第20話 それでも色褪せない最高のひと時を

 高台の展望スペースまであと5分ほど。


 ――――記憶喪失。


 メイリーさんはそう言った。


『……聞いても大丈夫でしょうか?』


『……うん』


 嫌だと言われれば何も聞かないつもりだった。


 ……聞いてほしい、のだろうか。


 なら俺ももう興味本位で聞くつもりはない。


 真剣だ。


『……どれぐらいの記憶が思い出せなくなっているんですか?』


『全部……2年より前の、全部』


『……そうだったんですね』


 納得する部分はある。


 流石に世間と感覚がズレすぎていたからだ。


 研究所に籠っていればそういうこともあるかと思っていたが、それは根本の理由ではなかった。


『では、あなたの経歴はどこで……?』


『目が覚めてすぐ……青い画面が出て、そこに載ってたこと……本当かも、わからない』


『そうですか……』


 青い画面。


 俺が昨日見たような拡張現実的なディスプレイのことだろう。


『なぜ隠していたんです?』


『……きみに頼りないって思われたくなかった……』


『大丈夫ですよ、俺は気にしません。あなたがいたから俺はやる気を出せました』


 だが確かに……記憶喪失のアドバイザーというのは言い出しづらいだろう。


 早く気付いてあげたかったが……。


『あの……あの……械之助くん』


『……なんでしょう』


 初めて名前で呼ばれた。


『わたし……何もわからないけど……あなたのことは知ってるよ……』


『知って……?』


『うん……わたし、きみの専属担当だったから……』


『もしかして、2年前からですか?』


『そう……きみの目が覚める少し前から学校へ行くまで、ずっとわたしがきみのお世話とテスト、してた……』


 なんと…………。






 ――俺は3年前とある実験に志願した。


 その危険性から結美乃と仲違いしてしまったわけだが。


 その実験は――――核融合炉の搭載。


 太陽のような恒星のエネルギー発生源といわれる核融合反応を人体サイズで運用するための実験。


 だが、当時は人体サイズどころか核融合炉の技術さえ完成していなかった。


 であればなぜ実験に移ったのか。


 それは俺が特異体と呼ばれる者だからだ。


 ――――特異体100号。


 俺はそう呼ばれる存在だった。


 特異体は機械――というより環境への適応力が異常に高い。


 粗雑なプログラムの機械を埋め込んでも細胞が勝手に癒着し、脳が無意識下でプログラムを自身に適したものに変えてしまう。


 俺はその能力が非常に高かったらしい。


 それでも心配して止めようとする結美乃の意見を聞かず志願して、実験は成功した。


 ――――俺の1年と引き換えに。


 結美乃が怒って去ってしまったその日、寝て起きたら1年が経過しており、俺はすでに核融合炉を搭載していた。


 何の予告もなく寝ているうちに手術されてしまったらしい。


 そして入学するまでの期間は能力テストを続け、その間コミュニケーションをとっていたのは人工知能らしきロボットたちだけだったのだが…………。






 ……少しずつ日が昇ってきたな。


 俺は坂を登っている。


『メイリーさん、あのずんぐりしたロボットたちはあなたが操作していたんですか?』


『そう……わたしが同調して動かしてた……』


『……全部ですか?』


『うん……きみにゼリーを飲ませてあげてたのもわたしで……きみの頭をなでなでしてたのもわたしだよ……』


『……なんというか、お世話になりました』


 目覚めてから入学するまでの1年間はかなり緩いものだった。


 というか機関が俺に忖度しているんじゃないかと思っていたが、メイリーさんがやっていたのか。


 明らかに過保護な生活だったが……。


 施設内移動のときロボットたちに台車へ乗せられゴロゴロと運ばれていたのを思い出した。


 あれ全部メイリーさんだったのか……。


『械之助くん……お世話になったのはわたしだよ……』


『そう、でしたか?』


『うん……色んな機械の使い方、教えてくれた……できたら頭なでてくれて……嬉しかった』


 確かに測定器が使えずあたふたしているロボットたちにそれまでの経験からなんとなくで教えていた。


『きみが研究所から出ていくの、すごく寂しかったけど……でもきみが楽しみって言ってたから、わたしも嬉しかった』


 メイリーさんはいつになく饒舌だった。


『械之助くん、ほんとはだめだったんだけど、行っちゃう前のきみに一度だけ話しかけたんだよ』


『――ええ、実は俺も先ほど思い出しました』


『あ……言ってみて……』


 聞き覚えだけあって姿が思い出せないメイリーさんのことは不思議に思っていた。


 そしてその言葉は、俺が外に出る前日に微睡みの中で聞こえてきた。


『――楽しんできてね、ですよね?』


『そうだよ……聞こえてたんだ、嬉しい……』


『俺も嬉しく思っています』


『そっか……あのね、わたしずっと緊張してたんだ……』


『確かに今日は言葉が固かったような……』


『……ちがうよ、きみと話すときはずっと……ドキドキしてた』


『……そうなんですか?』


『うん、ずっとここにいて、誰かと話すのは初めてだったから。それに、械之助くんに情けないところ見せなくなかったんだぁ』


