第5話  大坂の事

デイオゴの屋敷で三日を過ごしたフロイスは、一二月二十六日の朝、はやる気持ちを隠して、京を目指して、まずは住吉に向うため堺を立った。


途中、大和川を越え我孫子道から住之江に入り、ようやく住吉大社までたどり着いた。あたりはすっかりと夜になっていた。


まずは、ここまでの道のりは何事もなく順調に進んだ。


翌、二十七日を住吉で一泊した一行は、大坂を目指すことにした。


堺を立つにあたって、デイオゴは、フロイスの身の回りの世話をするため、また、学びのためにと五人のキリシタンの日本人子弟をつけた。


また、これとは別に先に出発していた日本人キリシタンであるイルマン数人を先廻りさせて、食事や宿の手配もしていた。彼らは住吉大社で神父たちを待ち受けていた。

これらはデイオゴの細やかな心遣いであった。


当時、大坂は石山本願寺の本拠地であった。一向宗徒の一大都市として君臨していた。


フロイスたちは、この町をどうしても通り過ぎなくてはならない。

できれば、何事もなく、災いなく慎重に通り過ぎたかった。



 一向宗の成立は、鎌倉時代と古い。もともとは浄土宗で僧の一向俊聖を祖として始まったものである。「一向」とは「ひたすら」、「一筋」にという意味で、信徒たちはひたすら阿弥陀仏の名号を唱えながら拝み、阿弥陀仏にすがりながら現世の罪を他力により浄化しようとする信仰である。信徒たちの団結力は強く、命も惜しまない信仰心に時の為政者たちは、たやすくは排他出来ないもの、脅威として感じていた。第八世の蓮如の時代は、加賀を中心とした北陸地方に本拠地があったが、この時代の第十一世顕如(本願寺光佐)が宗主となり石山本願寺を本拠地として活動しこのあたり一帯を支配していた。


後に織田信長の最大のライバルとして君臨し、信長が最も欲した地としても知られている場所である。さらに、豊臣秀吉はここに大坂城を築き徳川家康もその上に徳川の大坂城を築いた要衝の地であり、曰くのある地であった。


フロイス一行の装いは、この地にあってはとても異様で目立ちすぎた。異教同士としてのぶつかり合いはなんとしてでも避けたいところであった。


先導し同行するするキリシタン信者たちの進言もあり、一向衆徒たちから逃れるため日中の行動は避け夜に移動することにした。


堺での荒廃した光景と同じように、大阪の町も三好一族らのこれまでの洛中での戦乱による影響で治安はとても乱れていた。どこの集団に与するのかもわからないような輩が町中を徘徊し、小競り合いし、掠奪・放火などを繰り返し行いとても町は混乱していた。


「神父様。このようなところにしかお泊りいただけませんが、おゆるしくださいませ」と、世話役の年長のイルマンか口を開いた。


「いえいえ、とてもありがたいことです。雨露を凌げる屋根さえあればそれで十分でしょう」と、フロイス。


「ここは、木賃宿です。主はキリシタンではございませんが、わたしたちの信頼のおける者でございます。心配はございません。安心してお休みください」


「それは、ありがたきこと」と、一行は、すぐに就寝の準備をはじめた。


しかし、ことはそう簡単には運ばなかった。


一同が就寝した直後のことであった。


突如、市中で騒動がおきた。

遠からたくさんの叫喚が聞こえ、走り惑う足音と駆け抜ける馬のひづめの音が聞こえた。


「何が起こったのですか」


「どこからか現われた武者どもが、刀や槍をふりまわし、走り回っているようです。少し見てまいりましょう」と、イルマン。


「外は混乱しております。武装した徒や騎馬が町を駆けずりまわっております。至る所に火をつけているとの由。ここも危のうございます」と続ける。


 そこに、やにわに宿の主があらわれた。


キリシタンを泊めていることがわかると、自らの命も危ないと感じた主は、それを恐れてフロイスたち追い出しにかかろうとしていたのである。


「さあさあ、ここは危険にございます。ここからお逃げください」と主。


危険を回避するため、亭主に迷惑をかけないためにも、一行は、荷物を早々にまとめて宿から出るしかなかった。


 しかし、時すでに遅い。街中の火は家から家へと移り、恐るべき大火となっていた。大きな寺院や屋敷も次々と火の海に飲み込まれていき灰燼していった。四方八方が地獄絵のように火の海となっていった。


 人々は逃げまどい、婦人は髪を振り乱し、ひどい身なりで子供を抱きかかえ街路を逃走した。その中で彼らは掠奪をくりかえしていた。


神父たちも、このような中三時間もの間、市中をさまようこととなった。


この危機を救ったのは同行していたひとりの日本人イルマンであった。彼は博多生まれのカトウ・ジョアンというものである。


彼は匿ってくれそうな新しい宿を見つけてきた。このことで一行は、ようやく落ち着くことができた。


夜は白みはじめ、明け方近くになっていた。


(このままでは、神父一行の姿が白日に晒されてしまう)


