第10話 ルル・ホルトの過去2
私が初めて戦場に立ってから、約一年が経った。
妹のミミが十五歳となり、初めて戦場に立った頃だ。
一年前の時と同じ、捨て駒としか思えない真魔たちを相手にちょっとした小競り合い程度の戦いだ。
それでも、殺し合いであることに変わりは無かった。
この一年間、真魔たちとの戦争は数度程度しかなく、その全てで私は真魔を一度も殺すことが出来なかった。
どれだけ冷徹に、どれだけ真魔を嘲ろうと心の奥底を騙すことは出来なかった。
『ワハハ、遅い』
ミミは私と違って何人もの真魔を討伐した。
妹のミミが普通であるのを見て私はまた心を痛めた。
そして、妹の命が掛かっている場でも私は真魔たちに手を下すことが出来なかったことに対して私自身、心の弱さに絶望した。
妹や兄に命を奪う行為を押し付けてしまっている私への周囲の対応はこの辺りから少しずつ変わっていった。
家族からの対応は変わらなかったが、戦場での私の評価は『強さは申し分ないが、敵を減らせない小娘』と言ったものに変わっていった。
期待に応えられていない。
ホルト家の次期当主としてあってはならない状態だった。
『……そうよ、ルル。私は、ホルト家の一員なのだから。兄さんやミミよりも、才能が、あるはずなのだから…………私が、頑張らないと……私が、やらなきゃ、いけないの。私が、殺さなくちゃいけないの…………そうよ、馬鹿げているのよ…………私の、考えは…………魔物は人を殺す存在。だから、人を守る行為なのだから、仕方のないことなの。私の『真魔を人として見る』という考えは間違っているの……』
このころから私は一人になると自分自身を叱責するようになった。
自分の部屋、あるいはお風呂に浸かっているとき。
最近では外来の魔物が住み着いてしまい、街の皆が近寄ろうとしなかった森を、危険を排除した上で秘密基地にしてそこで一人、自分を叱った。
そんなある日、私はミミに『姉よ~、一緒に風呂へいこー?』と誘われた。
私の家はそこそこ大きいので浴場も二人で入っても何の問題もない広さをしていた。
普段、ミミがそのようなことをわざわざ誘うことなんて無かったけれど、特に断る理由も無いのでミミと一緒にお風呂へと入った。
『姉よ~、前々から思っていたんだけどなー? 昔よりちぃっとばかし心労が増えてないかー?』
お湯に浸かっているとき、ミミは何の前置きもなくそう言った。
そう言われて私は自分でも目を丸くして驚いていることが自覚できた。
兄さんならともかく、ミミにまで心の内を見抜かれている。
普段、周囲に一定以上の関心を持たないミミでさえ私が悩んでいることに気が付いた。
『……ありがとう、ミミ。ちょっと、疲れているだけよ』
『そーかー……姉よー、次期当主は重荷かもしれないけどなー? あたしは……お姉ちゃんがしたいようにすればいいと思う。無理は禁物だよ。お姉ちゃんは自己犠牲をするタイプで見ていてひやひやするから、気を付けて』
私はミミの真剣な表情をこの時に初めて見た。
家族を心配して出来た表情だ。
愚かにも初めて、私は妹に愛されていることを知った。
兄さんは言うまでもなく私を愛している。
両親からもしっかり愛情を受けて育っている。
妹のミミはこの時になるまであまり愛情表現をしたことが無かった。
いつものほほんとして、戦場に立っても緊張感が無いと心配性の兄さんにせめて戦場では手練れでもたった一瞬で命を持っていかれるのだから、緊張感を持つようにと言われていた。
そんなミミが偶然を装って風呂に入って来るのではなく、真剣に私を心配してわざわざ風呂に誘って私の精神を案じてくれていた。
『……そんな風に思ってくれていたの?』
『なはー、恥ずかしいー』
『……ありがと。今後も、お姉ちゃんって呼んでくれていいのよ?』
『えー、恥ずかしいからヤダー。もう言ってあげなーい』
『いいじゃない、別に』
ニパッと笑うミミに心を救われたと同時に家族に愛されているという事実は私に更なる枷を強いる。
それから、日があまり離れない頃。
私は初めて真魔を手に掛けた。
ホルト家が参戦する戦いは多く、その中には今までに人間を多く殺して生き延びて来た真魔が複数体存在している戦いもある。
ある日、遠征で参戦したその戦いで人間側は劣勢を強いられた。
