第19話  本圀寺の政変

さて、上洛し将軍に就任した足利義昭であったが。次第にその権力をふるうようになっていった。当然のことながら、将軍のとしの職務を全うしようと、各地の所領の宛がいや、守護任命を精力的に行うようになっていた。


さらに、兄義輝殺害に関与した疑いのあった近衛先久を追放し、二条晴良を取り上げるなど、禁裏においても反義昭派を封じ込めるなどその存在を見せつけ初めていた。


その一方で信長との確執も目立つようになっていく。

信長はある意味大人であった。


信長は、一定、統治が整ったものと理解し、洛中にはわずかな武将を残し、十月廿六日に洛中を出発し、二十八日に岐阜に引き上げた。


その年が変わった永禄十二年一月四日のことである。


この隙を突いた三好三人衆が再び洛中に現れ、義昭が住まう六条屋敷を襲ったのである。


これが世にいう本圀寺の政変である。


信長は、六日の夜に、飛脚でこの一報を聞いた。


彼は、無言で、陣触をすることもなく、ただひとり、大雪の中を馬に乗り、洛中へと駆けた。


それに気づいた重臣たちは、あわてて、その後ろを追った。

その数、わずか十騎であった。


義輝と同じ運命をたどることになるのかと思われたが、在洛する池田、和田、伊丹らの尽力により、六日中にはこれを撃退していた。信長が到着した八日にはすべてが終わっていた。


信長は、家臣たちの働きを褒めるとともに、この事件をとても憂えていた。

義昭自身もこのことに肝を冷やし、二月二日に信長に向けて邸の改修命じた。


このようなことがあっても持ちこたえるだけに室町御所を城塞化するように命じたのである。

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