第3話 十年一昔
年齢が上がってくると、十年というのは、それほど昔のことに感じなくなってくるけれど、周囲の環境を見れば、確実に時は移り変わっているのだなと思う。
当たり前かもしれないが、流行の物というのは、あっという間に古臭くなってしまう。特にファッションやデジタル機器。当方90年代の女子高生であるが、当時の女子高生の九割以上が愛用していたと思われるルーズソックスやポケベル(私は残り一割であったが)を、2000年代半ばに愛用していた女子高生はいなかっただろう。2000年頃でもほぼ絶滅危惧種だったと思う。
デジタルなところを取り上げてみれば、2000年頃は、携帯電話が一般的になってきた初めの頃だ。画面は白黒、ショートメールは同キャリア間でしか使えず、その後emailが使えるものが出てきたが、文字数は限られていた。
それが、10年経ったら、携帯変えるならスマホの時代。さらに10年経ったら、「ソフトウェア」という言葉はいつの間にか廃れ、パソコンでも携帯でも「アプリ」としか言わない。キャリア乗り換え、SIMフリーは当たり前、何をやるにもまずスマホ、スマホを持たざる者は人に非ず、くらいの時代になっている。
ファッションはまだいい。10年、20年すれば、同じ流行りが巡ってくることもある。
ここ、1,2年でどうやらダメージジーンズがまた流行っているようだ。どこかのお宅では「お母さんの昔のジーンズ、あげるわ」みたいな会話がなされていたりするのではないかと思ったりしている。つくば万博のコンパニオンみたいな服装の人を見かけたりもした。
何が流行るかはわからないが、要は服だから、好きなように着ればいいし、一方通行で消えていくものでもないだろう。
でも、デジタルは、もう戻らないだろう。機械は壊れれば変えるし、弱点が見つかれば更新される。より多くの機能を効率的に使えるようなものになり、昔の機械で今のシステムは使えない。社会全体がそのように変化して、それに合わせなければ生活できないのだから、戻りようがない。
戻ればいい、ということではないが、戻らない、ということは、あっという間に古臭くなって、もう二度と新しくはならない、ということだ。
個人的には、こういう面での「最新の流行」を芸術に取り入れるのは、結構勇気のいることなのではないかと思う。
作った時には今どき最新のカッコイイ内容だったかもしれないが、あっという間、早ければ、2,3年のうちに古臭くて時代遅れを感じさせるものになってしまうかもある。特に「それを作っている自分(作者)」よりも若い世代から見れば、古臭く、魅力のないものに見えやすいのではないかという気がする。
今見てもらえればいい、あるいは過ぎた時代のものとして見てもらえればいい、というのであれば、それでいいのだが。しかしながら、20年以上も前の作品を未だ完結させていない、無名の我が身としては、変わりやすく、一時期しか盛り上がらないかもしれないものは、あまり取り入れたくないとは思う。
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