【一話完結】星を眺め、出来損ないの永遠を共に

ふつうのひと

第1話

「──ねぇ、君っていつも空を見てるよね」


 とある日の、とある高校の教室での一幕。退屈な授業に耳を傾けず、窓際の席の僕は窓の外のわたあめのような雲を眺めていた。正直、授業よりも雲を見ている方が何倍も楽しいと思う。

 授業が終わり、友達に話しかけに行くのも面倒くさくなった僕は、未だに窓の外を見続けている。そんな様子を面白そうに感じたのか、僕の隣の席の女子生徒が話しかけてくる。


 僕の名前はシュンで、彼女の名前はルナだ。シュンはそのまま瞬と書いてシュン。対して彼女の方は、月に雫と書いてルナ、と読む。初見では誰でも読めないだろう。自称漢字王の僕ですら読めなかった名だ。


「...ルナもずっと窓の外見てたろ」


 僕は、窓の外の景色から彼女へと目を向ける。

 彼女は窓の外の景色を見ていたのではなく、僕を見ていたことは知っていたが、あえてそれは言わないでおこう。彼女の恥ずかしがり屋な性格故に、恥をかかせてしまうかもしれない。


「....うぅ、まあいいや。それはそうと、昼より夜の方が綺麗じゃない?」


 彼女は浮かない表情を見せ、前髪の触角をいじって僕から目を逸らす。彼女は机に肘を置いて頬杖を着き、僕の素振りに微かな怒りを感じているのか、頬を膨らませている。スライムのようにぷるぷると赤らめた頬を揺らし、生意気にも僕に反論をしてくる。


「昼には昼なりの良さがあるんだよ。雲の形見るの、意外と楽しいぜ?」


 僕は、空に浮かんで、これでもかと存在感を主張している巨大な雲を指差し、彼女の視線を雲の方へと誘導する。彼女は、椅子を横に傾けて僕の机に両肘を着いて前屈みになり、窓の外の雲を見つめる。

 女子高生らしい甘い香りが鼻をくすぐり、無防備な背を見て僕は頬を赤らめてしまう。


「でっかぁ〜!あれ、積乱雲じゃない!? ねぇ、雲博士!」


「知らないよ。博士じゃあるまいし」


 僕は、息を荒らげて興奮した様子の彼女から顔ごと視線をずらし、彼女の問いかけを一蹴する。僕は授業が退屈だったから空を見ていたのであって、雲が好きだから空を見ていた訳では無いのだ。


「ふ、ふ〜ん、まあ昼もいいかもねぇ。でも、夜も良いところ、いっぱいあるんだよ?」


 彼女は急に我に戻ったのか、僕の机から身を引いて大人しく椅子に座り直す。そして引きつった顔で、今度は夜空に焦点を当てる。さっきよりも更に、最早誤魔化せない程頬が紅潮しており、彼女も今更、それを隠す気はないようだ。


「どこがだよ。暗くて雲も見えないし、星の形も変わったりしないだろ」


 僕は、わざとらしく嘆息をして首を横に振り、煽るような口調で彼女の主張に反論する。


「そんなの言ったら昼も星は見えないし。それに、私は何にも変わらないからいいの」


 彼女は可愛らしいしかめっ面で僕に対抗し、不本意にも僕はそんな彼女を可愛いと思ってしまった。

 僕は、少し赤らめた顔を隠したくて咳払いをし、調子を取り戻して口を開く。


「僕は、ずっと変わらないなんて退屈だと思うけどなぁ」


 確かに、彼女の意見にも一理、いや、三理ぐらいはあるかもしれない。でも、彼女の意見には僕の価値観とは少々合わなかった。例えば、ずっと変化しない人生と考えたらどうだろうか。何をしても一定の値を保ち続け、幸も不幸も全て平等に得ることは無い。


 僕は、人生山あり谷ありと言う言葉が真理だと思っている。変化のない人生なんて、それこそ授業みたいにつまらない。僕だったら、永遠に窓の外を眺めているだろう。


「むっ....ずっとなんて言ってないし。君みたいな飽き性を退屈させない為に、昼があるんだよ」


 彼女は一瞬だけ唇を尖らせ、顔をしかめた後、何かを思いついたようにニヤニヤと顔を歪め、僕に対する反論にしてやったりの表情を見せる。


「ふっ!私の勝ちかな!ぐうとでも言ってみろ!」


「ぐう.....」


 悔しくも、僕の人生語りは失敗に終わったようだ。彼女は僕よりも一枚上手だった。まさか、退屈だという意見から飽き性と意趣返しをされるとは。学力的には僕の方が上ではあるが、人は見た目が全てでは無い。こんな事も人生の内だろう。


