第13話  フロイス、再び堺へ

永禄八年七月三日のことである。


洛中では、内裏が伴天連を追放せよとの詔を出したとの噂が流れた。そのことは、やがて現実のものとなる。


松永久秀の息子久道の家臣があらわれ、直ちに教会をそのままにして退去するようにと伝えてきたからである。


それを聞いたヴィレラ神父は、あわてて退去の準備をはじめるように教会の少年たちに指示した。


「まずはミサの道具を。それから必要な、みなの荷物をまとめて、ここを出ることにします。船で河内の教会へまいりましょう」


しかし、フロイスは、この状況を俄かに信ずることはできなかった。


「ほんとうに帝が 詔勅を出されたのであろうか。にわかには信じがたい。確信を得るまでは動いてはなりません。ここにあつまってくる者たちを見捨て、われわれがここを逃げ出したりすることはできません。そう決意したばかりではありませんか。わたしの使命はわたしの命よりも重い。たとえこの命を失うとも。その使命をはたさなければなりません」と、あらためてヴィエラ神父をたしなめた。


翌、七月四日の朝である。


幕府の奉行のひとり三好日向守長逸が、切支丹の家臣を通じフロイスのもとへ書状を送って来た。


それをヴィエラ神父に読み聞かせた。


「長逸さまは伴天連追放を阻止しようと尽力されたが、松永久秀それを聞き入れなかった。すでに帝の詔勅が出されたようである。みなは堺に行かれるのがよい。もし、堺に赴かれるのであれば、われらが家臣を供につけ、道中の警固に当たりたい。また、ここにの所有物を没収してはならないこと、我々から通行税は取ってはならないことの触れを出す。また二艘の船を用意するとのこと。五日の朝には、三好殿と松永久道とともに、長逸さまは、それぞれの居城の領地に帰るので退去を急ぐようにとのことである。ここでとどまっていてはとても危険である」


フロイスは、

「やはり、ほんとうであったか」と大きく息を吐き、唇をかみしめた。


「仕方がありません。ご決心を」


フロイスは、ヴィレラ神父の意見を受け入れることとし、皆に身支度を整えるように指示した。それでも、身支度には時間がかかり、結局、七月五日までここに留まることを余儀なくされた。


その日の朝、長逸も洛中を離れる時が迫っていた。


それでも三好政康と岩成友通の二人は切支丹たちを弾圧するために洛中に留まろうとしていたため、それを見て長逸はフロイスたちとの約束を果たすため家臣の中でも最も敬虔な切支丹である庄林コスメとその家臣を残留させることとし、まだ教会にとどまっている神父たちの護衛に当たらせることにした。


「御身たちがまだ教会に留まっておられる意味はよく理解いたしております。その命、主君に成り代わりまして私がお守り申し上げます。ここで皆様方を災難に遭わせるようなことがあれば、私の一族は末代までの恥辱となります」庄林コスメは進言した。


(我々のために、尽力してくれる侍たちもいる。幕府の要人たちのなかにも、このように切支丹信者や我々に味方してくれる人たちがいる。物事を一方的に判断してはいけない。この国には人としてその場の善悪の判断で行動できる民がいることを改めて感じさせられる) 


そう思ったフロイスは。


「あなた方のお力にはとても感謝いたしております」と、気持ちを素直に伝えた。


その傍らでは、神父たちがこの教会から逃げ出し、我々を見捨てるのではないかとおののいている市中の信者たちが続々と教会を目指し集まってきていた。たいていの者は、大きな悲嘆にくれている。


兵たちは、その群衆をかき分けるようにして陣取り教会堂を破壊し始めた。部屋の家財道具を掠奪し、窓枠、階段、畳など形のあるもの全て運び出し、持ち逃げしようと仕事を始めていた。


直前まで行っていたミサの祭壇までもがバラバラにされ、ひと時もたたないうちに協会は見る影もないくらいに破壊しつくされた。


人々は啜り泣き悲痛な声を上げ嘆き悲しんでいた。


その姿を見たフロイス神父は、いよいよここの別れが近づいていることを悟った。


正午を過ぎ三時となり、この状況をここで嘆いていても問題が解決しないと悟ったフロイス一行は、再起を期すために、ふたたび堺に向け出発することを決意し、まずは河内まで行くこととした。


フロイスには、ヴィエラ神父をはじめ、小西ジョウチン立佐。佐野トマ。清水レオゴ等多数の信者が付き添っている。一行は、鳥羽まで徒歩で行き、そこから船に乗ることにした。


