雇い主とバイトの関係だけど……

 四月末。

 智絵里の部屋に家事代行に訪れて数回目になった。彼女の部屋は海斗が家事代行として掃除して以降、何とか綺麗に保たれている。また、海斗がまとめて食事を作るので、智絵里はカップ麺とお菓子生活を脱することが出来ていた。

「じゃあ海斗くんがご飯作ってる間シャワー浴びるね」

 明らかにラフ過ぎる着替えを持って浴室へと向かう智絵里。

(……桜庭さん、危機感あるんだろうか? あの人から見たら十八歳のガキとはいえ、俺も一応男なわけで)

 海斗は悶々としながら料理を始めるのであった。


「やっぱり海斗くんの作ったご飯は美味しいね」

 幸せそうに豚の生姜焼きを頬張る智絵里。シャワーを浴び、ゆったりとした部屋着の彼女はいつもよりリラックスした雰囲気である。

 海斗が家事代行バイトとして夕食を作った日は、智絵里と一緒に食べることが習慣化していた。

「それはどうも」

 海斗は智絵里の様子を見てフッと笑い、味噌汁を飲む。

「海斗くんって何でそんなに掃除も料理も得意なの?」

 味噌汁を一口飲んだ後、智絵里はそう聞いてきた。

「父子家庭だからですかね。十歳の時、母親が病気で亡くなったので」

「あらら、十歳で。弟くんはその時四歳だよね? 大変だったね」

 智絵里は気の毒そうな表情で海斗を見る。

「まあ最初は祖母も手伝いに来てくれていたので、何とかなりました。だけどやっぱり祖母も高齢で体を壊して、高校生になってからは俺が家のことやってました。それで色々と上達したのかもしれません」

 海斗は懐かしむようにフッと笑い、生姜焼きを口にする。

「そうなんだ。それって……今話題に上がるヤングケアラーってやつじゃ?」

 智絵里は心配そうな表情になる。

「まあそうかもしれませんが、別に俺は納得してやっていたので、そんな心配するようなことはありませんでしたよ。勉強も部活もちゃんと出来ましたし。父親も弟も家のこと何もしなかったわけじゃないですから」

 本当にその通りで、ニュースとかで見るようなヤングケアラーが抱える問題等は何もなかったのだ。

「まあ……本人が納得しているんだったら外野がどうこう口出すことじゃないね。ごめんね、変に勘繰っちゃって」

 納得している海斗の様子を見て、智絵里は考えを改めて謝った。

「別に良いですよ。気にしてませんし」

 海斗はそう言い、味噌汁を飲む。

「そういえばさ、海斗くんは経済学部だっけ?」

 生姜焼きと白米を頬張りながら、さっと話題を変える智絵里。

「はい、そうですけど」

「経済学部ってよく楽な学部だって言われるけど、実際はどうなの?」

「まだ一年だからよく分からないですよ。でも、必修科目とか落とさなかったら四年の時ほとんど授業ないらしいですよ」

 海斗はお茶を飲んでそう答える。

「わあ、それ凄いね」

 智絵里は目を丸くしている。

「桜庭さんは確か理工学部でしたよね? やっぱり大変でした?」

 海斗は智絵里の情報を思い出してそう聞いた。

「まあ文系の学部の子達に比べたらね。一限から五限まで詰まってた時もあるし、学生実験が長引いたり、四年の卒業研究とかはずっと研究室に籠りっぱなし。大学院でもそれは同じ。まあでも、般教……一般教養科目とか英語、第二外国語は二年までに取り終えたからまだマシな方だったかな」

