第12話 冷えた路地裏

 静まり返った空間。

 

 結美乃は去った。


 俺はまだ、階段の踊り場で立ち止まっている。


『メイリーさん、聞こえますか』


『うん……』


『申し訳ありません、この任務、俺には荷が重かったようです』


『諦めるの?……』


『申し訳ありません』


『きみは……学校が、楽しみだったはず……まだ何もできてない……』


『メイリーさん、俺は機関の目指す理想を信じています。それでも、終わるほうが幸せということもあると、俺はこの1年間で学びました』


 俺がこの任務に失敗することは確かに結美乃のためになると思っている。


 ただ、きっとそれだけではない。一段落した今なら分かる、なぜ1年の教室の前で解放感を感じていたのか。


 それは、やっとこの生活が終わると思ったからだ。


 1年生全員にも俺が教室を覗いて回る変な人間だと思われれば、もう機関の納得する結果は出せない。


『……終わるのが、幸せ……そんなわけ、ない……』


 それでも、そうなんです、メイリーさん。


 俺は苦痛を感じていた。憧れてやって来たはずの学校では腫れ物扱いでいつも一人。色のない登校はすでに惰性に成り果てて久しい。


 何より人と関わろうとする気力さえ、俺は入学してたったの1ヶ月で失ってしまっていた。


 体は頑丈でも、俺の心は弱かった。


『身勝手で申し訳が立ちません、とはいえこれは機関にとっても────』


『そんなっ、わけ、ないっ!……』


 初めて聞く彼女の大きな声。


 それは悲痛な叫びに聞こえた。


『メイリーさ────』


 ────回線が切られた。


 ………………。


 少し息を吐く。


 俺はこれでも関わる人に笑っていてほしいと思っている。


 けれど、俺はいつも上手くやれない。


 ────結美乃の向けてくれた笑みが、少し恋しくなった。






 ******






 20分後。


「フゥ……………」


 軽く息を吐く。


 ひんやりとした空気を肌に感じた。


 都会の路地裏。


 テナントビルに挟まれたそこは薄暗く、通りのほうからは微かに人の声が響く。


 完全にサボりではあるが、ただのサボりではない。


 どれだけ学校内で悪目立ちしようとも手放さなかった俺にとって大切な────


「あぁ?なんだお前」


 目の前には大柄な男とその後ろにいる1人の女性。


「怯えた声が聞こえた、だから来た」


「ハッ、おいおい学生くん、ずいぶん威勢がいいけどよぉ、俺ぁ被害者なんだぜ?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべ俺の後ろを指差す。


「そいつが俺の女に手ぇ出そうとしたんだ、彼氏として怒るのは当然だろ?そんでちょびっと慰謝料求めたっておかしいことねぇよなぁ」


 俺の後ろには気弱そうな年若い男性が立っていて、男の視線に身を竦めていた。


 俺は少し振り向いて問う。


「あなたは自分からそこの女性に声を掛けたのか?」


「い、いやちがうよっ、僕が普通に道を歩いてたらその人が話しかけてきて、一緒に歩いてたらいきなり、そ、そのひとが来て」


 程度の低い美人局、だが相手を選べば数万は楽に毟り取れるのかもしれない。


 この男性が嘘を吐いていない確証はないが、怯えているのは確かだろう。


 俺は本気の恐れを聴き取ってここまで来たのだから。


「とのことだが、そちらの言い分は?」


「……はぁ…………」


 男は面倒そうにため息を吐き、こちらを見据えた。


「もういいから金置いてけや」





 ******





 2分後、俺は教室で授業を受けていた。


 まあ、人助けというやつだ。



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