第17話 正義感10%嫉妬90%
青年も綾と同じマンションらしく、そこまで10分以上はある。
とりあえず歩きながら話すことになった。
初対面の彼は身長が170センチほど、少し長めの黒髪に柔和な顔立ちで好青年といった印象を受ける。
彼を間にして並んで歩く。
「それではまず自己紹介させてもらえますか、僕は――」
「ダメです。班長の名前と概要を知っても誰にも得はありません。脳のリソースの無駄遣いです」
「いやひどっ、何度も言うけど僕上官で――」
「君は波川班長、だろう?」
綾は名乗るときに波川班所属と言っていた。
「あ、そうですそうです。僕はなみ――」
「では明日のデートについて――」
「ちょっとちょっと僕は――いたっ、叩くのはなしだってっ」
ふむ……。
仕方ない、言うか。
「二人とも、仲がいいのはよいことだが今は少し静かにな」
「あっ、すみませ――」
「――は?」
怖いんだが……。
「ちなみに、桃八等官はどうした?」
切実にいてほしい。
「桃さんは――」
「桃ちゃんは本部へ用事です」
とにかく波川君に喋らせたくないらしい。
「ふむ……ちなみになんだが、昨日の件で?」
「いやぁ――」
「――いえ、別件のようです。それにもうビンタしたりしませんので警戒しなくて結構です」
「そうか…………本当にか?」
「本当です。私はあなたのことを産業廃棄物だと思っていましたが、どうやら頻繁に姿を消すのは治安維持のためだったようですね」
「……尾行していたのか?」
全然気付かなかった。
「そうなんですよ、綾ちゃんが先輩のストーカーになりたいって、いたっ――」
「接触禁止命令とやらはいいのか?」
昨日ようやく治安課の方たちがいつも俺と少し挨拶するだけの理由がわかった。
というか俺は何も聞かされていなかったため避けられているのかと心配していた。
「理由は分かりませんが命令は5時間ほど前に解除されました。と言っても限定的な人員のみですが。上官も詳細は分からないとのことで――」
「――あ、僕は綾ちゃんの上官、上司、格上ですけど、その判断した上官様は僕じゃないですよ――っていたたたた、手をつねるのはっ――でも綾ちゃんに触ってもらえて内心嬉しかったり、えへ」
「気持ち悪いです」
仲がいいなぁ……。
隣で歩くとなんとなく寂しくなる……。
「……それで、デートというのは明日の波川君とのデートを俺に報告してきたのではなく――」
「――は?わざわざあなたに報告する義務があるんですか?」
「……いや、ないな」
なんというか。
波川君とのデート、という部分は否定しなかった……ような。
……まぁ色々あるのかもな。
「正直何がなにやらだが、デートは命令違反の懲罰、といったところか?」
「その通りです。あなたにしては及第点の解答ですよ、おめでとうございます」
「…………」
俺とのデートが懲罰になるというあまり聞きたくなかった真実を自分で暴いてしまった。
「それと一応伝えておきますが、桃ちゃんは本当にあの後すぐ現場責任者へ報告を行いましたので」
「あ、と言っても僕たち責任者さんには会ったことがなくて上官様づてなんですが……いや、本当に僕もびっくりしました。そこまでの命令違反なんて、自我を消されてパニッシュにまでされる可能性もゼロじゃないのに……」
機関を構成するのはもちろん夢山チルドレンだけではない。
――パニッシュ。
凶悪犯罪者もしくは重大な違反を犯した機関員は自我を消され、そう呼ばれることになる。
……というかそんなに重い違反だったのか。
「原因は俺にある。済まなかったな、二人とも」
「いえ、僕こそ……。班長なのに何もできずすみません……」
「…………」
綾は黙り込んだ。
彼女は真面目なのだろう。
そして自分のことよりも他人の平穏を考えられる心を持っていて、どうにも抑えられなかったのだろう。
さて、そろそろ自宅も近い。
俺には分かりきっていた結論だが、述べるとしよう。
「――綾、デートはしなくていい」
「……あなたが校内で女漁りに精を出す変態だということは調べがついています。素直になって大丈夫ですよ」
「いや、もういいんだ」
俺とのデートという不自然な懲罰は明らかにその責任者という方の俺への配慮だ、任務を知っているのだろう。
これは最後のチャンスだ。
――だが、もういい、十分だ。
「……理由をどうぞ」
「あぁ、君を敬遠してということでは全くない。綾が優しい心を持っているのはもうわかった。それに容姿だってとても魅力的だ」
「……よく真顔でそんなことが言えますね」
「俺の取り柄かもな」
「そうですか――で?」
――まぁ誤魔化す必要もないだろう。
「実は失恋してしまってな、正直引きずっている」
「…………好きな人、いたんですか」
「ああ」
「…………そうですか」
綾は変わらず無表情だ。
ただ……黙って聞いている波川君は俺でなく綾の様子を何気なく伺っているように見える。
「あぁ、もし別の懲罰に変わるだけなら綾は嫌だろうがデートしよう、食事くらい奢る」
「…………」
返事はなく、綾はいつの間にか俯いていた。
……いや、自分のブーツを見ているのか?
