第14話 俺の青春と……恋は。

 なぜ月見が俺を偽物と言ったのか。


 そもそも、なぜ疎遠になったのか。


 ――――少し、過去を思い返す。


 それは入学して1ヶ月が経とうとしているときの話。


 俺は自身の陰口を聞いてしまった。


 決定的な起因は分かる。


 俺は普段から休み時間の度に各教室を回り何かトラブルはないかと呼びかけていた。


 そして月見と仲良くなってからは彼女も連れ回していた。


 思い返せば恥じらいを通り越して冷や汗をかきそうな話だ。


 ただその中でも俺の悪評を決定的なものにしたのが――――


 ……女子が教室で更衣している最中に平然と侵入したことだ。


 あまつさえ普段通りに全員を見回しこう呼びかけていた。


『君たち、トラブルはないか』


 いや俺だ。完全に俺の存在がトラブルだ。


 あれは同学年で麗のいたクラスだった。


 俺は月見と麗にクラスから引っ張り出され懇々と説教されたが、最後には2人とも笑っていた――――


 ――はずだった。


『夢山ほんとにキモすぎ』


『アイツ今日も来んのかなー』


『もう人間として終わってるよね』


『退学になってくんないかなーマジで』


 これは全て、麗の言葉だ。


 翌日、いつも通りに彼女らの教室に見回りに来たところで聞こえた。


 その時トイレに行くと言って月見がいなかったのは本当によかった。


 ――――それでも。


 俺の足はもう一歩も前に進まず、ただ後退りすることしか出来なかった。


 善人はただ善人で、悪人はやはり悪人。


 結美乃が見せてくれたアニメや漫画は俺の唯一の娯楽で、昔ながらの勧善懲悪ものばかりだった。


 俺は、人には二面性がある、なんてことを全く想像すらしていなかったんだ……。


 そして、続く麗の言葉を俺は聞いてしまった。


『結美乃ってアイツと付き合ってるんだって。なんかガッカリだよねー』


 俺は麗が……いや、人が恐ろしくなった。


 そして、自分のせいで大切な人にありもしない噂が流れることを恐れた。


 だから俺の様子を見て心配してくれる結美乃に言った。


『もう俺に話しかけるな。一人でいるほうがよっぽど有意義だ』


 噂を流す者へ弁解する勇気を持てず、ただ大切な人を傷つけ遠ざける。


 最低だ。


 高校で再会して少しずつ距離を縮めていた俺たちの関係は、そこで終わった。


 そして、もうひとり。


 月見 花。


 いつも俺の服の袖を柔らかく握る小さな手。


 俺を見上げて浮かべる笑顔。


 そしてどこに行ってもついてこようとする一生懸命な姿。


 どれも本当に可愛らしくて。


 だからこそ、俺は言わなければならなかった。


『花を助けたのは見栄えのためだ。懐かせて連れ回せば人気が出ると思った。だがもうどうでもいい、飽きた。俺についてくるな』


 しっかりと考えた台詞。結美乃と同じように終わりだと思った。


 それでも月見は……花はついてきた。


 何日無視してもついてきて、俺の服の袖をぎゅっと握りしめて離さなかった。


 俺は彼女を無視し続けるのが辛くなり、もう他人のことなど気にせず花と2人だけで過ごすのが互いの幸せなんだと思った。


 そして振り向いたそのとき――――


『………花?……』


 ……俺のそばにはもう、誰もいなかった。





 そうして彼女らとは疎遠になり、俺の青春はたった1ヶ月でその幕を閉じた。






 ・・・・・・・・・・






 藍色の空の下。


 目の前には目を潤ませこちらを睨む月見……いや、俺の大切な友人であった花がいる。


「…………ふむ」


 1年前、花は俺に失望したのだろう。


 それは分かる。


 だが、まだ分からないことがある。


「君の言う偽物、それは俺が君にとって本物のヒーローたり得なかったという意味か?」


「そう、そうだよっ。械之助くんはダメになっちゃった……あの人じゃなくなっちゃったんだよっ」


「……ふむ」


 ――最悪のパターンではなかったか。


 もし花の言うが『偽者』であれば、俺の言葉は届かない。


 2人を助けたあの夜はまだ顔に支給品の黒いバイザーを付けていたからな。


 さて…………。


 ――撮影の件を詰めるか?


