……」
言葉に詰まったヘルミーネは、顔を引きつらせながらも話を先に進めた。
「と、とにかく! みんなの尊い犠牲が無駄でなかった事を、今日証明してみせるわ」
「ふぅーん、つまりウチのビッチがぁ、ヘルミンに生体実験に使われちゃうのかぁー」
「ちょ、言い方っ!」
エリスティアは抱いている黒猫のビッチを優しく撫でた。ゴロゴロと気持ち良さげに喉を鳴らすビッチは、無邪気なその目をウットリと細める。
「ねぇビッチ。お前もこれからゴミにされちゃうんだよぉ」
「ニャ~ン」
「そしたら剥製にしてぇ、この部屋に飾ってあげるからねぇー」
「ウニャ~ン?」
ヘルミーネは何だか不安になってくる。剥製になって部屋に飾られている黒猫を想像してみたら、脂汗まで流れてきた。
その様子をじっと見ていたエリスティアは、おもむろに黒猫をヘルミーネへと差し出した。
「はいヘルミン。でもぉひと思いにやってあげてねぇ? ビッチを苦しませないであげてぇー」
「やらないしっ! というか大丈夫よ!」
ハアハアと呼吸を荒くし、震える手で黒猫を抱き取ろうとするヘルミーネ。
彼女は緊張と疑念に飲み込まれそうになりながらも、この十日間の特訓を思い出す。
(練習では抑制できたのだものッ!)
ヘルミーネは意を決して震える指先を黒猫へと伸ばした。するとその指先を黒猫のビッチがペロリと舐めて、「ニャ~ン」と小首を傾げたのである。
途端、ヘルミーネは全身からハートのオーラを吹き出した様にして興奮し、ビッチを抱きしめようとする。
(か、可愛い過ぎるーーッ!)
しかしエリスティアの反応は素晴らしかった。咄嗟に黒猫を自分の腕の中に引き戻すと、もう片方の手に隠してあったぬいぐるみと差し替える。
それに気づいていないヘルミーネは、そのぬいぐるみを力一杯抱きしめた。
「ビッチっ! 大好きだよーッ!」
ブチブチと音を立て破れた箇所から綿が飛び出したぬいぐるみは、ヘルミーネの腕の中でグニャっとした。見るも無残な状態である。
「ギャーーッ!!」
「落ち着いてヘルミン、それぬいぐるみだからぁー」
「えっ!?」
ホッとしたあまりへなへなと腰砕けに座り込んだヘルミーネに、エリスティアが優しい声で語りかける。
「馬鹿だなぁヘルミンは。始めから私に相談してくれてたらぁ、こんな苦労しなくても済んだのにぃー」
「そうなの?」
「そうだよぉー。ねぇヘルミン、ビッチのことを人間の赤ちゃんだと思ってみなよぉ」
「人間の? 赤ちゃん……」
それはヘルミーネにとって不思議な変化だった。エリスティアに言われて黒猫を人間の赤子のように思ってみたら、急に可愛いという興奮が消え、代わりに愛しさが沸き上がってきたのだ。
もしかしたらそれが母性というものだったのかもしれない。
落ち着いた目をして慈しむ様に黒猫を見ているヘルミーネに、エリスティアはそっと愛猫のビッチを抱かせてあげる。
「ねぇー、大丈夫でしょぉ」
「う、うん。嘘みたい……」
ヘルミーネに少しぎこちなく頬擦りされた黒猫は、挨拶代わりにと彼女の頬をペロッと舐めたのであった。
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