第25話  信長との再会

惟政は、将軍義昭がフロイスとの謁見を拒否したこと。

信長との謁見がとても短かったことを気にしていた。


彼はこの事態を解決することが、天より与られた自らの使命と感じていた。

あれ以来、信長の言葉を信じ、あらためて面会が叶うように取り計らうことを決意していた。


実は信長自身も再び神父たちに会うことを考えていた。


「是政の意はわかった。今一度、会う」、いつになく上機嫌の口調で信長はフロイスとの面会を許可した。


「それではただちに。時を開けずして」と、いうや否や席を立った。


その足で、その吉報を司祭たちに伝えるために騎馬を引きつれ教会へと向かった。


「これは、これは惟政さまではございませんか」


「フロイス殿、すぐに支度をなされよ。殿の気が変わらぬうちに。会うと仰せじゃ。準備なされよ。早よ。これより我があないするうえ」と、惟政。


「殿は、将軍さまの城修築を監督するため城におわす。そこで会うとのことにござる」


「それはありがたきこと。これは惟政様のご人徳にございます。いま支度をいたしますゆえ、しばらくお待ちを」と、身支度を整えるようにとアルメイダたちに伝えみずからも奥に引っ込んだ。


フロイス神父が呼び寄せられた四月三日には、御殿などの中心的な建物群は一応の完成を見ていたが、虎口の馬出部分や出丸の隅櫓などはまだ普請が終わっていなかった。


この日も、七千人もの人夫が役についており、その様子が周りからではあるが信長の望み通りに町衆にも公開され城の前は信長の姿を一目見ようとする他国の武士などとともに老若男女の群衆でごった返していた。

 

その虎口前の橋の上で信長は待っていた。 その群衆の真只中に惟政に煽動されたフロイス一行は到着した。


通りで駕籠を降りたフロイスは、遠めに信長の顔を確認し、鍔広の黒のフェルト帽を取り除きかるく会釈した。


「フロイス」と、周囲に聞こえるような大きな声で信長が呼んだ。


フロイスは、信長に歩み寄り、帽子持ったまま軽くひざまずきあらためて挨拶をおこなった。


「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます」と、使い慣れぬ言葉で気持ちを伝える。


「そのような困難しい言はよい。まずはここに座せ」と、信長は橋のたもとに設えた椅子に仕立てた矢板を指さし座るように即した。


「ありがとうございます」と、いいながらフロイスは矢板に腰を下ろした。


「日は暑い。かまわぬ。帽子そのままをかぶられよ」


この国では、いずれの者同士でも戦闘のさなかの甲冑でもない限り戴帽したまま人と面会をすることは礼を欠き許されないと聞き及んでいたが信長の気遣いに少し驚いた。


「とても流暢な言葉遣いであるが、そちはここに来てから何年になる」と、まず信長が口火を切った。


「まる六年にございます」


「齢はいくつになる」


「三十七歳にございます」


「六年ほどで、そのように異国の言葉が話せるようになるものか。ならば、予もそちの国の言葉を学ぶことは簡単であるな」


「学ぼうとする気が大切であることには間違いがありませんが、なによりも、わたしたちは、教えを広めようとする国の人々にわたしの思いをつたえるための道具にしてその国の言葉で語りかけることが大切であります。言葉は心を通いよせるためにはとても大切なものでございます。それゆえ毎日話すことですこしずつ鍛錬をいたしました」


「ほう、そういうものか。予も異国に参り、そのように思えば、すぐに異国の言葉が話せるようになるということだな。これは面白い」


「生まれはいずこの町か」


「ポルトガルにございます」


「ポルトガルとはいずこにある」


フロイス神父は、黒い長い衣装の袖口から、こういうこともあろうかと用意していた四つに折りたたんだ世界地図をとりだした。


「ここにございます地図は、オルテリウスという者が描いた世界地図にございます」


「ここか」


「さようにごさいます」

 

