第6話  洛中へ

十二月二十九日の朝、空が白み始めた頃、彼らは行動を始めた。

年の瀬が迫った冬の大坂は、一段と寒さがましていた。


フロイスたちは、喜助が用意した屑糸で作られた頭巾のような綿帽子を目深に被らされ商人のいで立ちで家を出た。


フロイス自らが一行の先頭に立ち、まだたむろしていた兵たちの只中を通り抜けていく。誰も気付かぬ様子を見て、うまくすり抜けられたことに安堵した。


一行が、大坂の郊外に出たところで、一軒の藁小屋にたどり着いた。


一同は、ここでやっと大坂を脱出できたことを大いに喜んだ。お互いを祝福しあいよろこびを表した。


ここまで案内をしてくれた喜助にあらためて感謝し彼と別れることにした。

喜助はまた大阪に戻るということであった。


「喜助。世話になりました。あらためて礼いう。このことは、本国にも報告し、喜助殿の名前を残しましょう」


「礼にはおよびません。わしはわしとして自らの心の赴くままに行ったことで。わしが満足であればそれでよいのです。神父様のこれからの旅が災い無きないよう祈っておりやす。お気をつけてお行き下さい。これで永の別れとなりましょう。この国では袖触れ合うも多少の縁と申しますから。それではこれにて失礼」と、喜助はいま来た道を引き返していった。


フロイスたちは、その彼の姿が見えなくなるまで見送っていた。


(確かに、もう二度と会うことのない出会である)


長い思いに浸る間もなく、次のことを考えなければならないフロイスは我に返ったていった。


その日は、風もなく朝から降り始めた雪は、粉雪として深々と降り続き、道はその高さを増し足首から膝までの高さとなった。


日本人イルマンたちによると、このような雪の降り方は六十年ぶりとのことである。


この国に来るまで、フロイスは雪というものを知らなかった。原理そのものは知ってはいたが、始めて雪を眺め不思議な気分になった。世界は広いと思った。


道行く農村の屋根は、すっぽりと雪に覆われていた。この先は歩みでも馬足でも進めない。


(やはり喜助の云うように川沿いに船に乗るのが良いか)


一行は、川津まで出て船を探すことにし、一艘の船をみつけたが、船はすでに同じような考えの旅人で満たされていた。


この国ではこういう時でも、一人でも多くの旅人を運んでいくために、同じ目的を持つ旅人同士を助け合い譲り合うことをする。


「さあさあ、ここへ」と。旅人と船頭の声に導かれ、フロイス達にも席が与えられた。


ようやく一行が乗り込んだ船が出航することになった。残りの道のりは二里ほどである。


しかし、この日は寒気が厳しかったため、船頭は凍り付いた浅瀬に乗り上げてしまい動くことができなくなってしまった。仕方なく翌日までの八つ時ほどを船中で過ごすことになった、


それでもなんとか朝にはそこを脱出することができ、ようやく鳥羽の湊にたどりついた。


洛中に到着したのは、新しい年を迎えた永禄八年一月一日の朝早くのことであった。


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