不可視・切断不可

平城 司

不可視・切断不可

 思わずため息が漏れる。

 周囲の人々が「大丈夫?」と声をかけてくるのに、反射的に何度か頷いてうわ言のように「大丈夫」と答えていた。それが周りにとって「大丈夫ではない」と判断されたのか、私のデスクの上には山積みの仕事の代わりにたくさんのお菓子や飲み物が置かれている。これじゃまるでお供え物みたいだ、と思わず笑みが漏れる。

「自分達ができることはやっておくので」

宮部みやべ先生はゆっくりしてね」

 職員室内は私を気遣う声で溢れている。

 勤務先のこの学校はかなり特殊で、赴任したのはきっと「呼ばれた」からなんだろうと思う。

 土地そのものにかなりの歴史がある。その始まりは、もともとは墓地だったとか、結核療養所だったとか。とにかく人の「死」に深く関わりのある土地の上に建てられたようだ。当時の記録は残っていなかったけど、きっとろくにお祓いや地鎮祭なんか行わずに建てたのだろうと思う。

 そうでなければ、こんなにも異常な頻度で霊的な現象や怪奇現象が起こるはずがない。呼び寄せられたもの、憑いてきたもの、もともとここにいたもの。様々な『魔』が学校を侵食している。私は私の「力」を使ってそれを祓っている。生徒だけでなく、ここで働く教師達まで、皆を守るために。

 だから皆が私に気を遣う。私にいなくなられては困るから。

 最初は力をひけらかすつもりはなかった。こっそり、誰もいない時を狙って祓ったり、気づかれないようにこっそり祓ったり、そんな日々。ある時、一人の生徒に『現場』を目撃されたことから、私の話は一日にして学校に広まった。最初は懐疑的な目で私を見ていた教師や生徒も、今では信頼してくれている。

「今日はどうしたのかしら」

 教頭先生が心配そうに私の顔を覗き込む。

「女子生徒が五人、こっくりさんで遊んでいたんです」

「あらま」

 事実を述べると、教頭先生の表情が曇る。

「こっくりさんは有名な降霊術の一つです。でも、十円玉が勝手に動くことについては科学的に説明できるというのはご存知ですよね」

「確か、人はじっとしていられないから、無意識に動いてしまうとか?」

「そうです。無意識下で発生していることですから、子供たちはパニックを陥ってしまう場合があります。それだけでも危険ですが、問題はやはり、この学校でやってしまったことですね。呼び寄せてしまいました」

 教頭先生の顔がパッと明るくなる。私は今『一仕事』を終えてここにいる。生徒が呼び寄せた問題は祓われて一件落着しているということがわかっているからだ。

「生徒達にはきつく言っておきました。テレビでこっくりさんの特集を見て、この学校でやったらどうなるんだろうって好奇心だったとか。それに――」

「それに?」

「自分達も、私のように見てみたいと思ったと。興味を煽ってしまうと言う点では、私はあまり教師には向いていないのかもしれませんね」

「そんなことないわよ。宮部先生がいなきゃ、私もどうなってたかわからないもの」

 そう言って教頭先生は私の手をぎゅっと握る。教頭先生はもともと、私の力に懐疑的な人だった。昔ながらの厳格な教師。それはもちろん生徒のためを思っての言動や行動であったが、結果的には恨みを買ってしまい数体の生霊に憑かれ、生気を奪われているような状態に陥っていた。それを私が祓ったことをきっかけに、今ではすっかりこの様子である。教師の中でも一番気にかけてくれる存在だ。

「生徒には見えるだけではどうにもならないこともあるから、二度とこんなことしないようにときつく言っておきましたので」

「そうよね。宮部先生の祓える力があってこそだもの」

 教頭先生以外の、他の教師もうんうんと頷く。

 私はここで必要とされている。過剰に気を遣われるのは戸惑うこともある。でも、嬉しくもあった。

 学校を出たのは日が落ち切る少し前。夕暮れのオレンジに、夜空の青のグラデーションが強めにかかっているような。そんな時間帯だった。校門の方へ歩いていくと、そこに制服を着た少年が一人立っていた。

 とっくに部活動も終わっている時間なのに、どうしたのだろう。

「どうしたの」

 思わず声をかけつつ近寄よる。少年の瞳が私に向けられた時、思わず息を呑んだ。長身で目鼻立ちのはっきりした『イケメン』に分類して差し支えない少年の瞳が、私を射抜く。彼はへらりと笑って軽く片手を上げた。

「待ってたで、優香ゆうか先生」

 普段は苗字で呼ばれることの方が多いため、下の名前で呼ばれたことに少し心臓が跳ねる。相手が美少年だったこともあると思うけど、でもそれがかなり『不純』な気がして、その少年にわからないように何度かゆっくりと、小さな呼吸をした。

「会いたかった~」

 その間にも少年は近づいてくる。近づいてくるごとに、彼の顔を自然と見上げてしまい、すぐそばに来る頃には顎がだいぶ上がっていた。

 この学校の制服を着ている。こんな生徒、いただろうか。こんなにも目立つ生徒がいたら、学校中の女子生徒の話題になっているはず。関西訛りであることも珍しい。

 こんな子、知らない。

 一瞬、幽霊の類かなにかかと思ったけど、この子から死の匂いを感じなかった。少なくとも霊的な気配をまったくといっていいほど感じさせない。

「あんな、先生にしか頼めへんお願いがあんねん」

 わざとらしいほど困ったような顔をして少年は言った。私にしか頼めないということはつまり、そういうことなのだろう。気持ちを切り替えてどうしたのと問いかける。

「最近、毎日変な夢を見んねん。夜の校舎の中で、ずっと誰かに追いかけられる。しかも日に日に近づいて来てんねん。俺、捕まったらどうなるんやろと思って」

 深刻そうに話す少年の話の中身は単純な悪夢。しかし、毎日見るということ、そして足音が近づいてくるというのは少し不自然、かもしれない。

「つまり君は、それが心霊現象だ、怪奇現象だって言いたいの?」

「そうやないの? 二、三日なら俺も偶然かと思ったけど、毎日やで?」

 少年がこの夢に対して抱いている違和感は私と同じ。

 でも、困ったことに彼からは何の気配も感じない。祓えるようなものが憑いていない。どう伝えるべきか悩んでいると、いつの間にか伏せていた目の中に少年の顔が現れた。顔を覗き込まれたことに驚いて、思わず後退る。

「もしかして。先生、できひんの?」

 その一言が、私の不快感を目の粗いやすりで擦り上げた。

「知り合いにとんでもない霊能力者がいるんやけど。そいつに相談したら『中に入り込まれてる。祓ってあげたいけど、すぐには会いにいけない。誰か宛があるならその人に頼んでみたらいい』って言われてさ」

 ざり、ざり、と音を立っている。胸のあたりがざわつく。

「俺に宛があるいうたら、優香先生しかおらんと思ったんやけど」

 ざりざりざり、と大きな音が立っている。それ以上は、と思わず口走りそうになる。

「無理なんやったらしゃあないよなあ」

 耳元で黒板を爪で引っ掻かれたような、そんな不快感。少年を見る。彼は笑っている。私は知っている気がした。その『ひょうじょう』の意味を。


                  *


 まったく、こっくりさんなんてやってるの?中学生にもなって……。こっくりさんは降霊術の一種だよ。だからほら、そうやって帰ってくれなくなっちゃってる。

「助けてよ」

「どんなに謝っても帰ってくれないんだよ」

 それは怒ってるからだよ。勝手に呼び出して好き勝手に質問して、終わったら帰ってくださいなんて、霊じゃなくても意味わからないって思うでしょ。

「じゃあどうしたら帰ってくれるの」

 知らないよ。許してくれるまで根気よく、本当に申し訳ないと思いながら謝ったら?