「では予の国はどこじゃ」


「ここにございます」と、フロイス。


「予の国はこんなにも小さな国か。予はこの国においてもいまだ訪れたことのない地がある。この八十四州すら平らげられずにいる。わが国はもっと大きな国であると思っておったが」と、すでに見知っているはずのことを白々と聞いてみせた。


「そのようにございます。世界はとても広いところでございます。この地図には世界のことが一枚の紙の上にかき表してありますが、我々はこのような紙の上に住んでいるのではございません」


「どういう意味じゃ」


「我々が住んでいる世界は丸い球でございます。我々はそれを球のような大地として地球と申し、その地図を地球儀として作っております」


「この大地は丸い球であるというのか」


「さようにございます」とおもむろに手に取ったロザリオに連なる玉石を手に取ってみせた。


「我々はこのような球の上に中心に向かって立っております。なぜそのような事ができるのかは不思議な気がいたします。その摂理についてはわたくしもよく知り得ませんが。そのようなことであるということでございます」


「ならば、予の真下には、この球の裏側にいる者が世の方に向かって立っておるといことであるか。どちらが上でどちらが下かわからぬの。これは面白い」


「そのようにございます。誠に球の上に人が立っているのでございます」

 

「この世が球であるからこそ、ポルトガルから船をだし東へ東へと進めばこの国に来ることができます。また、東へ船を出すとポルトガルに帰ることもできます。もしも、この世が紙のように平ならば、船は紙の端で地獄の底に落ちるか壁に行き当たりそれ以上進むことができないはずでございます。このように神が作られたこの世界はとても面白うございます」


「なるほど、そのような事があっても予は不思議は思わない。予が知らないことがあっても何の不思議も感じはしない」


「そうか。こうして神父の話を聞いておると、何ゆえ、よの中のすべてがとても面白きことのように聞こえてくる。あれこれ考えることは楽しいではないか」


「どれくらいかけて、どのようにしてこの国に参ったのか」


「大きな帆のある船で、リスボンという都市から、アフリカという大陸の先端の喜望峰という岬を越え、そこから印度へ。さらに陸伝いにマカオという町を経て長崎にたどり着きました。さらに堺からこの洛中へと。おおよそ二年ほどの歳月がかかりました」

 

「そのような遠くから時をかけ、ここまでやってくるには、それ相応の覚悟がいるのではないか。その信念に感服する。あとどれくらいこの国にとどまっているつもりか」


「この国にデウスさまの教えが広まるまででございます。たとえ、この国のひとりの信者のためだけでも、いずれかの神父は生涯その地に留まりお世話をすることにございましょう」と、フロイスは、これまでの思いを込め答えた。


「その心を貫かせるものは何か」ここからが核心だといわんばかりに前のめりになった姿勢で信長は問いただした。


「信ずるということでございます」


「何をどう信ずる。この世で信じることができるものは己以外にないと思うが。違うか」


「自らの存在がここにあるということを自らが感じ、その意味を信じるということにございます」


「予にしてもわからないことがひとつある。予はどこから来てどこに行こうとしているか。暗闇から生まれ暗闇に向かって死す。それはどのような生き方をしようと皆同じように与えられるものであることは皆も知っている。しかしその暗闇の持つ意味は誰も知らぬ。知ることができない世界である。予は何処からきて、どこに行こうとしているのか。答えてみよ」


「この世の始まりは、何も無い世界から、神が一筋の光を与えられ、それを広げていくことで作られたと伝えられています。この世界は、それ以来いまだ膨張をし続け、また永遠に膨らんでいくがごとくのようにございます。その中で我々は神に与えられた生という形により、おのおのの役割を与えられて全うすることが決められております。このように、この世の万物すべてが同じように神という創造主により作られ生かされているようです。世界には初めがあり、日や月もすべてこの創造主がおつくりになられたということにございます。しかしながら、この世の全ての物には永遠はなく限りも申し付けられています。この事実も我々は知っています。肉体はいずれも滅びこの世から消滅してしまいます。ただ、われわれの意識の源は、救いの主であるデウスさまが復活されたように、肉体を離れた後も違う世界で永久に生き続けることができると申されております。それにはそれを信じそれに添うことが必要だといわれています。わたしたちは、そのことを伝えるために行動しています」と、フロイスは説いた。