教会のすぐ向かいには、本能寺や六条の法華宗寺院がある。仏教徒たちは、彼らに大声で罵詈雑言や呪いの言葉を浴びせかけたが、心優しい多くの民は、かれらに同情と憂慮の念を示した。


二里ほど歩いたところで鳥羽につき、そこで三好長逸が用意した船に乗り込んだ。


数か月前に堺を出で大坂での災いを逃れ、ようやく洛中で将軍から允許書を得たはずだったが、同じ道をこのような形で戻ることになるとはフロイスは思いよらなかった。


枚方で夜になった。ここで船をおり、四条畷にある飯盛山を目指すことにした。真夜中ようやく城の麓にある結城左衛門尉が建設した礼拝堂にたどり着いた。


幾人もの切支丹たちは、フロイス神父一行が来ることをすでに知っており、洛中での騒ぎの様子や、これからの自分たちの不安な行方について教えを請おうと人々が集まり始めていた。


そのような中、飯盛城にいた三好長逸の主だった貴人たちは、事態に対し、命を絶ち妻子を捨てでもこれに立ち向かう決意を固める相談を始めていた。


 ある重臣は、こう語った。


「我らは他のいかなることにも堪え忍びもするが、自分たちの信心する神父様やデウス様が、何の理由もなく不当なやり方で、迫害され洛中から追放されることには我慢がならない。我々はふたたび洛中に戻りこれまでどおりの命が与えられるように懇願するため上洛する所存である」


 それを聞いたフロイスは彼に説教をした。


「あなたがたの熱意は大切な財産である。自らの命を賭して自らの霊魂を危険にさらしてまで悪魔に立ち向かおうとする心は敬虔なものでしょう。しかし、そのことであなた方が本当の意味で得られるもの少ない。この事態を甘んじて受けて、まずは全ての人の許しを請うことこそが、今、我々がなさなければならないことではないか」と、一同は、それを納得した。


 七月六日。


少し落ち着いたフロイスは、飯盛城の西隣、三箇というところにあるサンチョ殿が建てた聖母マリア教会に足をのばすことにした。ここにもたくさんの信者がいたからである。


三箇は河内平野の東端に位置する、幾つもの池がある湿地帯であった。そのひとつの池の真ん中に教会は立っていた。ヨーロッパの洛中市を思わせるような景観である。


そこで洛中から入ってくる情報に耳を傾けていた。

それによると、神父たちが洛中を離れたあと町中に内裏および幕府により作成された伴天連達を洛中から追放することが書かれた高札が建てられたということである。


伴天連は悪魔の教えにして、虚偽かつ欺瞞の神デウスを間違った教えを洛中中に説いた罪により追い出したのだということであった。これを永久に追放し、教会を没収すべしと命じられたとのことである。


三箇で合流した三好長逸は、フロイスに対して、ここも安全ではないとし堺への退却を即した。


こうして、フロイス一行は、三箇を離れ、再び堺の日比屋デイオゴ了珪の家に向かうこととした。


これらのことはすでに堺の町にも伝わっていた。久しぶりに思いもかけずデイオゴのいる堺に戻ることになったことは、それはそれで安心できることではあった。しかし、そこでもこれまでのようにはいかなかった。


デイオゴを含め、神父一行を自らの屋敷に匿うことの危険性は大きなものがあると感じていた。デイオゴの家はもとより、日比屋のいる櫛屋町にも彼らを泊めてくれるような家は一軒もなかったからである。


それでもデイオゴは、親戚中を駆け回り、月二クルザード半の家賃で借りられる些末な家を一軒見つけて来た。そこは蔵の中のように暗く、明るい昼間でも蝋燭をともさなければいけないほどで、屋根は崩れ落ちそうで、窓からは加瀬が吹き込むというあばら家で、ひとたび雨が降ると家の前も泥だらけでぬかるむというものであった。彼らが隠れるにはよい家であった。


ここで、神父一行は、つぎの機会をうかがうことにした。フロイスとヴィエラ神父は、ひとまず堺で布教を続けながら、あらためて堺を基盤とし、洛中の動静をうかがうこととした。


こうした中でも、堺には多くの信者たちが集まってきていたからである、説教を聞く者、洗礼を受ける者が神父たちの努力で次第に増えていった。彼らに対して、神父たちは、信仰箇条や主祈祷文についての説明を行い、それらの書物の和訳本などの作成に専念していた。降誕祭においては、堺以外の各地域からも信者が市を訪れ、ひとりひとりの告白を聞いてまわったりしていた。


永禄九年二月十二日の四節句には、鞭打ちの苦行も行った。


そうこうしているうちに、世情はさらに刻一刻と移り変わろうとしていた。

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