第10話 あり得ないな、ただの他人だ

 ノックしたが、ドアは開かない。


「呆れるわね、本当に。後回しにすればいいじゃない」


「いや、もし体育の着替え中ならチャンスだ」


「……あなた、一度警察のご厄介になったほうがいいんじゃないの?」


「いや、そうでは────」


 扉が少しだけ開いた。


 見えるのは黒髪でポニーテールの女子、そして上は白い長袖の体操服、下は制服のスカートだ。


「えっ、夢山、先輩と、夢山、先輩」


「む?初対面ではないか?」


「あ、その、お二人ともとても有名なので……」


「そうか。ところで、中を見せ──」


「黙って」


 鋭い視線。


「いいだろう、後は頼んだ」


「本気で言っているの?あなた、彼女の服装を見れば状況ぐらい分かるでしょう。それとも馬鹿すぎて分からないのかしら?」


「いや、分かっている。効率がよい、ということだ。2倍の時間をここに費やせるからな」


 2クラス分の女子がここに集まっているのだ、実に効率的といえる。


「そういうこと。あなた、本当にアホね。もう黙っていなさい」


「ふむ、いいだろう」


 ――ん?


 ――何か変だ。


 任務への熱意を取り戻し、冷静でなくなっているのか?


 いや、これは……。


「え、えと、それで、どうしたんですか?」


「いえ、ごめんなさい、念のため訪ねたようなものだから。必要があればまた別の機会に来るわ」


「はぁ、そうなんですか。あの、ちなみになんですけど、兄妹……とかですか?気兼ねない感じで仲いいっていうか」


 兄妹か。


 確かに随分昔からの付き合いだ。


 年齢的に考えると結美乃は妹で俺が兄だな。


「あり得ないわね。もしこんな不出来な弟がいたならしっかり調教しているもの。そもそも仲良くなんてないわ」


 調教。


 というか俺は弟のほうだったか。


「そ、そうですか──」


「アヤぁー、だぁれと話してるのー?って、うわ、夢山先輩だ」


 前の子の肩に手を置いて隙間からこちらを覗く長い茶髪の女子、すでに上下長袖の体操服で、俺のほうを見て言っている。


「えーやば〜、背ぇたかー、生で見るとホントにめちゃくちゃイケメンじゃん」


「む?」


 なんと。


 こんなに褒められたのは生まれて初めてだな。


 容姿はそっくりそのまま本来の俺になっているらしいため俺個人への賞賛と捉えてもいいだろう。


 ……うむ、嬉しい。


 それに、もしかしたら────


「ならば、俺とデ」


「黙りなさい」


「む?何故だ?」


「ごめんなさいね、これで失礼させてもらうわ」


「そうか。ご苦労だったな、さらばだ」


「違う、あなたも帰るの」


「なんだと?まだ何も出来ていないが」


「いいから」


 そう言って結美乃は俺の腕を掴み引っ張り始める。


 だが────


「ちょっと、動きなさいよ」


「ダメだ、まだ帰れない」


 結美乃は腕を離し、こちらを向いた。


「あなた、また他人に迷惑をかけるつもり?」


「…………」


 迷惑、か。


 そうだな、少しメイリーさんを説得してみるか。


『メイリーさん──』


「う〜ん?なんか距離感近くない?付き合ってたりするんですか〜?」


 もう、ダメだな。


『──メイリーさん、一度撤退します』


 俺は自己判断をした。


「……はぁ、そんなわけ──」


「あり得ないな、ただの他人だ」


「っ……」


 横目に結美乃の少し唇を噛むような仕草を捉える。


「戻るとしよう」


「……ええ」


「ではさらばだ。騒がせて済まなかったな」


「ふ〜ん、まぁいいや。さよーなら〜、先輩たちー」


「あ、お、お疲れ様です」


「ああ」


 挨拶を交わし、俺たちは元来た道へ歩き出す。


 無言で足を動かしつつ、少し後ろにいる結美乃のことを考える。


 結美乃とは俺が7歳のときからの付き合いだ。


 多くの時間を共に過ごした結美乃は、情緒のなかった俺にたくさんのものを与えてくれた。


 械之助という名前だって結美乃が名前を付けようと言い出して昔2人で考えたものだ。


 ただ、毎日のように会っていたのは7年ほどであり二度疎遠になる出来事を経て今の状態にある。


 一度目は3年前とある実験に俺が志願したため、二度目は入学後、俺が結美乃を突き放すような言動を取った。


 先ほどのように────


 階段の踊り場まで来て俺は立ち止まった。


「時間を取らせて済まなかったな」


 結美乃は止まらず、こちらを見ることはない。


「――話しかけないで」


 ああ、結美乃。


 気にせずとも、俺はもう君と話すことはないだろう。


 これが最後の機会になる。


 俺は結美乃と離れたいわけではない。


 結美乃は隔離された俺のもとに何度も来て話しかけてくれた。


 昔は俺にもよく笑みを見せてくれたし、吊られるようにして俺も笑顔になれた。


 だが今の俺はただ近くにいるだけで彼女の顔を曇らせ、その明るい人生を妨げる異物になっている。


 この辺りが潮時。


 いや、長居し過ぎたくらいだ。


 そして研究所に戻った俺へ結美乃が会いに来ることはきっとない。


 だからこそ、最後に────


「──結美乃」


「…………」


 先に階段を上っていた結美乃は立ち止まり、無言で少し振り向いた。


「世話になった」


 ────さようならだ、結美乃。


 返事は無かった。


 離れていく彼女をただ見送る。


 視界から結美乃が消えて。


 俺は、一人になった。








 ――む。


 今、廊下を月見が通り過ぎていった。


 そういえばトイレに行きたいと言っていたな……。





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