「しかし、いずこの時代も現世の利を求める輩が多すぎるとはおもわぬか。各々の理に基づき、おのおのの役により、おのおのが自らの務めをだけを果たしていくことで、ひとつの世を作り出し、みなが静かに暮らすことができるというのに。人はそのようには動かぬ」と、信長は問いかけた。


「たしかに、そうでございます。この国に来てからも悩み続けております。ここでは誰が君主さまなのかがわかりません。帝さまでしょうか。将軍さまでしょうか、はたまたお大名さまでしょうか。信長さまでしょうか。とても難しゅうございます」


「予も、世のことがよくわからなくなる時がある。予はこれから何をすればよいか。これまでさまざまな宗界の者に投げかけたが、誰一人として予を納得させるだけの答え出した者はいない」


「この国に上陸し、たくさんの人々に触れあって思うことがございます。ここで感じたことは他国では感じることができないものがございます。それはこの国のひとつの形をあらわしています。この国は長い年月をかけてその形を知らず知らずのうちに作りあげてきたのだと思います。なによりも、まず清潔であること。清廉な心が深く根付いていると思います。そして秩序がある事です。押し付けられたことを仕方なしに行うのではなく、古くから決められてきたことを疑いもなく受け止め同じように行っていくところに安定した秩序を感じます。民は皆、どのような境遇にあったとしても、今を生きることに専念し屈託なく明るく親切で分け隔てがない。勿論、そうではない人々がいることもよく知っておりますが、決してその悪が大勢を占めているということでもないように感じます。わたしたちは、その恩恵の数々をこの短い間に見聞きし、また肌身で受け取ってまいりました」


「ではなせ、世が乱れる。穀物を奪い合い。土地を奪い合い、人をだまし、意味もなく人を殺す」


「そのようなことを繰り返しているのは、家と土地を護る事、奪い合うことに終始している武士たちだけではありませんか」


「予もその武士のひとりである」


「殿は今や天下では最高の権力を有せられておられます。何をおい悩むことがござりましょう。殿の意をもって、殿の意通りになされることがよいのではないでしょぅか。そのことが正しきことか悪しきことかは、いずれ神が判断なされることでしょう」


「予が目指しているのは天下の静謐である。なぜそれができぬか不思議でならぬ。予にすべてをまかせ、みなが手を止めれば安寧はすぐに訪れると思っておる。だがそうはならぬ。みなが予に抗う。それが無駄な事であるにもかかわらず。わからぬ者がのし上がってくる。それでは前には進まぬ。予はそのこと示さなければならないと思っておる」


この自信に満ちた言いようにフロイスは、神意なのではないかと誤解するくらいに信長という人物の異端さを感じた。


「信長さまの行く末を確かめとうございます」と、フロイスは言ってみた。


この言葉に信長は、そうであろう、というような顔つきをした。


「予はいずれポルトガルに行く。その時が楽しみである。そちの生まれ育った国をこの目でみてみたい。その時は案内せよ」といった。 



群衆は、信長が真剣にフロイスに向き合い、何を聞き、何を答えるか、その姿をじっと見守っていた。


その傍らでは、城の姿を一目見ようとする人々が、矢来の前に集まっていた。信長はその者たちにも気を払っていた。


この場を差配しているのは、佐久間信盛の家臣である。


そのうちのひとりの武士が、菅笠を目深にかぶり、顔をかくした若い娘の顔を先ほどから厭らしくのぞき込んでいた。


さらに顔を撫でるようなしぐさをし、袂から手を差し入れようともしていた。

娘はどうしてよいかわからぬまま、身を固くしその場に立ちすくんでいた。


信長はそれをしかと見ていた。


そして、

(気に入らぬ)と、思った。

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