 ――それとも。


 ――昨日好きな人がいると答えた花が俺に何と言ってほしかったのか、確かめてみるか?


 ――そもそも、俺は彼女をなんと呼べばいい?


 いや、ここはもう――――


「花」


「……ぁ……そっ、そんな、今更名前で呼んだって――」


「海外へ転校することになった」


「……へ?」


 他の何を気にする必要もない。


 ただその一点のみで事足りる。


「もう俺のことは忘れてくれ、他の誰かに告白されても断る必要はない」


 俺がいなくなって探すとも思えないが、念のためだ。


「……え?……あ、あはは、自意識過剰だって……というか、そういう冗談やめてよ……ほんと」


「冗談ではない。それに俺の勘違いならそれで構わない、月見には関係のない話だっただけだ」


「ぁ…………えと、これからは花って呼んでほしいな……あはは、じゃあ帰ろっか」


「ああ、分かった」


 俺たちは再び歩きだした。


 だが、花の歩みはとても遅い。


 ――ふと、服の袖口に懐かしい感触を覚えた。


 花が俺の袖をギュッと握っていた。


「月曜日から、また迎えに行くね」


「いや、月曜の早朝にはもう発っているだろう」


「…………」


 1年前、花は毎朝駅から俺の自宅までわざわざ迎えに来てくれていた。


 ふぅ…………。


 静かに歩き続ける。


 少しして、駅への分かれ道。


「……では、達者でな」


「械之助くんの家まで行く」


 跡が付きそうなほど袖が強く握られる。


「いや…………うむ、了解した」


 また歩きだす。


 まさか……俺は迷っているのか?


 いや、そんなわけがない。


 もう固く決心したことだ。


「あの……親元に帰るとか、なの?」


「そんなところだ」


「あ、やっぱり海外の血入ってたんだ。前は分からないって言ってたのに~。そうだよね、彫りが深くてとってもかっこいいもん。そっか、じゃあ毎日連絡するね。住所も教えてほしいな。会いに行くからっ」