『そうだったんですか』


『任務もね、伝えるのに10時間ぐらいかかっちゃった……ごめんね』


『いえ、登校にはまだまだ時間がありました、大丈夫ですよ』


『……そっか……でね、緊張してすごく早口になっちゃうから、とにかくゆっくりにしたんだぁ。どうだった?』


 流石にあれはわざとだったか。


 確かに少し感情的になっているときは今のような少しゆったりぐらいの話し方だったし、そちらが素なのだろう。


『なるほど、確かにとてもゆっくりでした。でも今は普通に話せていますよ。メイリーさんはとても美しい声で、心地いいです』


『…………そう、なの?』


 もちろんだ。


 メイリーさんは柔らかく透き通るような声をしている。


 今の話し方だとそれがよく分かる。


『ずっと聞いていたいほどです。緊張は大丈夫になったんですね』


『――うん、もう覚悟を決めたから』


『…………』


 ――あぁ、本当に嫌だ。


 メイリーさんは俺に自分の全てを話そうとしてくれている。


 それがすごく、恐ろしい。


『……覚悟というと――』


『――まだ待って。わたしのこと、全部聞いてほしい、お願い』


『……はい』


 もうすぐ街を見渡せる場所まで着く。


 ふぅ…………。


『……あの、ごめんね、この前は怒っちゃって。わたし、不死構想の研究者だから……』


『なるほど』


 ――――不死構想。


 それは報われない人から死を取り除き、幸福を掴む機会を無限に与え続ける、というものだ。


 確かに俺が見せた諦めの姿勢はその理念と合致しないものだろう。


『……あのね、わたし、きみの名前、ずっと知らなくて。100号が名前だと思ってた』


「ふっ……」


『俺は械之助といいます』


『うん、やっと名前で呼べた。よかったぁ』


『これからもぜひそう呼んでください』


『…………』


『…………』


 高台の展望スペースまでやってきた。


 北から望む景色は暁色と藍色がせめぎ合っているようで、とても美しかった。


『きれい……』


『ええ、そうですね……』


 終着点まで来てしまった。


 ここから先は、もう逃げられない。


 俺も覚悟を決めよう。


 メイリーさんが一体何の覚悟をしたのか、この悪寒の正体、それらを知る覚悟を決めよう。


 周りには誰もいない。


 俺は口を開いた。


「メイリーさん」


『うん……もう満足。全部話して、外のきれいな景色を見て、もう満足した』


「はい」


『械之助くん』


「……はい」






『わたしを殺して』






「……え?」


『わたしを殺してほしい、今すぐ』


「…………メイリーさん?」


『わたしがきみを殺す前に、わたしを殺して』


「…………え?」


 意味が分からない。


 いや、意味が分からない。


 不安を誤魔化すように手すりに触れた。


「あの……冗談ですか?」


『違う、昨日の朝からわたしはきみを殺そうとしてる』


「…………」


『意識がはっきりしたのは30分ぐらい前、きみとの通信に使っていた脳の処理領域1%分が今のわたしで』


「…………」


『99%は全部きみを殺せるだけの動力炉製作に使われてる。放置すれば設計図は完成に近づいていく』


「…………」


『きみを殺そうとしてた感覚、わたしには残ってる……わたしは絶対にきみを狙ってる』


『…………』


『械之助くん、今もわたしの体は勝手に動いてるの。それが恐い、恐いよ……』


「…………メイリーさん」


『だからわたしを殺してほしい。ううん、機関の誰かに言うだけでいい。わたしはきみにしか通信できない、だから……』


「……それだとメイリーさんは――」


『――お願い、きみを傷つけるぐらいならわたしはもう……』


「…………」


 30分前。


 メイリーさんは30分前に事態に気付いたという。


 そして、メイリーさんは任務を伝える際に俺へ話しかけるまで10時間もかかったという。


 なんだ、それは。


 どれだけ優しいんだ。


 俺の命が懸かっていたら、たった30分で自分が消える覚悟を固められるのか。


 そんな人を危険に晒すことなど、できるはずがない。


 ――たとえ俺が死のうともだ。


 俺は脳内伝達に切り替えた。


『誰にも聞かれないよう切り替えました。俺はあなたを殺さない』


『え?……なんで……』


『聞かせてください、詳細を』






 ・・・・・・・・・・






 10分後。


 メイリーさんから話を聞いた。


 ――――状況は非常に悪い。


 これは強制命令だ。


 メイリーさんは俺の管理者でもあっただろう人物に、特定条件下での不正な強制命令をかけられている。


 そしてメイリーさん自身が特異体であり、かつたった1%の処理領域でも俺と同調し普通に会話することができる頭脳を持っている。


 というか、ロボットたちが30体は俺の周りで手を振ったりジャンプしたりとわちゃわちゃしていたこともある。


 メイリーさんは俺を楽しませようとしていたらしく、デザインもかわいらしいものばかりで俺も愉快だった。


 ちなみにそのかわいいロボットたちは最初から用意されていたらしい。


 その命令者の人物像がよく判らないな。


 ――ん?


