第3話  デイオゴの娘モニカのこと

その夜のことである。


十六歳になるデイオゴの娘モニカが、婦人に付き添われフロイスの部屋を訪ねてきた。そして、聖母マリアの像を握りしめながらおもむろに語りだした。


「私はデウス様の御慈悲によりキリシタンとなりました。デウス様、聖母マリア様が私にお勧めなさいますよう、洗礼を受け生涯貞潔に過ごす決心をいたしておりました。それゆえに私は髪を断ち切ろうと固く心に決めましたと、申しますのは、この国では女が神に身を捧げるときには髪を下ろすことが当たり前で。そのことによりこの世をは断ち切るのです。できれば、わたくしも神父様のお導きで修道院に参りデウス様に身を捧げたいと思っています。このことを父上にお願いしました。しかし、お父上はそれを聞き入れてはいただけない。そればかりか、わたしに罪深い者として生きなければならない試練が与えられるのだと申します」


さて、どのような話しなのかと、フロイスは身を乗り出して聞くことにした。


「切支丹であるはずの父上が、あろうことかわたしにこのようなことを申します。わたしを母の弟である叔父のもとに嫁がせるつもりであるというのです。私の国では、娘が年頃になると、許嫁と称して、婚姻する相手を探し出し、親同士で将来を誓い合う相手を決めてしまうのです。わたしを生み育てていただいて母さまと父上に恩をお返しするためにはそれに従わなければなりません。わたしの叔父に罪があるとは思いませぬが、叔父は一向宗という異教徒で、毎日釈迦の本を読むような熱心な異教の信者なのです。とても父上がお許しになるのが不思議なくらいでございます、しかし、この国では父上が決めたこと抗うことは許されません」


「敬虔な信者のデイオゴがそのようなことを考えているとは、俄に信じがたい」とフロイス。


「もしもこの婚姻がとりおこなわれると、わたしの霊魂は永遠に失われるに違いありません。しかし、わたしはいかなることがあっても父母の言いつけ守らなければならないという心もございます。また、いかなることがあっても神のご意思に背くこともできないという心もございます。この心が行き来し、このままで命を絶つしかない、そう日々を送っております。神父さまを唯一の救いとしてお会いすることを心待ちにしておりました」と告白した。


「わたしは。万事をイエスさまの光栄に帰せられるようになりますよう日々主にお祈り申しあげてまいりました。神父さまなら、このわたしの気持ちを父上に説いてくださるのではないかと、おすがりするつもりでした」


聞き終わるとフロイスは、おもむろに話し始めた。


「わたしは、このことについてこう話したい」


「あなたの願いは清く善きものです。あなたはやっと十六歳になったくらいであますが、これからの長い命の間には、あなたの良い志を妨げるような悪魔による誘惑が、いくつも潜んでおります。これは神が与えられた試練です。しかし、あなたはまだ少しの経験も持ちあわせてはいない。あなたが、神に召されるまでの間、肉体と霊魂の純潔を保たちたいと考えていることは素晴らしいことでしょう。あなたはデウスの御前において、大いなる栄光の信を得ることができるでしょう。しかし、もし挫折してしまうならば、あなたの魂は永遠に救われることはないのです。それはあなたの御両親、兄弟、親族の方々にとってもおおいなる悲しみとなります。それゆえ、あなたは、あなたの敵に向かい強い勇気をもって闘かわなければなりません。わたしはあなたが、髪を切ることもなく、あなたの思える人と生涯を共にし、これからを生きていくことをても希望しています」


彼女は、その言葉に対し次のように答えた。


「わたしは、デウス様を心から御信頼申し上げております。わたしはこの苦難に堪えられよう三日三晩、食を絶って祈ってまいりました。そして、主からのいっそうの慰めを授かるのを感じてまいりました。どんなにデウス様がわたしに力と慰めを授けられようとしているのかを知りました。そして、これからおこるあらゆることの苦難を受けいれていくことに対し、わたしにおおいなる力と慰めを、お与え下さることを感じました」


彼女の信仰と決心の強さを知ったフロイスは、彼女の父デイオゴと話すことを約束し、強い心を持つようにと伝え、彼女を部屋に戻した。


その翌日の朝、フロイスは、彼女の父デイオゴとこのことについて話してみることにした。


「わたしは、次の三つの理由から、デイオゴは彼女を彼の男と結婚させることではできないとおもっています。第一に、その人は異教徒であること。第二に、彼は彼女の叔父であること。そして、第三に、彼女はそのことを望んでいないということです」


これに対してデイオゴはこう答えた。


「堺の町のキリシタンはまだごく新しいので、当地には彼女と結婚させることができるようなキリシタン信者はおりません。それゆえ彼女を我々と近しい間柄にある叔父と結婚させたく思うのです。そうすれば、叔父は結婚した後にキリシタンになることでしょう。私はもうすでに彼女を嫁がせることを彼に約束してしまいました。彼は当地で裕福な暮らしをしており、彼自身も娘との結婚を望んでいます。このことはもはや公にもなっており、堺ではみなが知っております。もしわたしが彼に娘を嫁がせなければ、彼もわたしの家も大きな恥辱となりましょう。人々はわたしたちに対して尊敬の念を失い、私は大勢の敵を作るになりましょう。しかし、娘をあの者に嫁がせることが、デウス様の戒律に反することになるのでしたら、わたしは過ちを犯したことになります。神父様がこのことを諫められるのであれば、考えなければならないことです」

 といいながらも、彼はどのようにしてこのことを解決しようかとなやんでいるようであった。とても苦慮している顔つきでその場を去っていった。 


大いなる困難があることを知ったフロイスは、この国の長い歴史により培われた因習、それにより自らを縛り付ける彼らの日々の暮らしと、その生き方、そしてそれぞれの心の中にある信仰心との不均衡を強く感じたところであった。

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