「はっはっはー!あっ...」


 彼女は、勝ち誇ったように両手を上に掲げるが、彼女が頭上まで上げかけた左手に、机の上に置いてあった消しゴムがぶつかり、机の上から転がるように地へ落ちる。

 僕は、彼女の消しゴムを代わりに拾おうと手を伸ばしてみる。


「あっ、いいよいい──痛っ!」


 彼女は祝砲を上げれなかった故か、なんとも言えない表情で僕が近付けた手を止めるが、その直後に、彼女の身体が硬直し、途端に彼女の表情が痛々しく変貌していた。

 恐らく、腕が吊ったのだろう。彼女は腕をピクピクと震わせており、外から見てもかなり痛そうだ。





『おいおい、大丈夫か?』


 僕は、かなり痛がっている彼女に、どう対応していいか分からず、とりあえず彼女の心配をしてみる。


『だ、大丈夫、だから....ほ、ほら!消しゴム拾えたよ!』


 彼女は、無理やり腕を動かして消しゴムを拾い、僕の目の前に見せつけてくる。額に汗を浮かべ、かなり無理をしたようだ。


 やはりここは、僕が消しゴムを取るべきだっただろうか。

 僕は、少しの後悔と、彼女への申し訳なさで、その日は彼女の目を直視することが出来なかった。





「はい、消しゴム。大丈夫か?」


 痛がる彼女を他所に、僕は彼女が伸ばした手の先に置いてある消しゴムを拾い、彼女に心配する言葉をかけてみる。


「う、ん...いや、ちょっと、痛い....かも」


 僕は、彼女の吊った腕を両手でゆっくりと持ち上げ、痛みが引くまで、しばらく彼女の細い腕を宝物のようにして持っていた。


 彼女の痛そうな顔を見ていると、段々と自分の行動に疑問を抱くようになる。消しゴムなんかより先に、彼女の心配をする方が良かったのではないか?

 そんな疑問は僕の中で渦を巻き、小さな記憶が脳に刻み込まれる。


(今日の夜は一人反省会だな)


 何故、だろうか。衝動的に消しゴムの方を優先したが、普通の人間ならば、物より彼女の方を心配するはずだ。

 まあ、今更そんな事を考えても遅い。

 僕は、彼女の腕を大事そうに持ちながら、そう考え込んでいた。


───────​───────​─────────

「あ、ここら辺で座ろ〜」


 学校が終わり、僕と彼女は下校する時にいつも通る土手道を共に歩いていた。

 いつもは彼女の家の近くの公園で寄り道して行くのだが、今日は珍しく、土手で話して時間を潰すらしい。


 僕たちは土手の傾斜面に二人で隣合うように腰を下ろし、建物に隠れる程下りてきてる、沈みかけの太陽を見つめる。さっきまで見ていた巨大な雲はどこにも見当たらず、その代わりにひつじぐもが青い空を隠すように堂々と居座っている。


「綺麗な空だねぇ」


 いつもと変わらずに、空は綺麗なままだ。それはいいのだが、不思議と僕は、彼女の横顔に見惚れそうになり、慌てて視線を空に移す。沈みかけの太陽は全て見ていたぞ、と言っているかの如く辺りを段々と紅く染めながら輝きを放っている。

 だが、全て見ていたのは太陽だけでは無かった。


「あれれ?私に見惚れてた?ふふ、恋かな?」


 彼女は、俯いている僕の顔を覗き込みながら、ニヤニヤと口角を上げた口でここぞと言わんばかりに煽り口調になる。


「....んなわけないだろ。ふざけんな」


 僕は、そっぽを向いて呟くようにそう強がる。彼女に見惚れていたのは事実だが、どうしても彼女の前でそれを事実として認めたくない。

 正直に言うと、恥ずかしさで爆発してしまいそうだ。


「まったく、釣れないなぁ、君は」


 彼女は、そんな冗談を口にして話を終わりにしてくれる。こういう、彼女の空気を読む力には少しばかり感謝を。別に、恋愛的な雰囲気を求めては無いので、彼女にも勘違いをしないで欲しいところだ。