 あぁ、つまりメイリーさんは尋常ではないということだ。


 その30体を自在に動かしながらまだ余裕があったという。


 メイリーさん自身が、機関に連絡すらさせないほど瞬時に、かつ隠密に俺を葬れるだけのサイボーグへと変貌するのはそう難しくないだろう。


 この一件、確かに俺の身を守るだけなら機関への連絡で一発だ。


 だが、それをすれば相手は証拠隠滅のためメイリーさんをどうするかわからない。


 非常に困難な状況――――


 ――それでも。


『メイリーさん』


『……なに?』


『相手を見つけましょう』


『えっ、でも……』


『もうある程度絞り込めています』


 ――殺意が。


 ――俺への殺意が見えるのだ、その動きに。


 命令者は俺をただ支援するかのような指示を出し、1週間後、俺を殺すよう命令した。


 その1週間だ。


 その間に俺はその人物の怒りを買った、もしくは何らかの目的に邪魔な存在になった。


 そして俺が色々とおかしな行動をしてしまった場所かつ命令者が関わっているであろう場所がある。


『高校です。俺はその人物にとって目障りになってしまったのでしょう。正直心当たりはそれなりにあります』


『……わたしが、だめだったから……?』


『メイリーさんはがんばっていましたよ、大丈夫です。それに俺自身、色々とやってしまいました、大丈夫ですよ』


『…………うん……』


 まぁ、もちろん治安維持で相対した者の可能性もなくはない。


 全く関係ない事柄から俺が邪魔になったのかもしれない。


 だが、俺が他でもなく葉ノ鐘高校に入学することになったのは俺の管理者――つまり命令者の選択であり、その人物が葉ノ鐘高校に何らかの形で関わっていても不思議ではない。


 そして俺への任務は高校での俺を知っているが故のものだった。


 もし本人が高校にいなくとも俺の情報はどこかから入手可能だ。


 俺はその入手先に当てがある。


 そこから辿れるかもしれない。


『でも、見つけてどうするの……?』


『そうですね……』


 手すりを撫でる。


 やはり――


『仲良くなるしか、ないでしょう』


『仲良く……?』


『ええ、相手の怒りを鎮めるんです』


『そっか、それでやめてもらえば……』


 これは後手に回る対応だ。


 だが、それでいい。


 俺はメイリーさんへのリスクを最小限に抑える方法を取る。


『――メイリーさん』


『うん……』


『同調は切らないでください』


『……いいの?』


 ――同調が察知された際の危険性。


 メイリーさんもすでに気付いているらしい。


 だが……。


『実は、人と話すのが怖いんですよ。だから一緒にいてサポートをしてほしいんです』


 これは本音でもあり建前でもある。


『そっか……あの、わたしと話すのも、怖いの……?』


『いいえ、あなたほど純粋で信用できる人はいません。俺はメイリーさんがいたら安心できる』


『……そうなんだ……嬉しい』


 素直に感情を表現してくれるメイリーさんはとても可愛らしかった。


 だが、俺は真意を話していない。


 同調は、バレていいのだ。


 状況を機関に報告することもしない俺の様子から、相手はメイリーさんが交渉材料になると気付く。


 衝動ではなく計画的に俺を狙うその人物は、俺の命とメイリーさんの命で交渉を持ちかけてくるだろう。


 そしてそのときは――――


『本当に、いいの?わたしが生きてたら設計も進んで……』


『俺が機関に動いてもらい相手が証拠隠滅のためあなたを消しても、根本的な相手の殺意は消えませんよ』


『でも…………』


『メイリーさん。あえて言わせてもらいますが、あなたが死ぬなら俺も死にます。俺は自分よりあなたを助けたい』


『ぁ……』


『生きてください、メイリーさん』


『…………』


『メイリーさん』


『…………あの、械之助くん、わたし、やっぱりまだ死にたくない。きみともっと話したい』


『俺もです』


『……そっか、嬉しい……でもね、同調を続けてるとね、気付かれちゃうかもしれないんだ』