「できないんだ」

 は?

「できないんだ。普段あんなに家のこと自慢してるのに」

「すごい霊能者のおばあちゃんがいるんでしょ」

「自分がその力を受け継いだっていつも言ってんじゃん」

「嘘なんだ」

 ……どうしてタダでお祓いしなきゃいけないの? 普通はお金もらってやることだよ。

「わかったよ。ちゃんと帰ってくれたらお金払うから」

「お願いだからなんとかしてよ」

 ……仕方ないなあ……。

 ……はい、終わったよ。ほら、大丈夫でしょ。

「今自分で鳥居まで動かしたでしょ」

 なんでそんなことする必要があるのよ。ちゃんと追い祓ったよ。

「帰ってないよ。ほら、見てみなよ」


 う・そ・つ・き


                   *


 人の夢に干渉するなんてしたことはない。でも他の霊能力者ができるなら、私にだってできる。やり方は手探りになるけど。結局私は少年からの依頼を引き受けた。

 お祓いは彼の自宅で行うことになった。道中に、少年の名前が『折立おりたち』であるということと、双子の妹がいるが今は留守ということ、両親は家にいないことを聞かされたが、それ以外の内容は覚えていない。

 家は二階建てアパートの一室だった。入ってすぐのリビングが折立の部屋兼リビングで、隣の部屋が妹の部屋だと最低限の説明だけをして、折立はすぐにベッド兼ソファなのであろうそれに寝転がる。

「始めるの?」

「早い方がええやろ? 遅くまで生徒の家におったって噂になったらまずいやろし」

 確かにそうだ。もし学校関係者に少年から見送られる自分の姿を見られたらとんでもないトラブルになるかもしれない。

 折立くんは「俺はどこででもすぐ寝れる」と言って目を閉じる。規則正しい呼吸をして、睡眠に向かっているようだ。黙っていれば綺麗な顔なのに。さんざっぱら煽られた不快感から、彼に感じていた魅力はほぼゼロになっていた。でも、彼が――私の学校の生徒が、私以外の霊能力者に頼るなんて。そんなの許さない。許されるわけがない。

 しばらくすると規則正しい呼吸が、明らかな寝息に変わった。折立くんの言葉に嘘はなかったらしい。

 さて、ここからどうするべきか。とりあえず、目をつむって彼と意識を同調させてみようとした。他の霊能力者はどんな風にお祓いをするのかは知らない。でも私は、相手に『同調』することで相手を深く知り、できるだけ穏便な解決に導けるようにする。でも、折立くんに同調することはできなかった。生きている人間には少し勝手が違うか。

 軽くどこかに触れてみようか。このような場だし、そんなつもりもないし、まさかセクハラだなんだと騒がれるなんてことはないだろう。ソファから垂れ下がった折立くんの片腕。その指先に軽く触れた。そして、同調しようとした。

 その瞬間だった。

 背後から両肩を掴まれる。体が動かない。だれ、という声も出ない。

「捕まえた」

 背後から、女の声がした。全身が総毛立つ。恐ろしい存在に捕らわれたと確信した。目の前で眠っていた折立くんはいつの間にかいなくなっていた。部屋の景色に激しいノイズがかかる。それはどんどん激しくなって、視界が砂嵐で染め上げられる。

 やめて、離して、違う。

 声を上げようとしても、出せない。いやだ、いやだ。

「帰りたくない!!」

 ようやく声が出た瞬間。砂嵐のテレビの電源が落とされたように、視界は真っ暗になった。


                  *


「十年です」

 個人経営の小さな喫茶店。カウンター席と小さなテーブル席が三つ。一番奥のテーブル席に腰かけて、折立が「加熱式煙草は吸えますか」と店長らしき老人に確認している最中。彼の目の前に座る男は話し出した。

 紙巻でも加熱式でも構いませんよ、と返答を受けて灰皿を受け取った折立はすぐに加熱式煙草の本体と煙草の箱をテーブルに置いた。

「十年ですか?」

 そこまできてようやく折立から帰ってきた言葉に、男は首を縦に振る。

 男は若手お笑いコンビ『オイデヤアース』のツッコミ担当、タカミチ。

 今日、ネット配信限定のホラー番組の収録で彼らと会うまで、折立は『オイデヤアース』の存在すら知らなかった。そのくらいの若手であり、知名度がないコンビである。コンビ名的に京都か、少なくとも関西出身なのかと思ったら、二人とも東京出身だという。

 フリートークの場面でそれに対してツッコミをいれた程度で、あとは流されるVTRにわざとらしいほど怯える二人と、冷静に分析する折立、進行役の女子アナでスムーズに収録は進んだ。明らかに仕込みの機材トラブルなども含めて数時間で収録を終え、それで完了。

 取材と取材の間でたまたま空いていた日に、知り合いからお願いされた仕事。真面目にやりこそしたが退屈だったというのが正直な感想だ。さっさと帰って原稿を進めなければ。そう思っていた折立を引き止めたのが、タカミチである。

「どうしても、折立さんに相談に乗っていただきたいことがあるんです」

 お願いします、と何度も頭を下げるタカミチ。収録中のオーバーなリアクションや、ややキレのないツッコミでも数を打とうとしている熱心さ以上の真剣さが伝わってきた。

 それに、自分に相談したいこととはつまり「そういうこと」だ。まさかお笑いの極意とはなんて相談ではないだろう。もしかしたら良いネタになるかもしれない。

 二人でゆっくり話せる場所が良いということで、撮影場所の近くにあったこの喫茶店に入った。客は他にいなかったし、何より喫煙不可という厳しい文句が扉にない。

 加熱式煙草が熱されたところで、すうと肺まで流し込んで吐き出す。

「録音させてもらっても?」

「は、はい。構いません」

 何度も頷くタカミチを横目に、ICレコーダーを取り出し、録音ボタンを押して机の上に置く。

「で、十年というのは」

「……妹が、目覚めないんです」

「十年も寝てるっちゅーことです?」

「そう、だと思います」

 タカミチの説明はこうだった。


 タカミチの妹、優香は中学時代にイジメにあっていたという。

 その頃タカミチは高校二年生だったため、妹の学校生活がどのような状況かは詳しく知らなかった。イジメに合っていたこと自体、当時家族は誰も知らなかったらしい。

「その事実はどこで知ったんです?」

「優香が、校舎の三階の窓から飛び降りたんです」

「……自殺、未遂ってことですか」

 目覚めないということは、生きているということ。折立がそう判断して聞いたことは間違いではなかったようで、タカミチはこくこくと頷いた。

「不思議な話なんですけど、目撃した教師や生徒はみんな、優香が頭から落ちたって言ってたんです。でも、頭部に損傷は全くなくて。手足の骨は折れていましたが、命に別状はない状態でした」