....僕は、頭の中ですら嘘を吐くのが下手なのか。


「──今日はきっと、夜空が綺麗な日になるよ」


「どういうことだ?」


 突然、彼女は声音を変え、ドラマチックな決め台詞を言う時のような声で囁くようにそう言ってくる。僕はその突然のことに少し戸惑い、頭の中にハテナマークを浮かべる。


「今日は9月20日、空の日だからです!」


 彼女はどんなドラマチックなことを言うのかと思いきや、いつもの知識自慢のようだ。大抵は僕でも分かるような事なので、サラッと流せるのだが、今回ばかりは僕の負け、僕の知らない情報だった。


「おっ、これは君でも知らなかったか....!」


 彼女は、自身の顎に手を当てて独特なキメ顔をする。僕は、そんな彼女に思わず吹いてしまった。まさかここで、笑いの要素を入れてくるとは。


 彼女は、案の定ニヤニヤとムカつく表情を見せ、勝ち誇った顔をしている。


 そして、いつものテンプレ通りにいくと、彼女はこの後に決まり文句を言うだろう。


「──すごいでしょ?」


 最早感心している僕を横目に、彼女は勢いよく立ち上がって自分を指差し、物足りない胸を突き出すように張る。


 これが、彼女のいつものテンプレだ。


 彼女は声高らかに笑い、僕に向けて細く白い腕を僕に差し伸べる。その一連の動作だけで、僕が先程感じていた後悔や負い目といったものは全て流されていくように感じた。


 僕は、彼女の小さい手を掴み、身体を引き上げてもらう。僕は、彼女と肌が触れる程に接近する。彼女と身長差はかなりあるものの、不思議と、彼女の方が僕よりもずっと高く見えた。


「....ハグ、してもいいんだよ?」


 彼女は、上目遣いで僕の目を真っ直ぐに、純粋な瞳で見つめる。僕は、彼女から目を離すことが出来なかった。ここで目を離したら、何故かこの先の運命が変わってしまう気がして。


「僕は...」


 僕はイマイチ、彼女を抱きしめても良いのか分からなかった。あまりにも急すぎる。何故彼女はいきなりこんな誘いをしたのか。

 そもそも、この誘い自体が彼女の中のネタでは無いのか。


 そんな浅はかな考えは、彼女の涙を浮かべた目を見て、瞬時に消え去った。

 彼女は、目を大粒の涙で潤し、その涙には、橙色に染まりきった空が映し出されていた。その様子は、確かに彼女が言った通りに、綺麗だった。


「君は、辛いって気持ちが外に出すぎてるよ」



 僕は────











「───何やってんだ、バカ!!」


 冬の夜の薄寒い空気に加え、僕はマンションの屋上にいるため、軽い地獄だ。シャツ二枚重ねの上にコートといった厚着でも、かなり心許ない。


 四方八方から吹き込んでくる、冷たい風が首元を吹き抜けていく。

 基本的にら屋上は一般市民は入ることが禁止されておらず、管理人や工事関係者以外に人が立入る想定はされていない為、安全策はおろか、腰程までしかないフェンスだけしか無い。


