「歴史なき民」の考察

@azerty

序文、ボスニア=ヘルツェゴビナ

先にエンゲルスが述べたように帝国主義の代償となる被支配民族は吸収同化されてしまったほうが政治的には都合がよい。しかしながらそれは民族文化や彼らの歩んだ歴史からすればそうではないといくらでもいうことができるであろう。被支配民族が「自国の歴史」として支配民族についてを学ぶのは極めて民族に対する侮辱となるし、それ以前に彼らには支配民族とは明らかに違う歴史があるというのも見過ごせない。特に中南スラヴ民族は歴史の最前線にたって時を過ごした民族である。彼らの歴史について見ていきながら「歴史なき民」の世界史におけるその重要性を再確認したい。


ボスニア=ヘルツェゴビナ。バルカン半島の北西部に位置する多民族国家である。民族的には国名を冠するボシュニャク人の他にクロアティア人、セルビア人がそれぞれ同じくらいの割合で居住している。この国の特異性といえば、主にボシュニャク・クロアティア両民族の居住するボスニア=ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人の居住するセルビア人共和国(スルプスカ共和国)の二つの国家が連邦制を取っており、各行政に首相が存在するために首相の名を冠する人物が多く存在することだろう。

数十年前にユーゴスラヴィアからの独立の際にその多民族構成がゆえにセルビアとの大紛争により甚大な被害を受けたことで日本人には認識されていると思われる。

では手短にボスニアの歴史について見ていきたいと思う。

中世最初期の民族大移動の後、スラヴ民族がいわゆる東部ゲルマニアに分布してから数世紀、現在のボスニア=ヘルツェゴビナ地域にはボスニア王国というハンガリーからの独立国家が存在した。カトリックでありながら教会スラヴ語を用いるその特異性により彼らはカトリックであるマジャール人、正教会総本山の東ローマ人のどちらからも敵対視されていた。その後数年間は二大教会の間に位置しながらも支配をつづけたボスニアであったが、1453年にボスニア東部に位置した東ローマ帝国がオスマン帝国により滅亡し、そのまま1463年にハンガリー、ローマの援軍もままならないままオスマン帝国の支配下となった。

オスマン帝国支配下でイスラーム教を信仰することで、バルカン半島の出自を持っていたボスニア人であっても、帝国の被支配者でありながら上層へと昇り詰める人物は少なくなかった。ここで、ムスリムのセルビア系であるというボシュニャク人のルーツが開かれることとなった。その後は帝国内で安定していたボスニアであったが、オスマン帝国の衰退、近代戦争の敗北、英仏サルデーニャの援助といった事態を経て、露土戦争後のベルリン会議ではオーストリアが行政権を握るようになる。この時高揚したナショナリズムからの視点だとこのことは悪に見えるが実はそうでもなく、逆にオーストリアがこの土地を完全に掌握すると発展が急速に進みボスニアのライフラインが整えられ着実に都市の近代化が図られた。しかしセルビアにルーツをもち多くのセルビア人が住むボスニアがオーストリア領である事実に対して急進的大セルビア主義者は快く思わなかったためにサライェヴォ事件が起こることとなってしまった。第一次世界大戦の導火線の終点がサライェヴォであったのだ。戦争を経てオーストリアが解体するとボスニアはセルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国成立時に支配下となるが、その後にユーゴスラヴィアの構成国として発足することとなる。第二次世界大戦ではクロアティア独立国の一部となり、反ファシズムのパルチザン運動の最前線となった。冷戦時にはユーゴスラヴィアとして独自の社会主義体制・反ソ連政策をとり積極的に第三世界の指導に努めた。そしてティトーの死去、ソ連解体後にはその民族対立感情からセルビアからの離反・独立を進め、現代紛争として社会的に大きな反響を呼ぶこととなり今も難民が絶えていない。

セルビア、クロアティア民族でありながらムスリムであるという葛藤を抱えるボスニア=ヘルツェゴビナ。

東西教会の対立、オスマン帝国の西方拡大、列強の利害対立、第一次世界大戦のきっかけ、そして民族意識と第三世界というこれまでの世界の大問題をその土地が最前線となり体験してきたボシュニャク人。

東西教会の分裂時には地理的にその中間点であり、独自のボスニア教会を開いた。東ローマ帝国の滅亡とオスマン帝国の拡大侵攻では実際にその被害を受けた。その後は異なる宗教、民族の融合した独自の民族意識が芽生え、墺露対立を経てベルリン会議では争議点ともなった。そして第一次世界大戦の火ぶたが切って落とされ第二次世界大戦でもその活躍が認められた。そして現代の民族対立の最前線にも立っている彼らは本当に、エンゲルスのいう「歴史なき民」なのだろうか。

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