第11話 世話になった

 ノックしたが、ドアは開かない。


「呆れるわね、本当に。後回しにすればいいじゃない」


「いや、もし体育の着替え中なら、これはチャンスだ」


「……あなた、一度警察のご厄介になったほうがいいんじゃないの?」


「いや、そうでは──────」


 扉が少しだけ開いた。


 見えるのは黒髪でポニーテールの女子、そして上は白い長袖の体操服、下は制服のスカートだ。


「えっ、夢山、先輩と、夢山、先輩」


「む?初対面ではないか?」


「あ、その、お二人ともとても有名なので……」


「そうか、ところで、中を見せ────」


「黙って」


 鋭い視線。


「いいだろう、後は頼んだ」


「本気で言っているの?あなた、彼女の服装を見れば状況ぐらい分かるでしょう?それとも馬鹿すぎて分からないのかしら?」


「いや、分かっている。効率が良い、ということだ。2倍の時間をここに費やせるからな」


 2クラス分の女子がここに集まっているのだ。実に効率的といえる。


「そういうこと。あなた、本当にアホね。もう黙っていなさい」


「ふむ、いいだろう」


 …………ん?もしかするとだが、俺は冷静ではないのか?任務への熱意を少し取り戻しているからか?……いや、違うな。どうにも解放感がある。


「え、えと、それで、どうしたんですか?」


「いえ、ごめんなさい、念のため訪ねたようなものだから。必要があればまた別の機会に来るわ」


「はあ、そうなんですか。あの、ちなみになんですけど、兄妹……とかですか?気兼ねない感じで仲いいっていうか」


 兄妹か。確かに随分昔からの付き合いだ、年齢的に考えると結美乃は妹で俺が兄だな。


「あり得ないわね。もしこんな不出来な弟がいたならしっかり調教しているもの。そもそも仲良くなんてないわ」


 調教。というか俺は弟のほうだったか。まあ確かに、兄らしい一面など結美乃へ見せられた記憶が無いな。


「そ、そうですか────」


「アヤぁー、だぁれと話してるのー?って、うわ、夢山先輩だ」


 前の子の肩に手を置いて隙間からこちらを覗く長い茶髪の女子、すでに上下長袖の体操服で、俺のほうを見て言っている。


「えーやば〜、背ぇたかー、生で見るとホントにめちゃくちゃイケメンじゃん」


「む?」


 むむ?なんと。こんなに褒められたのは生まれて初めてだな。俺の容姿のベースはそっくりそのまま本来の俺らしい。ゆえに俺個人への賞賛と捉えてもいいだろう。…………うむ、嬉しい。


 それに、もしかしたら────


「ならば、俺とデ」


「黙りなさい」


「む?何故だ?」


「ごめんなさいね、これで失礼させてもらうわ」


「そうか、ご苦労だったな、さらばだ」


「違う、あなたも帰るの」


「なんだと?まだ何も出来ていないが」


「いいから」


 そう言って結美乃は俺の腕を掴み引っ張り始める。


 だが────


「ちょっと、動きなさいよ」


「ダメだ、まだ帰れない」


 結美乃は腕を離し、こちらを向いた。


「あなた、また他人に迷惑をかけるつもり?」


「………………」


 迷惑、か。そうだな、少しメイリーさんを説得してみるか。


『メイリーさん────』


「う〜ん?なんか距離感近くない?付き合ってたりするんですか〜?」


 もう、ダメだな。


『──メイリーさん、一度撤退します』


 俺は自己判断をした。


「……はぁ、そんなわけ────」


「──あり得ないな、ただの他人だ」


「っ………………」


 横目に結美乃の少し唇を噛むような仕草を捉える。


「戻るぞ」


「…………ええ」


「では、さらばだ、騒がせて済まなかったな」


「ふ〜ん、まあいいや、さよーなら〜、先輩たちー」


「あ、お、お疲れ様です」


「ああ」


 挨拶を交わし、俺たちは元来た道へ歩き出す。


 無言で足を動かしつつ、少し後ろにいる結美乃のことを考える。


 結美乃とは、俺が7歳のときからの付き合いだ。今では大人びた結美乃だって昔は幼い子供だった。そして、もう出会ってから10年になる。


 多くの時間を共に過ごした結美乃は、情緒のなかった俺にたくさんのものを与えてくれた。械之助という名前だって、昔、結美乃が名前を付けようと言い出して2人で考えたものだ。


 ただ、毎日のように会っていたのは7年ほどであり、二度疎遠になる出来事を経て今の状態にある。


 一度目は3年前とある実験に俺が志願したため、二度目は入学後、俺が結美乃を突き放すような言動を取った。


 先ほどのように────


 階段を上り、踊り場まで来て俺は立ち止まった。


「時間を取らせて済まなかったな」


 結美乃は止まらず、こちらを見ることはない。


「話しかけないで」


 ああ、結美乃。


 気にせずとも、俺はもうお前と話すことはないだろう。これが、最後の機会になる。


 俺は結美乃と離れたいわけではない。


 楽しいという感情を知らなかった俺が少し笑えるようになったのも、結美乃が俺に何度も話しかけ、笑いかけてくれたからだ。


 結美乃は俺とは立場が違う。様々な自由がありながらも俺のところにずっと来てくれた。


 俺にとって、この世で一番大切な人だ。


 だから、彼女の人生に迷惑をかけたくはない。


 昔の結美乃は俺を必要としていたのかもしれない。それでも今の彼女には多くの友人がいる。月見姉妹だけでなく、たくさんの。


 すでに俺は彼女に不要なのだと、この1年で思い知った。ただ近くにいるだけで彼女の顔を曇らせ、その明るい人生を妨げる異物だ。


 俺はもう、ここで終わりにしよう。


 この任務は結美乃と完全に縁を切る決断をするのに最適な機会だった。最初に任務を聞いた時にはもう、内心この決断ができる自分を待ち望んでいたように思う。


 結美乃は研究所に戻った俺に会いに来ることはない。実際に入学までの2年間、一度も俺のもとへは来てくれなかった。


 だからこそ、最後に────


「──結美乃」


「…………」


 先に階段を上っていた結美乃は立ち止まり、無言で少し振り向いた。


「世話になった」


 ────さようならだ、結美乃。


 返事は無かった。


 離れていく彼女をただ見送る。


 視界から結美乃が消えて。


 俺は、一人になった。



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