 冬らしい冷たい風を受けながらも、僕は、フェンスの向こう側にいる一人の女性を決して手放さないようにと、少し入れすぎぐらいに女性を抱きしめる。


「何で、こんな...ルナ!」


 僕の腕の中で、ひたすらに涙を流している女性──ルナは、僕の背中をギュッと掴んで離れようとしない。


 僕は、ルナを抱えて安全な屋上の入口まで運ぶ。そしてルナに僕の上着を着させ、身体を震わせるルナの手を優しく握る。ルナの震えは、寒さによるものか、はたまた、


「....ひぐっ、ぐぅっ...ごめん、シュンっ」


 ルナは、嗚咽を漏らしながら僕に謝罪をする。僕はその言葉に反応せず、ルナの手をただ優しく握るだけだった。

 やがて、ルナは泣きやみ、涙を拭うと、下を俯いて僕の手を力強く握り返した。


「ルナ、どうして....」


 僕がルナに言葉をかけても、ルナは下を俯いたままだ。ルナの表情は分からなくても、何となく顔をぐちゃぐちゃにしている事ぐらいは分かる。


 せっかくの可愛い顔が、台無しだ。


「....私、もう嫌になっちゃったの」


 不意に、ルナが口を開いた。ルナの口調は、いつものおちゃらけた、明るい面影は無く、完全に沈みきった様子だった。


「僕に、言ってくれれば...」


「誰に言っても無駄。そんなの、地獄を続かせるだけ」


 ルナは、僕の言葉を遮って少し口調を荒くし、僕にそう訴えかけてきた。


「....何をやってもあと一歩で全部壊れて...いつの間にか、心が壊れてた」


「....うん」


「でも、それでも皆が私を必要とするから、私はずっと心を取り繕ってきた」


「そっか、ごめんね。気づいてあげれなかった」


「その内、君との思い出も忘れていって、」


「それは....悲しいなぁ」


「でも、嫌な思い出はずっと消えないの。ずっと、私を逃がしてくれないの」


「僕も、同じだよ。ずっと、小さな後悔が頭に残り続けてる。あの時、何でこうしなかったんだろうって」


「みんなの前で明るく振る舞ってる本当の私が気持ち悪くて、本当の私は根暗の方が良かった」


「でも、そんなルナは想像できないな」


「...それが、私を壊してきたの。君の、せいだよ」


「僕は、人にどういう言葉を掛ければいいか、分からないから...」


「.....君の...勝手に人のものを食べる所がやだ」


「ルナのその頬を赤くして怒るところが好き。スライムみたいで、可愛い」


「ぅ...君の、人に怒れないところがやだ」


「ルナの言う時は自分の意見をハッキリ伝えるところが、好きだし、ちょっと嫌な時もあった」


「君の、高校生の時からずっと変わらない仕草がやだ」


「....ははっ、そんなルナみたいな飽き性のために、昼があるんだよ」


「君の、段々私に似てきてるところが、私と同じ道を辿りそうで怖い」


「僕がルナと同じ道を辿った時は、僕に思いっきり喝を入れて欲しいな」


「...私に防いで欲しい、じゃなくて?」


「大丈夫。だって、ルナも僕に似てきてるもん」


「そっ...か」


「ルナ。」


「なに?シュン」


「前、伝えようと思ってたんだけど....夜空も、中々悪くないね」


───────​────────────────

「空が綺麗だなぁ」


 僕は、あの土手の上で、ルナの隣で共に夜空を見つめている。ルナの手を強く握り、もう決して離さないと、心に決めた。


「もう、発言まで私そっくりじゃん」


 僕の隣には、ルナがいる。

 あの時、もしかしたら失っていたのかもしれない、ルナがいる。


 ルナは、口元に手を当てて、面白そうにクスクスと笑う。前とは違って、少し大人しく笑っているというか、何と言うか。多分、僕の影響だろう。


「遂にボケとツッコミの交代か...忙しくなるぜ...」


 試しに、僕はルナに向けて分かりやすくボケてみる。ルナは、今までツッコミポジションに立ったことがないのか、あたふたと慌てふためいている。


 正直、ルナのこういう所が一番可愛い。


 特に意味もなく、2人で星を眺める。この先、百年は一緒に居られなくても、死ぬまでなら、ずっと一緒にいられる。....居て欲しい。


「──あ!流れ星!」


 ルナは、僕の肩を割と強めに叩いて空を指差し、暗い夜空を輝きながら舞う星を輝いた目で見つめる。


 そうだ。流れ星に、お願い事をしないと。


「ルナとずっ」


「──シュンとずーーっと一緒に居られますように!!」


 僕の願い事を遮って、ルナはかなりの大声で流れ星に向かって願い事を口にする。その一瞬だけ、ルナが高校生の時のルナの姿と重なった。


「...ルナ?3回言わないと叶わないんじゃなかったっけ?」


 僕がルナにそう言うと、ルナは口を開いて何やら頭の中で色んな考え事を始める。僕がルナの顔を見つめていると、ルナは急に星空に向かって人差し指を向けた。


「永遠を3で割っても永遠に変わりは無い!」


 そういう事か。また、ルナに一本取られたな。

 僕はそう思いながら、あの日出来なかった事をしようとルナの正面に向かい合うようにして立つ。


 今度は、あの時みたいな僕じゃない。


「ルナ。ずっと、一緒にいてくれ!」


 僕は、ルナを精一杯に抱きしめた。あの日、この場所で、僕には出来なかったハグを、僕は十数年越しに遂行して見せたのだ。


 見たか、過去の僕よ。これが、僕の変化だ。

 君が、叶うはずないと、ルナと釣り合っていいはずがないと、遠目で見つめていた理想の変化だ。



 力一杯に抱きしめる僕に呼応するように、ルナも僕を弱々しい力で抱きしめてくれる。


 その様子を、夜の暗闇に点々と輝く星は、祝福するように、より一層輝きを強めた。

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