「脳みその方がやられてたとかは?」

「医者の見解では脳も無事だそうで。でも人間の脳ってなんか、未だに未解明なところも多いって聞くし。もしかしたらおかしなことになってるんじゃないかって。色んな病院で検査してもらいました。でもやっぱり、異常は見当たらないと」

 なるほど。だから十年も眠り続けて、目覚めないのはおかしいということか。折立は加熱式煙草から吸い終わった煙草を引き抜くとすぐに次のを差し込んだ。タカミチはアイスコーヒーをストローなしでぐびぐびと飲み干し、ふうと小さく息をつく。

「ここからは俺の恥ずかしい話も入るんで言いにくいんですけど」

「はあ」

「実はその、俺の通ってた学校は地元で有名な不良が多い高校でして。俺もまあ、そっちよりの学生だったというか。妹が飛び降りるなんて、学校でなんかあったにきまってんだろって。友達ともそういう話になったんで、集団で妹と同じ学年の子を捕まえては聞いて回ってたんです。あ、殴ったりはしてないですよ。威圧感は与えてたと思いますけど……」

 優香の中学校はタカミチの母校でもある。学年によって名札の色が違うから、下校中の道で張っていれば簡単に捕まえられたそうだ。

 中学生からしてみれば、不良高校の制服を着たヤンキーに突然絡まれるなんて厄介極まりなかったことだろう。折立は当時の学生達に同情した。しかし、妹の自殺の真相を突き止めるために当時できる限りの手段をとったタカミチの気持ちも理解はできる。

「家庭環境に問題は?」

「なかったと思います。俺は問題ありだったかもしれないですけど。当時の俺は、俺が原因の可能性もあるとは考えてなくて。今思えばなくはない可能性だったと思うんですけどね」

「ということは、家庭環境やタカミチさんがイジメの原因やなかったということですか」

 タカミチは頷いた。

「俺らが聞き込みごっこをはじめてちょっとしたら、中学生達がビビッて、そのイジメの主犯格を差し出してきたんです。こいつらのせいですって」

「生贄みたいやな」

「完全にそうでしたね。でも女子だったし、妹は生きてるので、その時は殴ってやろうとは思ってませんでした。ただ、イジメの理由が知りたかった」

「で、その理由は知れたんですか」

 饒舌だったタカミチの言葉が詰まる。それを誤魔化すように、ジーンズの尻ポケットに入ってる潰れた煙草のケースを手に取って一本取り出し、火をつけた。その様子を折立は何も言わずに見続ける。

「……その女子生徒らの話の通りだと、妹は嘘つきだったんです」

「嘘つき?」

「私の家は代々霊能力者の家系で、特におばあちゃんがすごい霊能力者だった。その霊能力を自分も受け継いでるって。いつも言っていたそうです。何もないところを見て怯えたり、こっそりお祓いみたいなことをしている素振りを見せたり」

「実際はどうなんですか?」

 タカミチは小さく首を横に振った。

「代々っていうのは間違いです。確かに、祖母はお祓いや占いなんかをしてました。お気持ちっていう金をもらって。優香と俺が小学生の頃に亡くなりましたが」

「おばあ様には本当にそういう能力があったと」

「わかりません。そういうことをしているのを見学したことはありますが。みんながありがたがって「お気持ち」っていう大金を置いて帰って行くんです。クレームみたいなのを聞いたことはないので、本物だったのかもしれませんけど」

「優香さんにそのような傾向は?」

 タカミチは再び首を横に振る。

「少なくとも小学生の間はなかったと思います。普通に友達がいて、普通に遊んでる。普通の小学生でした」

「中学生になってから急にそんな風になった、と」

「女子生徒達はあいつは中二病だ、見ていて痛々しいって。気持ちはわかりますよ。それで、その子たちは妹に、罠を仕掛けたんです」


                  *


 う・そ・つ・き

 は? どういうこと? 何笑ってるの?

「え、まだわかんないの?」

「こっくりさんがきたっていうのも、帰らないっていうのも、全部嘘だよ」

「私たちが勝手に動かしてただけ」

 なんで、そんな。

「あんたさ、みんなからキモがられてるのわかんない?」

「中二病だよ、中二病」

「でもさ、もし、もしほんとに見えてたら確かにすごいじゃん? だから試そうって」

「こっくりさんが帰ってくれないって騒いだら、あんたが飛びつくだろうから」

「まさかいつものお祓いごっこまでやってくれるなんて思わなかったけど」

「はい、宮部優香の嘘が証明されました~。ただの中二病で~す」

 ちがう。本当にいたのに。ちがうよ。

「いるわけねえじゃん。ぜーんぶ私達が動かしてたんだよ」

 みんなには、見えてないだけでしょ。今もほらそこに。

「追い祓ったんじゃねえのかよ」

「言ってることめちゃくちゃ。インチキ霊能者じゃ~ん」

 なんで。ちがう。どうしてこんなことするの。ちがう。私には、私にはちゃんと――。

「みんなにも教えてあげないとね、あんたがインチキ霊能力者だって」

 ちがう。インチキなんかじゃ。私は。私には本当に――。

 …………なんで?


                  *


「やらせのこっくりさんで、カマをかけたと」

 何ともシンプルでわかりやすい。

 このような場面で上手く誤魔化かして相手を煙に巻いたり、信じ込ませたりできる人間を『インチキ霊能力者』と呼ぶのだが。幼心でムキになってしまった少女にはそんな芸当はできなかったのだろう。

「その日から、無視されたり、陰口を叩かれたり。それがだんだんエスカレートしていったみたいです。あいつには何をしてもいいっていう風潮が出来上がったというか」

 これもまた幼心、子供の残酷性が生み出した悲劇。ありふれていて、ありふれていてはいけない現実。

 嘘をつき続け、周囲を不快にさせていた優香も悪かったのかもしれない。タカミチもそう思っている節はあるのだろう。非常に話しにくそうに、何度か言葉に詰まりつつ、ICレコーダーをちらちらと見ながら話していた。

 よく言う「いじめられる側にも原因はある」というやつだ。しかし、それは人を傷つけ、痛めつけて良いという免罪符にはならない。

「自殺を決意するまで追い詰められたわけですから、正直、やっぱり一発ぐらい殴ってやってもいいんじゃないかって思ってしまいました。でもさすがにそれはまずいかと」

「マイルド不良だったわけですか」

「まあ、そうですね。イキってただけ、みたいな。恥ずかしい話ですが。手を上げることはできなかったので、言ってやったんです。優香の言葉は嘘でもなんでもない。俺たちの家系は本当に霊能力者の家系だ。俺にはお前らの後ろにべったり憑いてる奴が見える。俺は優しくないから助けてやらないけどなって言って、その場を離れました。それでちょっとでもビビらせてやれればいいと思って」