 ――分かっていますよ、メイリーさん。


『わたし、人質にされちゃうかもしれない』


 ――ええ、分かっています。


『そのときはもう、大丈夫だからね?』


 ――大丈夫です。


 ――メイリーさんのこれからと俺のこれから、天秤にかけるまでもありません。


 だが俺はあえて言う。


 メイリーさんが結末を気にしなくてもいいように。


『メイリーさん、そんなことにはなりません。俺とあなたはきっと未来でも笑えている』


『……そっか』


 メイリーさんは俺が本当に危なくなれば機関へ連絡してもらおうと思っているだろう。


 だが俺はしない。


 メイリーさんが俺の元に現れたって、どれだけ強くたって、最期のときまで彼女を見捨てない。


 そして――――


 ――俺が今すぐ相手と交渉を始めない理由。


 自分の命を惜しんでいるわけではない。


 交渉で俺が死ぬのは無難な策で、メイリーさんの命は助かる。


 だがそれまでは挑める。


 強制命令の解除だけではない、俺はメイリーさんをその誰かの元から自由にしたい。


 それでも、どうにもならないかもしれない。


 足掻いてもどうしようもないかもしれない。


 だから――――


『メイリーさん』


『うん』


『楽しみましょう』


『……えっ?』


『いつか訪れるかもしれない終わりの時まで、あなたと俺で、青春というやつに挑んでみませんか?』


『青春……』


『多くの人と関わって仲を深めるんです。そしてそれが俺の評価を上げる最善手でもあります』


 つまり、生存戦略としての青春。


『……そっか、ならサポートするね、械之助くん』


『ええ、これからもよろしくお願いします、メイリーさん』


『うん……きっときみを助ける』


 ――――フッ……。


 俺は軽く笑みを浮かべた。


 どうやら、俺たちは互いに相手のほうが大切らしい。


 ――あぁ、俺はあげられるだろうか。


 ――俺が無惨に死んで。


 ――メイリーさんがひとりになっても。


 ――それでも色褪せない最高のひと時を。




『あ、言おうと思ってたこと、まだあった……』


『なんでしょう』


『――お誕生日おめでとう、械之助くん』


『あぁ、そういえば今日で17歳でしたね……』


『械之助くん、わたし、お誕生日のうた歌えるよ、聞いててぇ』


 そう言ってメイリーさんは柔らかな声で歌い始めた。


 てっきりお馴染みの曲かと思ったら全然知らない言語の全然知らない曲だった……。


 俺はメイリーさんの心地いい歌声を聴きながら手すりにもたれ、小声で呟く。


「――ありがとうございます、本当に」








 ……あぁ。


 そういえば。


 ここからでも機関の本部が見える。


 というよりこの辺り――関東地域だと大体の場所から見える。


 そして俺が今いるのは東京だ。


 ――――東を見る。


 昇る太陽の前に巨大な、あまりにも巨大な影。


 東京湾に存在する広大な埋め立て地。


 そこには9つの塔が建っている。


 そしてそれぞれの高さは――――


 ――円形に並ぶ8つの塔は全て500m。


 ――中心にそびえる塔は脅威の2000m。


 総称して……ドリームマウンテン。


 俺が所属する機関の本部は、今日も圧倒的な存在感でそこに屹立している。


 ――――そして機関とは……。


 50年前、世界のあらゆるディスプレイに表示された侵攻宣言――


『地球を侵略する』


 それを受け各国融資のもと当時国連幹部職員であった夢山倫之介を総督として設立された組織。


 その名は……。


 ――――国連地球防衛機関。






 俺の使命は地球を守ることだ。


 だが俺は挑む。


 地球の命運とは関係のない戦いへ。


 ただ一人の純粋な女性を救う困難な戦いへ。


 ――俺は……。


 ――彼女だけのヒーローに、なってみせる。





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