第8話  フロイスが見た洛中

復活祭を無事に終えたフロイスは、三月二十九日につかの間の安息を得て、見識を広めるため、この国の文化に触れることにした。


ダミアンを連れて洛中見物に出かけた。


「ダミアン。いま、少しこの国の都である洛中をゆっくりと見てまわりたいのですが。案内をしてくれますか」


「それは良きことでございましょう。洛中の様子を知り、この国の景色に触れることは、民の心に触れることにもなりましょう」


「わたしがこの国に来て一番に思ったことがあります。これまで訪れた他の国と比べ他のいかなる国より優れている点は、清廉と秩序です。人々は清いことを好む。常に家のまわりや道を掃き清め、身体を洗い拭き服を洗う。そのようなことからはじまり、さまざまなもの清める」


「その理により、決められたことを決められたように行う。とても秩序を重んじている。この社会にもわれらの国と同じように階級というものがある。違う意味での秩序もあり、身分や職業も秩序という枠組みで縛られているという窮屈さがある。しかし、彼らは意外とそれを苦とは思っていないように思える。与えられた命の中で自らを自覚しながら生を全うしているように見受けられる。心が我々とは違った形としてあるように思える。この国はイタリアとは違う感情を受ける。それはわたしだけではないのではないであろうか」と、フロイスは、はじめていつもより長い感想めいたことを述べた。


「ご先祖様の代から、ここで生まれ長くここで生きておりますゆえ、あらためて毎日のことや今ある景色をあらためてどのような理でどうなっているのかというようなことを考えては暮らしてはないと思います。それがどういう意を持っているかを考えながら生きている人もいないのではありませぬか」と、ダミアン。


「よい。よい。まずは彼らが信仰している寺院などを見て歩きたいと思う」と、それ以上話させずに手招きした。


「では、まず東山にある三十三間堂にまいりましょう」と、ダミアン。


三十三間堂は、平安時代に平清盛によって建てられた堂である。その後、建長元年(一二四九)、文永三年(一二六六)の二度焼失した。今あるものはその時に再建されたものである。東向きに南北の本堂があり、その中央の門に向き合って本尊の阿弥陀仏が座する。内陣の柱間が三十三あることからその名がある。その両脇には小さな仏がおびただしい数並べられていた。


「偶像とはいえ、それが持つ美くしさには驚かされた。たくさんの人々がおとずれているが、それは祈るためのというよりは、むしろ見物に訪れているように見受けられる」と、フロイスは感想を述べた。


「さようです。近頃洛中は、信仰というよりは旅をする人の見物場所として賑わっているようです」と、ダミアン。


「では、このまま、東福寺へとまいりましょう」


そこから半里ほど下がったところに東福寺という寺院があった。

ここは、東山の支峰月輪山の山麓にある臨済宗の寺院で、東大寺と興福寺から一字ずつをとりその名としていた。

境内は、渓谷沿いにあり木立とともに小川が流れている。その中に山門、仏殿、方丈、東司、禅堂、開山堂、庫裏などの堂舎があった。


「すばらしい木造建築群を見ることができました。ここにも至るところにみたこともない偶像がある。あのようなものから神の恩恵が受けられるとはとうていおもえないのですが。彼らにとっては大切なものなのでしょう」と、フロイス。


「いかがでしょう。信心するものにとっては、いかなるものもすべてが美しく見えるものではないのでしょうか。それがどうかは別として」と、ダミアンが答えた。


 さらに、フロイスたちは、祇園に戻り、清水寺に向かい洛中の見物を終えた。


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