 もちろん、何も見えてませんでしたよとタカミチは苦い笑みを浮かべる。

「それから何日か経ってから、そいつらが俺の家まで来たんです。母親には事情を話していたので門前払いされてましたけど。でもなんか、お祓いをしてほしいとかなんとかって喚いてたのは聞こえてて。俺の話が思ったより怖がらせたのかなと思って、正直良い気味だと思いました」

 タカミチの言葉を録音しつつ、メモをとっていた折立の手が止まる。

「お祓いしてほしい?」

「はい。理由はわかりませんけど。主犯格だった六人の女子生徒が家の前に来てそう言ってた、と」

 少女達は優香の霊能力が嘘であることを暴くためにこっくりさんを演じることができる。それは霊的な存在や現象に対して懐疑的であったり、全くもって信じていないという前提があるからだと思っていた。少しでもそれらを信じている心があるなら「バチが当たるかもしれない」と多少は躊躇したのではないか。

 こっくりさんを演じ、他人を平気で虐げることのできる人間が、タカミチの言葉を鵜呑みにしたとは思えない。なのに、少女達はお祓いを依頼しにやってきた。

 ふざけて言いに来たのなら、喚くような声は出さないのではないか。それも彼女らの『イジメ』の一環で、少女だけでなく家族もろとも嘘つきの烙印を押そうとしたのか。でも、わざわざそこまでするだろうか。

「その、お祓いを頼んできた少女達についてはお母様から何か聞かれました? 例えば、その時の様子とか」

「聞きました。随分と腹を立てていたようだったので、戻って来るなり「うちの家がそういう家系だって聞いた」って言うから「そんなもんはばあちゃんの代で終わってる」って言ったと。そしたら、嘘つきとかなんとか言って泣いて帰って行ったそうです」

 こうなると、やはり嘘つきの烙印を押しに来たわけではなく『本気でお祓いをしてほしくて来た』と考えるのが濃厚か。

 自殺未遂をして十年間謎の眠りを続ける少女、自殺未遂の後にお祓いを頼んできた加害少女達。得た情報から、折立はある仮説を立てた。

「これは決して妹さんのことを悪く言っているわけではないんですけどね」

「はい」

「生霊ってあるでしょ。さっきの収録でも元恋人の生霊に取り憑かれた人の話があったと思うんですけど」

「確かに。もしかして、その祓ってほしいって言いに来た奴らには、優香の生霊が取り憑いている、と」

「そうです。ただ、これは俺の妹の受け売りですけど、生霊はとばす側にも労力がかかります。六人、でしたっけ? その六人に強い恨みを持った妹さんが、全員に取り憑いていたとしたら、それはもう重労働だと思いません?」

「だから、目覚めない……?」

 あくまで推測でしかないですけどね、と折立は補足した。実際に推測、憶測、それ以外のなにものでもない。聞いた話とこれまでの経験から導き出したものだ。

 それに折立は、自分で考えたこの説をあまり推したくなかった。

「俺としては、最初にタカミチさんが言った人間の脳の未解明なところと、自殺の精神的・物理的なショックがたまたま結びついて目が覚めなくなったと考えたいですけどね。こうなると、できる検査をやりきったなら医学の発展を待つしかありませんが」

「どうしてですか」

「もし仮に、俺の推測した通りでしたーって話になってもたら。優香さんは現在進行形で未だにそのいじめっ子達に取り憑いて苦しめてることになるやないですか」

  

                  *


 喫茶店での話の数日後。

 折立おりたち みのるは兄のみさおに呼ばれて東京を訪れていた。

「十年以上目覚めない女性がいる。彼女はもしかしたら六人もの人間に生霊をとばしているかもしれない」

 そんなあほな、実は思った。そもそも生霊は良くも悪くも一個人に対する強い思いからとんでいく。自分の意志で飛ばすことができる人間もいるが、基本的には無意識で、その対象は一人。そうしないと『本体』がもたないと、人間は本能的に理解している。

 だから複数人に生霊を飛ばし続けるともなれば、眠っているとはいえ本体は十年ももたないだろう。

 それでも実が東京にやってきたのは、操との電話の最中に妙な気配を察知したからだ。こういう時、操は必ず不可解な事象に関わっている。その正体が十年間眠り続ける生霊女だったとしても、そうじゃなかったとしても、悪いもののような気がした。だから直接この目で見て判断することにしたのだ。

 タクシーで指定された病院に向かう。支払いを済ませて自動的に開いたドアから降りると、入口には操と一人の男性――おそらく例の生霊女の兄、タカミチであろう人物が立っていた。

「おつかれさん」

「ほんま東京遠いわ」

「この辺住んだらええがな」

「都会嫌い。田舎がええの」

「あ、あの、こ、この方が、折立さんの、妹さん、ですか?」

 タカミチはまるで伝説の生き物でも目にしたかのように目を輝かせる。これまで何度も操の知り合いに会って来たが、大体はこういう反応をされるので実はすっかり慣れてしまった。

「はじめまして。折立実と申します」

「は、はじめまして! お笑い芸人やってます、オイデヤアースのタカミチっていいます。あ、本名は宮部隆道みやべたかみちです」

「関西出身なんですか?」

「あ、いえ、東京生まれです」

 関西出身ちゃうんかいという言葉を呑み込み、実はそうですかととだけ返事をして病院を見上げた。明らかに一つ、異様な部屋がある。窓越しでもわかる。病院は人の生き死にに関わる場所だ。様々なものがいるのは当たり前といえばそうなのだが、そこだけはその中でも特に異質だった。

「……妹さんの病室は?」

「ご案内します! え、休憩とかなくて大丈夫ですか?」

「かまへんかまへん」

「なんで操がかまへんって言うねん。操は中のコンビニでコーヒー人数分買ってきて」

 あいよ、と言って操は「病室だけメッセージで送っといて」とタカミチに伝えて病院の案内板を見に向かった。

 もう何度も来ているのだろう。タカミチはまるで自宅への道を歩くかとごとく、周りの人々などに目もくれず、まっすぐエレベーターを目指す。

「妹さんですが」

「は、はい!」

 そんなタカミチに声をかけると、驚いたような返事がきた。

「そんなに緊張しなくていいですよ。私が妹さんを見ても、何も変わらない可能性もありますし」

「いやあ……でも。その、ほら。折立さんの怪談話によく出てくるじゃないですか。妹さんって。だから、実在するんだって思うとなんか、ドキドキして」

 エレベーターと扉が開く。それに乗り込むと、タカミチは三階のボタンを押した。

「よく言われます。珍獣みたいな扱いなんですよね」

「いやそんなそんな! 実在するんだっていうのもあるしその、めっちゃ、美人ですよね」

「それもよく言われます」

 実がそう言ってにっこり笑って見せると、タカミチはへへっと照れ臭そうに笑った。冗談のつもりで言ったのに、真に受けられただろうか。せめて自分で言うんかーい、くらいつっこんできたらいいのに。ああ、でも関西人じゃないのか。