 智絵里は懐かしむようにそう話し、ほうれん草のおひたしをぺろりと平らげた。

「第二外国語……」

 海斗は思い出したように苦虫を噛み潰したような表情になる。

「海斗くん、もしかして第二外国語難しいの選んだの?」

 智絵里がクスッと笑う。

「難しいっつーか……まあ難しいですね。中国語なので」

「ああ、四声ってやつがややこしいって聞くよね。私も友達が中国語選んでて混乱してた。慣れたら簡単らしいけどね」

「はい……。第二声と第三声がややこしくていつも混じってます。同じ部活の奴も同じことで悩んでましたね」

 海斗は苦笑しながら、残りの生姜焼きを全て口に入れる。

「へえ、海斗くん部活やってるんだ。何部?」

 味噌汁を一口飲んだ智絵里は、興味ありげに前のめりになる。

「映画研究会ってやつです。邦画とか洋画とかの歴史を調べたり、最新映画の分析をしたりしてます」

「ああ、映研かあ。うちの大学にもあった。ショート映画とか撮って学祭で発表してたなあ」

 懐かしむように微笑む智絵里。

「海斗くん、映画好きなんだ」

「まあ……そうですね。嫌いではないです」

「もしかして、中学とか高校では違う部活だったりする?」

「……はい。中学と高校は卓球部でした」

「やっぱり大学でガラリと部活変える人多いよね」

 智絵里はへにゃりと笑った。

 海斗は自分だけ質問されているのが少し不公平に感じたので、智絵里にも同じことを聞いてみる。

「桜庭さんは学生時代、何か部活とかやってたんですか?」

「うん。中高はバドミントン。で、大学は欧米研究会」

「欧米研究会……?」

 白米を食べながら、聞き慣れない言葉に海斗は首を傾げる。

「ヨーロッパとかアメリカの文化や歴史を研究する部活だよ。同じ学部の友達に誘われて入ってみたんだ。結構楽しかったよ」

「ああ、俺の大学でも似たような部活がありました。海外文化研究会っていう」

「やっぱりどこの大学も部活は似たようなものなんだね」

 残りの生姜焼きと白米を平らげた智絵里はへにゃりと笑った。


 話をしているうちに、二人とも食事を終えていた。

「お皿洗いまでありがとね、海斗くん」

 ふにゃりとした笑みを浮かべる智絵里。

「別に良いですよ。これも仕事ですから」

 海斗は皿洗いをしながら答える。口角はほんのり上がっていた。

(桜庭さんと話しながらの食事も悪くないよな。……家事代行のバイト引き受けなかったら基本夕食は一人だったよな)

 いつの間にか智絵里の家で家事代行バイトをし、共に夕食を食べる生活が心地良くなっている海斗である。


「あ、そうだ、今日月末だからお給料渡さないとね」

 皿洗いが終わった頃を見計らい、智絵里はお金が入った封筒を準備する。

 通常給料日は毎月二十五日だが、面倒だったので月末締めにしていた。

 智絵里は海斗に給料を渡そうとした。その時、智絵里はカーペットに足を引っ掛けてつまずいてしまう。

「桜庭さん危ない! うわっ!」

 海斗は思わず智絵里を抱き留め、尻餅をついた。

 海斗の腕の中に小柄な智絵里がすっぽり収まっている。折れそうなくらい細く頼りない体。彼女の長い髪からは、ふわりとシャンプーの香りがした。

「す、すみません!」

 海斗は慌てて智絵里から離れた。

「気にしなくて良いよ。私こそごめんね。うっかりつまづいちゃった。あ、怪我とか大丈夫?」

 へにゃりと笑う智絵里。やはりアンニュイな雰囲気で、どことなく猫を彷彿とさせる。

「はい……大丈夫です」

 海斗は智絵里から目を逸らす。

「良かった。はい、これお給料。金額は一応こっちでも確認してるけど、念の為海斗くんの方でも確認しておいてね」

「……ありがとうございます」

 海斗は智絵里から給料を家事代行バイトの受け取った。


 その日の深夜。

 海斗は眠れずにいた。

(桜庭さん……やっぱり細い。でもって……良い香りがした……)

 智絵里を抱き留めたことを思い出し、心臓が煩くなっていた。

(いやいや、俺何考えてんだ? 俺はあの人の家で家事代行バイトをしてるだけだろ)

 必死に首を横に振り、忘れようとする海斗。

 雇い主とバイトの関係が、少しずつ変化しているのであった。

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