そう思ったジョアンは、以前、坂越えから堺まで船に乗った時に同船した喜助という男が大坂で所帯をもっていることを思い出した。


ジョアンは彼を頼ることにした。


「喜助。喜助殿。お頼み申す」と、ジョアンは固く閉まる戸板を叩いた。


顔を出した喜助に覚えているかと問いかけ。おぉ、ということになり。話が成立した。


(この国の、人としての心や行いは信ずるにたるものである)

フロイスはかねてからそう思っていた。


「みなさまがこれほどにお困りで。窮地に陥いってらしゃるのを見てえると、わしが  それを見捨てられるわけがごぜーません。伴天連様であろうが、お天子様であろう

が、そんなことはわしには関係が無ってことで。わしはわしの気持ちで動くばかりでさ。皆々さまをただただお気の毒に思ってばかりでござんす。こんな遠い国まで来て、こんな災難に巡り合うなど申し訳なく思っておりますっさ。ここは一番、わしが一肌脱いで、皆々さまを次の地までお送りいたしあしよう。まずは、伴天連さまたちが、ここから出ることができる方法がみつかるまで、わが家にお泊まりくださえ。すべておひきうけいたしあす」と自から家に招き入れた。


純粋な心の持ち主な違いないと、フロイスは胸を熱くした。


「神の助けです。ありがたいことです。貴殿にも神の祝福があらんことを」と、フロイスは祈った。


「妙なことをおっしゃる。わしはキリシタンでもなんでもない。そんな異国の恩恵を受けても仕方がありゃせん。ましてや受けられるはずもない。小さいころからの親のこと、神や仏への信心を持たせられようとしましたが、結局のところ生きるためにはなんの役にも立たないことを生きていくうえで知らされました。今や信じるものは己のみとなっています。神父様のお力も死んでしまえば、どうなったかもわからないことでさぁ」と、喜助が笑いながら言った。


「それでも何かを信ずる、いままでに見たことも感じたことも、経験したこともないような新しい光が心の中にみえてくることもありましょう。この時のこのわたしのことだけでもおぼえていてもらえれば、わたしはこの恩恵をあなたにお返しすることができたものと思っております」と、あらためてフロイスは返した。


ややこしいことはもうよいというように手招きをし、喜助は荷物を運びながら部屋の奥に消え、泊り客たちの身支度の準備を始めた。


市中では相変わらず騒動が続いている。


三好の郎党たちは町中に触れを出し、何人も自からの屋敷に他国の者を宿泊させてはいけないとした。見つけた場合は、即刻、死罪にするとのことである。


二百人ばかりの鉄砲をもった武士たちが、町中を横行しながら、一軒ずつ家を回り怪しい者たちがいないかを探索してまわっていた。


(この調子では、ここも一刻のこと)


実のところ、喜助もこの現状をどうすれば良いものかと思案していた。

喜助の家の戸口まできた兵に対しとっさに一芝居打ち時間を稼ぐことにした。


喜助は戸を大きく開き、玄関口の土間をおおぴろげに見せたうえでこう言った。


「おい。お侍いさんたち。何かお前たちに告げ口することでお金をもらえやしないかと、さっきからずっと思案してるんで。金持ちになるためには誰か疑わしいやつに出くわさないものかとわくわくして待っておりやした。そういう奴が我が家にきてくれねえかと。そればかりを願っているって次第なんですが、まったく出くわさねえもんだな」


「おう。そんな輩が表れたらすぐに知らせるのだぞ。何がしかの礼がでるよう俺が取り次いでやる」と雑兵の一人が答えた。


ここにはなにもなさそうだ。もうよいであろうと顔を見合わせて彼らは、次の通りへと立ち去った。

 

「うまくいったようです」と喜助は部屋に戻り皆に伝えた。

 

 この状況を見て、フロイスは、このまま洛中に行くか堺へ引き返すべきかを悩んだ。しかし、結果としてその思いを引きずりながら喜助の屋敷で三日を過ごすことになってしまった。


そのころには、追捕が片付いたのか市中の騒動は、一旦落ち着きを見せていた。


やはり、洛中への道を急ぐことが自らのなすべきことだと考えたフロイスは、ここを出て目的を果たすことをさらに強く決意した。

 

喜助が云うには、まだ警戒は厳重であるが、大坂から脱出できる道があるとのことである。船で大坂から淀川をさかのぼり、洛中から一里半の鳥羽という町までたどり着くのがよいということであった。


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