 そんなどうでもいいことを考えていると、エレベーターは三階で止まった。

 病室は、言われなくてもわかった。換気のため開け放たれている病室の扉たち。その内の一つから、先ほど病院の外から見てもわかる異様な雰囲気が漏れ出している。

「病室は――」

「多分わかります。タカミチさんはコンビニまで操を迎えに行ってあげてもらえます? 操はほっといたらウロウロするので」

「ええ、あ、ああ、はい」

 実は返事をすべて聞く前に歩き出した。

 柔らかい白の天井と壁。床は薄緑色。廊下の窓も病室の窓も換気のために開かれている。そこからは風が吹き抜けて、この空間の清潔さを保つのに一役買っていた。が、その自然に流されない、黒く淀み、床を這う黒いガス状のものが、とある病室から漏れだしている。

 足早にそこに向かって、中を見る。大部屋なのにもかかわらず、一番奥のカーテンがかかっているベッド以外はすべて空いていた。実からすれば理由は一目瞭然だ。弱っている人間が「こんな所」に長居できるわけがない。

 病室に入る。空気の動きに関係なく、病室の床一面を覆うガス状のものはただそこを漂っていた。奥のベッドのカーテンを無遠慮に開けば、そこには眠っている女性の姿。長く体を動かしていないせいか、痩せ細った体。そんな彼女にかけられた布団の隙間から黒いガス状のものは漏れ出していた。

「最悪」

 実は小さく、そう呟いた。

 それからほどなくして、操とタカミチが病室にやってきた。タカミチは実がちゃんと妹の病室にいることにやや驚愕の表情を浮かべたが、それよりも周囲が気になるようだ。

「どうかしましたか」

 実の問いかけに、タカミチは「ああ」と小さく声を漏らす。

「なるべく声をかけてあげることが大事だって聞いたので、時間がある時は見舞いに来るんですけど、なぜかすごく疲れるんです。空気が重いっていうんですかね。両親も同じように思うらしくて、顔を見に来たくてもなかなか行けないと。でもなんか、今日はそんな風に感じないから」

「応急処置しましたから」

「応急処置?」

「タカミチさんにこのような話はしたくありませんが、操が立てた仮説は残念ながら大体合っていたようです。でも、その仮説よりも実際は質が悪い」

 実がタカミチをベッドの脇の小さな椅子に座るように促す。ゆっくりと腰を下ろし、聞きたくない、でも知りたいというのがわかる複雑な表情で実を見つめた。

「単刀直入に言います。どういう理由でこうなっているのかは、タカミチさん達が来てから視るつもりだったのでまだ詳細はわかりません。ただ、今見ただけでわかったのは、彼女が呪いの塊だってことです」

「呪いの塊……?」

 タカミチは眠る優香の顔と実の顔を交互に見る。

「彼女には少なからず私と近いもの、つまり霊能力の類があります。それも厄介なことに、呪いに特化したもの。私がここに来れたのは、彼女から溢れ出た呪いの一部が病室に外に漏れ出ていたからです。健康な若者にはそれほど害はありません。でも、ご両親くらいの、ある程度年齢のいった方や、病気で入院されてきた方なんかは長居できないでしょう。タカミチさんが疲れる理由はそれです。彼女の呪いのガスで満たされた部屋にいるわけですから」

 実はそう言って、優香の細い手を取り、目をつむった。

 その様子を、操とタカミチは黙って見ていた。静かな病室の中。最初は落ち着いていた実の呼吸が、次第に荒くなっていく。たまに舌打ちをしたり、アホがとか汚い言葉を吐いたり。それが何十分が続いた後、実は優香の手を放して両手を軽く上げた。

「アカン。とんでもないくらい拒絶されてる」

 実はそう言って操の買ってきたコンビニのアイスコーヒーの透明の蓋を開けて一気に喉に流し込む。そしてタカミチと操を見て首をふるふると横に振った。

「優香さんは今、自分が教師で、学校で他の教師とか生徒を霊能力で守ってるヒーロー、というかヒロインか。そういう夢に閉じこもってる」

「霊能力で教師が生徒を守るって、あれみたいやんか。ぬ~べ~」

 操がそう言うと、タカミチも「懐かしいっすね」と声を上げた。

 かつて週刊少年ジャンプで連載されていた人気漫画で、アニメ、劇場版、OVA作品も多く存在する作品『地獄先生ぬ~べ~』。鬼の手と自身の霊能力で悪霊や妖怪から生徒を守る小学校教師、ぬ~べ~こと鵺野鳴介が主人公のホラーであり、コメディーであり、シリアスでもあり、ラブロマンスやお色気要素なんかもある多種多様な要素が詰め込まれた作品だ。

「そういえば、優香も俺もめっちゃ好きでしたよ、ぬ~べ~」

「俺らも好きやったよな。俺が東京に引っ越す時に全巻が持って行くかどうかで揉めるくらいには」

「全部操が持ってったけどな」

 実は恨めしそうに操を見る。それを無視して、操は眠る優香に目をやった。

「で、優香ちゃんは今夢の中でぬ~べ~ごっこをしてると」

「そんな感じ。でも私のことを物凄い拒絶してる。多分コンプレックスやね。自分にはない、自分が一番欲しかった力を持ってるのが、私やから」

「でもぬ~べ~ごっこをしてるだけで、呪いをまき散らすのはなんか、違うような」

「そう、違うねん」

 タカミチの言葉に、すぐに実は応えた。

「何か理由があるはず。煙に巻かれてる。一番良いのは、優香ちゃんを叩き起こすことやねんけど」

 実はしばらくじっと優香の顔を見つめた後、その視線を操に向けた。

「操。私の代わりに夢に入って」

「はあ? できひんよ」

「わかってるわ。私が入れるから、そこで優香ちゃんと接触して」

「なるほど? どないしたらええの」

「なんか適当に、毎日不自然な怖い夢を見る。絶対何かに憑かれてるから助けてほしいって頼んでみて。断るようなら挑発すればいい。夢の中では大人の姿でも精神は子供のままやから。挑発すれば意地でもやろうとすると思う。そこが狙い目。私が引きずり出す」

「えーっと、夢の中で、俺の夢に干渉してくれって話をすればいいってこと?」

 そう、と頷いて実は操の手首を掴んだ。

「ちゃんと自覚しててほしいのは、どんな姿になっても自分は今夢の中にいるってこと。そして、干渉させるのは、現実やってこと」

「難しい話すんな~」

 へらへらとしている操と、真剣に話す実。二人の会話をまったく意味がわからないと言った表情で聞くことしかできないタカミチ。

「要するに夢の反対側に連れ出すって認識でええんか」

「そう。絶対に拒否るけど、あんたに触ったらもう逃がさん。優香さんには悪いけど、このまま呪いをまき散らす装置になってる方が問題」

 操の手を掴んだまま、実は再び優香の手を掴んだ。操は何も言わずにベッドの脇に座り目を閉じる。タカミチはその状態で寝れるのかと心配したが、ほどなくして操の寝息が聞こえてきた。