「……あの、失恋っていつのことですか」
――む?それを気にしていたのか。
もし昨日だと言ってしまえば瀕死の俺を吹っ飛ばしてしまったと気に病むかもな。
「あぁ、それはずっと前のことでな。昨日までの俺の行動はそろそろ新しい恋へ踏み出そうとしてのものだ。まぁ色々と常識外れなことをやってしまったが――」
「――嘘ですね。昨日の昼と放課後では全然様子が違いました。昨日なんじゃないですか?」
「……何にせよ、君は間違っていない。まぁ次からは殴る前に少し問答を挟んでみるのも悪くないだろう」
大丈夫だろうか。
人助けの一環で年下と話すこともあったが、説教のようになっていないかいつも心配になる。
「……ずっと、先ほどのように誰かを助けているんですか」
「そうだな、研究所から外に出て以来、毎日しているな。まぁその必要性があるのは残念なことでもあるが……」
俺の出番など少ないほうがいい。
俺は全員を助けられるわけじゃない、手遅れだったことだって何度もある。
その度に悔しくて悲しくて、それでもまた誰かを助けて、そしてその笑顔に救われるんだ。
俺は夢見ていた絶対的な善ではない。
俺が相手取る人たちにも事情があって、その視点では俺のほうが悪だろう。
――それでも。
「俺は思いやりから生まれる暖かさが好きなんだ。だからずっと人助けをやっている」
「…………」
「あぁ、すまない。聞いてもいないことを語ってしまったな」
「――好きです」
「――ん?」
綾は立ち止まっていた。
「好きです、械之助先輩」
「――綾?」
「入学する前から憧れて。高校にあなたがいると知って浮かれて。近くで一目見たときにはもう好きでした、械之助先輩」
変わらぬ無表情。
だが頬は赤みを帯び、その目はとても熱かった。
「あなたの真似をして校内でもブーツを履きました」
「綾……」
「私が今まで怒っていたのは正義感10%嫉妬90%です。好きです、先輩」
「…………」
「好きです」
――綾を見据える。
改めて見ても、美しい少女だった。
だがその手は震えて、目には少しずつ涙が溜まっていく。
俺は先ほど失恋を引きずっていると言ったばかりだ、それを思い出したのだろう。
それほどの、思わず早まってしまうほどの想い。
――あぁ……ここは。
――この場所は……昨日花を泣かせてしまったところだ。
――本当にままならないな……。
「すまない、綾」
「いっ、今のはっ、これから私を好きになってもらうという意思表示でっ、私っ――」
「――ダメだ、諦めてくれ」
「なっ……い、いやですっ。先輩の新しい恋、お手伝いしますっ。私を好きになってくれたら、ううん、好きじゃなくても、付き合えって言われたらすぐ恋人になりますからっ」
「……はは、それは魅力的な提案だ」
「……ぁ……ならっ――」
「――ダメなんだ。機関に関する事情があってもう誰とも交際はできない。失恋もそういう都合で俺から断りを入れた話だ。これからずっと、一人で生きる。そういう覚悟だ」
「……そ、んな……」
「ありがとう、嬉しかった」
俺は綾と違って研究所の外には出られないだろう、やはり2年後がタイムリミットになる。
綾や桃も俺と同格の特異性を持っているのだろうが、明らかに機関からの待遇が違う。
俺はずっと隔離されていた。
――俺は彼女たちとは何かが違う、ただの実験体なんだ。
「とりけしですっ、取り消しますっ。またいつか言いますからっ、全部なかったことにっ」
「取り消しても変わらない。俺は君と一緒にはなれない」
「う、ぅぅぅぅ……ぅぅ……」
綾まで泣かせてしまった。
昔の俺がここにいたなら、今の俺を悪党だと言ってぶん殴ってくれただろうな……。
だが、核融合炉を持つ綾や桃を当たり前のように世に出せるのは、強制命令の技術が進歩しているからだろう。
花の前で考えた機関に逆らうという考えは綾に破滅をもたらすのみ。
俺を好きでいても綾は幸せになれない。
「……ぅぅ……先輩、私、従順ですよ……?昨日の仕返しでも……ただイライラしたからでも……押さえつけて、暴力、振るってください……」
「ん……ん?い、いや、だめだろう、それは」
「いいんですよ……?私、いつも先輩から乱暴されること考えてます……今日の服だって……先輩に……」
――た、たしかに露出が多めなんだよな……。
俯いて自身のスラリとした脚に触れる綾はとても妖艶で――
――って、いかんいかん。
改めてダメだと伝えようとしたところ、隣でずっと黙っていた波川君が口を開いた。
だがその視線は綾の白い肌へ――
「も、もうわかったでしょ?綾ちゃんは械之助先輩と付き合えない」
「…………」
「帰るよ」
「でも……」
「帰るんだってば、ほら」
そう言って波川君は綾の手を掴んで強引に引っ張った。
「でも……あっ――」
――フラリと。
綾の体勢が崩れた。
俺は彼女を抱き留めることができる。
だが、しない。
――綾の体はそのまま倒れそうになって……。
――また勢いよく手を引っ張られ、その体は波川君の胸元に収まっていた。
彼女を支える波川君の片手は綾の腰元に強く押しつけられ――
「帰るよ。部屋まで送るからね」
「ぁぅ……そこ…………うん……わかった」
「……やっぱダメ。今日は桃さんもいないし……ほら、心配だから。僕の部屋で、ね、分かった?」
「そ、それって……あっ……っ……」
彼の手は綾の白い脚に伸び、その繊細な素肌を撫でる手は止められることなく――
「ぁ……ぅ…………うん……」
「で、では、先輩、お先に失礼します」
「…………」
「……ではな、二人とも」
波川君は俺に少し頭を下げ、俯く綾の手を引く。
そして足早な波川君に引っ張られ綾の姿も遠ざかっていった。
カサッ――――
足元で紙が擦れる音。
――あぁ、俺は紙袋を持っていたんだったな。
…………。
あれだけ暖かく感じた紙袋は、もうカサカサと乾いた感触しか俺にもたらさなかった。
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