「いや、携帯は解約する。それに住所も教えない」


「………………」


 再び無言で歩く。


 もうかなり暗くなってきたな。


 そろそろ花は帰らせたほうがいいだろう、少し心配だ。


「……械之助くん」


「なんだ?」


「月見テックって知ってる?」


「ああ、知っている」


 俺でも知っているような大企業だが……。


「わたしの家がやってるとこなんだ」


「なんと、そうなのか。俺のスマホは月見テック製だ。世話になっていますとご家族に伝えてくれ」


「ふふ、かわいい。じゃあ伝えとくね」


「……ああ」


「ねぇ、わたし、貯金が400万円あるんだ」


 よよよよよよよよよ――――


「……なんだって?」


「わたしが械之助くんの学費も生活費も全部払う。大丈夫だよ。足りなくなってもわたしがおじいちゃんに言えばいくらでももらえるし、全部あげる」


「本気……か?」


 400万だけでも俺のお小遣い800ヶ月分だ。


 流石に俺は立ち止まる。


 だが袖を掴む花の手はそのまま。


 俺たちは近い距離で向き合った。


「本気だよ。これ以上ないくらい本気。械之助くん……その……わたしの、わたしの全部あげるから、だから……行かないでほしい、お願い……」


 花の目は潤み、闇の中でもキラキラと光って見える。


 ――――それほどなのか、それほど……。


 嬉しいな…………。


 ……そうだな、認めよう。


 俺は期待していた。


 つい20分ほど前、教室で珍しく自分から話を振ったのは、俺が花に引き止めてほしかったからだ。


 行かないでと言ってくれるのを俺は期待していた。


 そして昨日、花に好きな人がいると言われたとき、自分でも驚くほどに動揺していた。


 ――あぁ、そうだな。


 花と過ごした時間はそれまでとは異なるもので。


 とっくに俺は花のことが……。


 ……もう一度、花をデートに誘ってみよう。


 デートして、そして俺は花と――


『械之助、恋人は人生で1人しか作っちゃダメなんだからね。わかった?』


 結美乃の言葉がよぎった。


「……すまない、花」


「……ぁ…………」


 俺は花から本当に好きなのかと聞かれたとき、結美乃を思い浮かべてしまった。


 だが、やはり違う。


 結美乃といた頃はまだ恋愛なんて全く分からなかった。


 結美乃は家族だったんだ。


 そして花は――――


「俺は花とは一緒にいられない。連絡も取れない」


「……ぁ……う、そ……」


 ああ、嘘だと言いたい。


 君とずっと一緒だと言いたい。


 これが恋だ。


 花の気持ちに引っ張られるようにして、俺はそれを自覚した。


 花と過ごした時間は俺に新しい感情を芽生えさせるのに十分だったと今知った。


「ここでさよならだ、花」


「……あ…………」


 花の眦から涙が零れ落ちた。


 結美乃のあの言葉はかなり固い恋愛観だと理解してはいるが、俺も大切な人に誠実でありたいと思っている。


 そして――――


『通告。夢山械之助に対し、3年間の学生生活を与える。』


 淡々としたテキストメッセージ。


 俺が任務の課題を聞いたとき、内心抵抗を覚えた理由――――


 ――俺は、あと2年で研究所に戻らなければならない。


 どれだけ互いを想っていても、想いは分断され、届かなくなる。


 幻想を見ていたのは、俺だった。


 将来性のない俺が花の大きな部分を占めるのは彼女にとって損失だ。


「……花」


 俺の袖を掴んでいない片手で何度も目元を拭っている。


「……う、ぅ……ほっ、ほんとにっ、だっ、だめっ、だめなのぉ……?」


「ああ、そうだ」


「ぅ……ぅえ……ぇぐ……やだっ、やだぁっ……」


「………………」


 ………………。


 ……いや。


 ――――本当にダメなのか?


 俺の優先順位はどこにある……?


 機関は確かにすごい。


 その力は確実に世界へ還元されている。


 それでも――――


 今こんなに泣いている花に笑顔を与えることは、どこかの大多数が得る幸福に劣っているか?


 ――――否だ。


 誰がなんと言おうと、それは否だ。


 そうだ、俺の優先順位はそれだけでいい。


 ――俺は。


 ――俺はっ。


 ――たとえ機関に背いてでも、花を笑顔にしたいっ。


 ――今もっ……未来もっ!


「花っ……聞いてくれっ、俺は――――」


 バチンッッ――――


 ――視界が揺れた。


「ぇ………花?」


 左頬にジンとした痛みを感じる。


 先ほどまで俺の袖を握っていたはずの花の右手が振り抜かれていた。


「……花って呼ばないで」


「待ってくれっ、俺は――」


「うるさいッッ!!にせものっ、にせものっ、にせものっ!」


 強烈にこちらを睨みつけ叫んだ花は、俺を両手で突き飛ばした。


 普段ならビクともしないはずの力。


 それでも俺はたたらを踏んでいた。


「そうだよ。最初からあの人は械之助くんじゃなかったんだよ。あなたは偽者。それで本物は――」


「花、あれは俺だ。君を助けたのは――」


「――そうだ、奈弥人くんだよ。身長も高いし、優しいし。髪だってあの人は茶髪だったんだよ」


 確かに俺はあの時バイザーに加えロングコートのフードを深く被っていた。


 夜の暗さも相まって髪色さえ分からなかっただろう。


 俺だとバレたのは声と、前開きのロングコートの中に思いきり制服のブレザーを着ていたからだ。


「花、俺は――」


「それに奈弥人くんってわたしのこと好きだし。もうそれでいいじゃん。うん、そうだよ、うん、うん」


「………………」


 ――――誰でもよかったのか、花……?


 性格なんかどうでもよくて、相手がただあのときの人物であれば誰でも……。


 俺と重ねた時間は、誰かが代替できる程度のものだったって、そういうことか……?


「――わたしの好きな人は奈弥人くん、わたしの好きな人は奈弥人くん、わたしの――」


「――元気でな、花」


「……ぁ……わ、わた、わたしの好きな人は……」


 もう聞きたくなかった。


 俺は花に背を向け、歩きだす。


 奈弥人というのは、同じクラスの能見のうみ 奈弥人なやとのことだ。


 花と同じくクラスの中心人物で、互いに好きならよいパートナーになれるだろう。


 俺はもう、ひとりになりたかった。


 人と関わるのは、いつもいつもこんなに辛い。


「――いかな…で、……のすけく――」


 ――――俺はもう、ひとりでいい。





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