「……ごめんな、タカミチさん」

「えっ、えと、すいません。何がなんだか」

 突然の実の謝罪に、呆然としていたタカミチは現実に引き戻された。

 今まで目の前で当然のように繰り広げられていた会話は、それこそアニメや漫画のような、自分の世界とは切り離された世界のものだ。

「優香さんは何かが原因で、呪いをまき散らす装置になってる。今はそれが夢にカバーされてて全く見えへん。だから夢から目覚めさせる」

「は、はい」

「多分やけど、優香さんは自分が思う『特別な存在』になりたかったんやと思う。それこそぬ~べ~とか、漫画の主人公みたいな。自分には不思議な力があって、それでみんなを守ってる。戦ってる。そういう存在」

 小学生、中学生がそのような存在に憧れて、影響されて、時に痛々しい行動と言動に走る。そして、大人になってから思い出しては枕に顔を埋めてじたばたしたくなる。いわゆる中二病、黒歴史。

「中学生の時の優香さんは、多分ですけど、お祖母さんのこともあって。自分にもその血が流れてるから、そういう力があると思い込んだか、そう思いたかったんでしょうね。それで、やらせのコックリさんの罠にはまってしまった」

「家ではそんな素振りはまったく見せなかったんですけど」

「お祖母さんの仕事ぶりを見ている家族が、そんな反応してるのを見た上でごっこ遊びをしても、信じてもらえない思ったんでしょう」

 確かに、とタカミチは驚愕した。一体、実には何が見えているのだろうか。

 というのも、タカミチと優香の祖母の占いやお祓いの仕事は、家計の助けにはなっていたものの、その能力の真偽に関しては家族全員が懐疑的だった。特に祖母の娘である母は「昔から胡散臭いことばっかり言ってる。いつ訴えられるか冷や冷やする」と常々祖母がいない所で口にしていたのを覚えている。もちろん、それは優香も聞いていた。

「あの、呪いをまき散らす装置って言ってましたけど。呪ってるのは、やっぱりいじめてきた奴らですか?」

「だと思います。自尊心を傷つけられて、おまけにいじめられて。しかもいじめの理由が霊能力があると嘘をついたせいだなんて、家族には言えなかったでしょうから。逃げ場もなく。子供ながらに、死ぬしかないと思った。絶望と恨みを持って、本気で死を覚悟したから、彼女の中にあった呪い特化の能力が開花したのだと、今は思っています」

 真実を煙に巻いている夢をどうにかしない限りは結論とは言い切れないと、実は言った。タカミチはこの時初めて、祖母の力が本物だったのではないかと思った。その祖母の力の片鱗を、しかも厄介な呪い特化という力を、優香は知らず知らずの内に受け継ぐことになった。精神的・物理的ショックから、未解明の脳の何かが、呪いの力が目覚めてしまったのか。

「……どうせ受け継ぐんだったら、全部の力を受け継げれば幸せだったのに」

 タカミチが小さく漏らした言葉に、実は視線を向ける。

「どうしてそう思うんですか?」

「ちゃんと見えて、お祓いもできるんだったら、それこそぬ~べ~じゃないですか。実さんも、俺からすればぬ~べ~みたいなもんですよ。特別な人って感じで」

 その言葉にまったく嘘はなく、本当に、本気でそう言っているのだと実は感じた。だからこそ、思わず笑みが漏れてしまった。それは特別扱いされたからでもなんでもない。

 タカミチは戸惑った。実が、ひどく自嘲的な笑みを浮かべて自分を見ている。

「タカミチさん。私はね、全然特別なんかじゃなかったんですよ。確かに、ほとんどの人にない力を持っているという自覚はあります。でも」

「……でも?」

「……ぬ~べ~が、過去どんな経験をして、なぜ教師を志すようになったか、覚えていますか?」

「へ?」

 突然振られたぬ~べ~の話に、タカミチは腑抜けた声を漏らす。同時に記憶を巡らせる。アニメも漫画も見ていたが、頭の中の引き出しのどこに眠っているのかがわからない。随分前に見たものだ。なんだったか、どこだったか。取っ散らかった記憶の中を右往左往する。

 すると、実が小さく「つかまえた」と呟いた。その直後、座ったまま眠っていた操が「うおあ!?」と声を上げた。

 思考の中から引きずりだされたタカミチが目にしたのは、目覚めた操と、瞳を薄く開いた優香の姿だった。


                  *


 ねえ、どうして。どうして。どうして。

「うそつき」

 そうだよ。うそつきだよ。何も見えないよ。私には。

「うそつき」

 わかってるよ。わかってる。自分が一番わかってる。ごめんなさい。おばあちゃんみたいになれないから。

「うそつき」

 ねえ、なんで? なんで見えるの? なんで憑いてくるの。呼んだのはあの子達でしょ。私じゃない。

「う・そ・つ・き」

 そうだよ、わかってるから! わかってるから! 何もできないから! 私についてきたって、お祓いも、成仏もさせてあげられないから!

「うそつき」

 もうやめてよ。お願いだから。怖いよ。助けてよ。

 無視されるもの、陰口を言われるのも、持ち物を捨てられるのも隠されるのも、靴に画鋲を詰められるのも、机に落書きされるのも、どうでもいいから。

 いなくなってよ、お願いだよ。

「じゃあ死ねば?」

 いやだ。死にたくない。

「死んだら、呪ってあげるよ」

 呪われたくないよ。

「いじめてる奴らをだよ。わたしを呼んだ奴らをだよ」

 ……え?

「あなたはうそつき。でも、わたしはうそつききじゃない。あなたが約束を守って死んでくれるなら、わたしをいじめたやつらをずーっと苦しめ続けてあげられる」

 殺さないの?

「死んでほしいの?」

 ……ううん。

「無視されるもの、陰口を言われるのも、持ち物を捨てられるのも隠されるのも、靴に画鋲を詰められるのも、机に落書きされるのも、本当はどうでもよくないくせに。平気な顔してるけど、いつも泣きそうになってるの、みんな気づいてる。笑ってる」

 やめてよ。

「死んだら証明できるよ。あなたの力が嘘じゃないって」

 証明、できる……?

「そう。わたしが見えてるんだから。間違いない。やり返そうよ。ずっと苦しめてやろう? きっと楽しいよ」

 楽しい?

「そうだよ。約束する。わたしは嘘はつかないから。あなたは死ぬ時に、絶対痛い思いをしない。死んでからはずっと楽しい世界で生きていける。あなたが楽しい思いをしてる間、あなたを苦しめた奴らはみーんな、ずーっと、苦しむ」

 本当に? 本当に?

「本当だよ。私はね、嘘をつけないんじゃなくて、嘘をついたらダメなんだ。約束事はきちんと守らないといけない。でもその代わり、あなたは死ななきゃならない。命をもらうんだから。約束は破れない」

「もうこんな苦しい思いしなくて済むんだよ? 馬鹿にされなくていいんだよ?」

「きっと大人になっても、あなたのことを昔のことで馬鹿にしてくる人が出てくるよ」

「あの人は昔、霊能力があるって嘘をついてたって言いふらされるんだ」

「あの人は嘘つきなんだって言いふらされるんだ」

「でもあなたをいじめた人達は、それを言いふらしながら楽しく生きていくだけ」

「許せないでしょう?」

 ……許せない。

「そう、許せないよね。だから、約束しよう? わたしと」


          *


「お前か!!」

 実が声を上げる。立ち上がって、目覚めたばかりの優香の頭を小さな手で鷲掴みにした。その光景にタカミチは思わず止めに入ろうとしたが、操がそれを止める。

「折立さん!! ダメですよ!! 起きたばっかりなのにあんな」

「タカミチさん、よう見てみ」

 後ろから羽交い絞めにされて体をひねらせつつ、優香の顔を見る。そこには先ほどの優香までとは違う。別人の顔があった。優香の体に、別人の、女の顔が張り付いている。それはにたにたと笑みを浮かべながらタカミチを見ていた。

「おにいちゃん、たすけて」

「このひとにいじめられてるの」

 優香の声ではなかった。タカミチは抵抗することを止め、自分を羽交い絞めにしていた折立にすがりつく。タカミチは、その顔を知っていた。

「おにいちゃん」

 優香の声ではない女の声。知っている顔。気持ち悪い。聞いているだけで吐き気がする。

「操、タカミチさん連れて部屋出て」

「了解」

 実の言葉に従い、操はタカミチの体を支えながら病室を出て扉を閉めた。廊下にへたり込んだ途端、嘔吐するタカミチ。呑んでいたコーヒーの黒が床を汚した。病棟の看護師がそれを発見して、大丈夫ですかと駆け寄ってくる。

 おにいちゃん、と呼んだあの声は、耳から入ってきたというよりも自分の中身を侵食するように捻じ込まれたもののように感じた。強制的に開かれた腹に異物を捻じ込まれるような。強烈な違和感と不快感。胃液しか出なくなっても、何も出なくなっても、その異物感は吐き気となって押し寄せる。タカミチはこみあげてくる吐き気に肩を震わし、涙を流していた。

 看護師が複数名集まったあたりで、閉ざされた病室から強烈な悲鳴が聞こえた。

 何が起こっているのかわからないが、さすが看護師達というべきか、すぐに二手に分かれて一組が病室の扉を開く。操もそれに続いて中に入った。

 そこにはベッドに横たわり、呆然と天井を見上げる優香。そして、そのベッドの脇で立ち尽くす実がいた。

「終わったか」

 操がそう声をかけると、実は振り返る。

「終わっ、た。今は」

 その声はどこか、不安げなものだった。


                  *


 タカミチは何度も嘔吐を繰り返していたため、どこかの科の診察にねじ込まれらしく看護師に連れて行かれた。病室には操、実、そして優香が残されている。

「優香さん、やはり話せませんか?」

 優香はわずかに首を縦に振る。先ほどまでいた医師も、長らく動いていないからしばらくはまともに動けないし、話せないだろうと言っていた。

「もうすぐご両親が来られます。お兄さんは、今診察中ですが異常は見つからないと思うのですぐに来るでしょう。その前に、あなたが今どのような状況にあるのか話しておきます。大切なことなので」

 実はそう言って、一呼吸おくと話始めた。

「あなたに憑いていたのは、簡単な言葉で言うと『契約をする悪魔』に近い存在です。人間に契約を持ちかけて、今回の場合はあなたの命と引き換えにあなたをいじめた奴らを苦しめ続けることを約束した。あなたは本当に死のうとした。でも、恐らくですがあなたのお祖母さんがそれを許さなかったんでしょうね。あなたは守られた。でもこの世ならざる者との契約の力は強いものですから、結果的にあなたは長い長い眠りにつくことになった」

「この意味がわかりますか?」

 実は問いかける。優香は呆然としていた。二十五歳とは思えない、幼い表情で。

「契約は果たされていないということです。あなたは死んでいない。眠っていたけです。でもあなたの死と引き換えにいじめた奴らを苦しめることを、アレは約束したんです。あなたが眠っている間に、勝手に契約内容を、約束を果たしています。あれだけ呪いの残滓が溢れ出ていたんですから。死の意志を見せたとか、あれこれと理屈をこねて、不幸を振りまいて。確かめてはいませんが、きっと標的となった人たちは相当不遇な目に合っているでしょう」

「だから――」

 そこまで言うと、実は黙ってしまった。隣に座る操に目をやり、視線だけで出て行くように促す。ここまで聞いたら自分も話を聞きたい。正直、聞かなくても予想はできてしまうが。実年齢は二十五歳だとしても精神年齢は十五歳で停止している少女には、残酷で、でも、自業自得でもある事実を告げなければならない。

 操は部屋を出た。しばらくすると、実も部屋から出てきた。エレベーターホールに向かう際中、おそらく優香の両親であろう中年夫婦がばたばたと廊下を走って行った。

 それを横目に、実は小さくため息をつく。そんな彼女に、操は真似するようにため息をついて実の頭に軽く手を置く。

「ホテル予約してるで」

「ええ部屋なんやろな」

「普通のビジホや。一緒の部屋にしてるから」

「なんでやねん」

「嘘に決まっとるやろ。俺は家帰るわ」

 操の言葉に、実は顔を上げて力なく笑った。


                  *


 一ヶ月後。

 折立はタカミチと初めて二人で話した喫茶店にいた。優香のことで、と彼から呼び出されたのだ。

 煙草を吸いながらコーヒーを飲んでいると、からんとドアベルが鳴る。そこには憔悴しきった表情のタカミチが立っていた。

「お久しぶりです」

 タカミチが深々と頭を下げる。折立はそんな彼を席に着くように促した。

「優香さんのことでってことで、なんかあったんですか」

 席に着いたタカミチに折立はすぐに問いかけた。といっても、何となく、言われることの予想はついていたが。

「……どうして、ですか」

「どうしてとは」

「どうして、優香を助けてくれなかったんですか」

 予想していた通りの内容だ。折立は煙草を咥えて深く息を吸い、ゆっくりと吐きだす。

「亡くなりましたか」

「……はい。一週間前です。外の空気を吸いたい、屋上が良いって言うから連れて行ったんです。そしたら、一人で立てなかったはずなのに、優香は、車椅子から急に立ち上がって、バイバイって走り出してそのまま……そのまま、飛び降りました」

 タカミチの頬を大粒の涙がつたっていく。目の前で妹が飛び降り自殺をしたのは相当に堪えたのだろう。今もきっと、頭の中はその時の光景でいっぱいのはずだ。

「どうして、どうして……!! どうして祓ってくれなかったんですか!! アイツを!!」

 ばん、とテーブルを叩いて立ち上がり折立を見下ろす。タカミチは悲しみと怒りに満ちた表情を折立に、というより折立越しに実に向けているように感じた。

「あの時の、実さんが優香の頭を鷲掴みしてた時のあの顔! アイツのこと、俺知ってるんです!! いじめた奴らと会った時、そいつらと一緒にいました。一人だけにたにたしてて、気持ち悪い奴だって思ったのを覚えてます。なんでアイツをちゃんと祓ってくれなかったんですか!! 落ちていった時の優香の顔は!! アイツの顔だった!!」

 どさり、と音を立てて椅子に座り込み、嗚咽する。そんなタカミチに、優香は悪魔じみた存在と契約をしていて、遅かれ早かれ命を取られる運命にあったと告げるべきかどうか。折立は悩んだ。

 きっと実は、折立を病室から出した後にそれを優香に伝えたはずだ。いずれは必ず取り立てられる。だから、それまで悔いのないように生きろと。

「優香さんは、それまでどのように過ごされていたんですか」

「……医者は無理をするなと言っているのに、頑張って話そうとしたり、声が無理ならと筆談したり。ペンを持つのも厳しくなったら、ようやくその日は諦めて。リハビリもかなり熱心にしていました。外の空気を吸いたいっていうから、病院の外を軽く散歩したり、屋上に出たりして」

 折立はまた煙草の煙を深く吸い込んだ。いつ来るかわからない死を目前に、彼女なりに家族と過ごせる時間を充実させるに努力していたのだろう。正直、やるせなさはある。

「……タカミチさんのいうアイツですが。アレはうちの妹でも手に負えやんもんです。うちの妹で手に負えんなら、多分どこ探しても無理やったでしょう」

 折立の言葉に声を荒げそうなタカミチに、バッグの中から取り出したクリアファイルから紙束を取り出し、小さなテーブルに広げて見せた。


「調べましたよ。優香さんをいじめてた同級生『五人』の現在」


「一人は高校生の時に実家が謎の火災で全焼。家族は全員死んで天涯孤独の身になったそうです。彼女は精神的なショックから立ち直れず、酷い自傷癖があるため現在も入院しています。病院でも何らかの方法で度々自傷行為に走るため、医師も看護師も相当手を焼いているようです。拘束具付のベッドに繋がれているとか」


「一人は新興宗教にハマってしまって、ほら、この宗教。聞いたことありませんか? 最近教祖が詐欺罪で逮捕されました。彼女は『幹部』だったそうです。教祖と同じ詐欺罪で逮捕されました。儀式と称して開催されていた乱交パーティーの結果、多くの性病を患っているそうで。今は相当苦しい思いをしているようですよ。おまけに誰の子かもわからない子供まで孕んでる。彼女もまた、全財産を教祖に渡していたので一文無し。刑期を終えて外に出ても、家族からは家を追い出されているので帰る場所もない」


「一人は高校卒業後、ホストにハマって、貢ぐために風俗店勤務、美人局に加担したり、闇金からも金を借りていたようで。知り合いのそっち系のライターに話を聞いて、ちょっと調べてもらったら、非合法のとんでもない店で働かされているのがわかりました。放っておけば近い内に死ぬでしょうね。どんな店か詳しく知りたいなら書類を読んでください。」


「一人は就活に失敗。酷い圧迫面接を何度も何度も受けて、それが原因で酷い鬱状態。今は実家で引きこもっているとか。ご家族に話を聞けましたが、完全に見放されていましたよ。トイレも行かず、風呂にも行かず、汚物塗れの部屋で生活しているそうでね。何とかして家から追い出せないかとって相談までされて」


「一人は婚約相手に過去にいじめをしていたこと、それが原因でいじめられた子が自殺未遂まで起こしたことが露見して婚約破棄に。同じ会社の同僚だったのが災いして、彼女の過去は一気に会社に広まり、居づらくなって退職。それ以降、どこで働いてもいじめの話はどこからか露見して、いられない状態になる。定職につけない彼女は実家に戻ったものの、婚約破棄された理由が理由なので家族からもまともな扱いを受けていないようです。これは本人から聞いた話です。随分憔悴していましたよ」


「一人は不倫の末に相手の奥さんと衝突。多額の慰謝料を請求されたことに逆上したことでさらに上乗せ。とてもやないけど、若い女性がはいどーぞと支払えるような金額ではありません。おまけに不倫相手にはただの遊びだったと言い捨てられる始末。上司との不倫だったようでね。もちろん二人とも会社にいれるわけありませんから。退職して、分割で慰謝料を払うためだけに働く生活だそうです。これも本人から聞きました。どんな仕事をしているのかは絶対に言いませんでした。彼女としては人に言えない仕事だったんでしょう」


 一枚、一枚を簡単に説明していく折立。タカミチは最初こそ優香への思いから涙を流していたが、妹をいじめた者達の現在を聞いていく内にどんどん顔が青白くなっていった。

「個人的には他人をいじめるような人間にまともな人生を送って欲しいなんて思いませんので、優香さんを責めはしませんよ。でも、これほど悪意に塗れた呪いを五人の人間にばら撒いたのは事実で、こんな規模の呪いをばら撒くには、優香さんの呪いの力以外のものが必要だった。それが、タカミチさんの言う『アイツ』です。優香さんの力も利用して、ここまでのことをしたのがアイツなんです」

「こ、んなこと……」

 あんな奴らは酷い人生を歩めばいいと漠然と考えていた。しかしいざ言葉にされて、その事実を突きつけられると、良い気味だとへらへら笑えるような内容ではない。タカミチは広げられた書類をまとめて折立に突き返した。

「必要ありません……」

「わかってもらえましたか。俺の妹でも、どうにもできひんかったって理由は」

「……はい」

 完全に理解したと言えば嘘になる。たとえ優香の力を借りていたとしても、ここまでの災いを振りまける存在がこの世に存在するということがただただ恐ろしかった。そして、それがあの『折立の妹』をもってしても完全に消し去れないものであるということも、恐ろしかった。

 タカミチはそのままふらふらと店を出て行った。

 その後しばらくして、風の噂でオイデヤアースが解散したこと、その理由はタカミチがどこかしらの寺に修行に入ったためだと聞いた。


                  *


 実は感じていた。アイツが、優香を連れて行ったことを。

 なるべく遠くにへ飛ばした。でも、一ヶ月ももたなかった。それほどに、契約というものは強いものだ。目に見えない契約を断ち切ることはできない。実自身が一番、嫌と言うほど理解していることだった。


『お兄ちゃんが助けたるからな』

 山の中。方角もわからない真っ暗な闇の中でうずくまっている所に、兄がやってきた。まっすぐここに向かって来たのだろう。服や体には最小限の傷と汚れしか見当たらなかったことを覚えている。

『もう大丈夫や。絶対に死なせへん』

 まだ小学校低学年だというのに、兄の言葉は強かった。きつく抱きしめられて、体格も変わらないのに、すごく大きなものに包まれている感覚。


 常に頭に入れている懐かしい出来事を鮮明に思い出していると、スマホが鳴った。画面には『操』と表示されている。きっと、優香のことだろう。実はスマホを手に取り「なに」と不愛想な声を上げた。

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不可視・切断不可 平城 司 @tsukasa_t

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