相手の真魔の多くはそこまで強くなかったが、ある一人がその周辺の者たちにとっては強力で中々攻め切れていなかった。
『ニンゲン、お前はどう鳴く?』
私は当然、その強力な一人の相手をした。
しかし、私の攻撃が致命傷に至らない限り全て再生されていき、戦況は硬直した。
殺せない私は抑え込めても戦況を動かせる戦力にはならず、戦闘に不向きな兄さんと経験の欠けたミミでは周囲の真魔の相手をするので精一杯だった。
『……ニンゲン、お前、手加減してるだろ』
『!!』
『フハハハ!! 面白いなぁ……そういう傲慢なニンゲンほど、いい声で鳴く』
その真魔は人間を殺すことに快楽を覚えた者で醜悪な魔物と変わらない、仕方のないと思える相手だった。
それでも私はその真魔を殺せずにいた。
心の奥底で、真魔を人として見ている私の心は悪人でも裁判を経て適切な罰を与えられるのにここで殺していいのかと訴えていた。
でも、私は次の言葉と彼の持つ力を見てその考えを無意識の内に蹴り飛ばしていた。
『どれ、血縁者でも目の前で殺せば――』
指先から圧縮された魔力が噴出しかけていた。
その指先はミミに向いていた。
その魔力が放出されればミミは死にはしないけど、確実に重傷を負う。
前の私だったら痛い目を見て戦場で緊張感を持つきっかけにすればいいと思ってその一撃を少し逸らす程度で終わらせていたかもしれない。
でも、私の脳裏によぎったのはミミが真剣に私を心配してくれたときの顔。
確かに愛情のこもったその顔を思い出して、私は痛い思いをしてほしくないと咄嗟に思った。
何故血縁者を特定できたのかと疑問を感じる前に私は動いていた。
ここで私は初めて真魔を殺した。
自分のしたことに脳の理解が追いつかない中、そこから戦況は一変し人間側の勝利となって終わったらしい。
私の精神と引き換えに。
というのも、あの魔物と大差ないと私でも思えてしまうような真魔を殺した直後に気を失ったらしい。
そのころのことはハッキリ覚えていなかったけれど随分とひどい精神状況だったのだという。
幸か不幸か、私はトラウマのせいで真魔を殺したときのことをよく覚えていない。
ただがむしゃらに真魔の攻撃を防ごうと動いたという事実だけ覚えている。
そんな状態の私では街に帰還することも出来ず、近くの街に兄さんとミミと共に滞在し、数日療養していたそうだ。
私の記憶がハッキリとあるのは兄さんがある本を持ってきてくれた時のことだ。
朧げに複数のありとあらゆる種類の本をその数日で目にした記憶があるけれど、その記憶がもっとも鮮明に残っている。
『新しい本だよ、ルル』
『姉よー、早く元気出せよー……悲しくなっちゃうだろー…………』
『……この本は、ある偉大な魔術師が書いた本だそうだ。この周辺地域では知る人ぞ知る有名人……まあ、世界的にはそこまで有名じゃないんだけど…………ルルが何に悩んでいるか、僕たちには詮索できない。でもこれはルルの希望を実現する一助になってくれるはずだよ』
『……兄よー、希望を持てたらトラウマは克服できるのー?』
『……分からない、けど……少なくとも、ルルがルル自身を許してあげるか、その贖罪の方法を見つけないと元のルルには戻ってくれない。この本は、そのどちらかの条件を満たしてくれるはずだよ』
『…………そうかー、難しいなー、世の中。常識ってコワいなー………………』
きっと、二人は私がどれだけ本気で真魔を人間として認識しているのか分かっていたのだと思う。
記憶に残るこの会話は私の前で直接、真魔という単語を使っていないものの私が常識とは違って真魔を殺したことによる心的外傷を受けていることを示唆している。
当時の私は朧げな目で渡された本を淡々と読んだ。
内容は特殊魔術について論じたもので、一見すると私の精神状態を改善することが出来るような内容では到底なかった。
書いてあるのは特殊魔術とは何か、だとか特殊魔術の性質だとか、一般的に注目を集めない変わったものだった。
特殊魔術は人によって違う。
性質もまた人によって違うのに全てに通じる性質なんてあるはずがない。
ただ与えられた仕事をこなす意識無き人形のように本を読んでいた私はその本の最後の一文で意識を覚醒させた。
『……結論、特殊魔術は総じて強い個人の意志の顕現であると言える。特殊魔術が基本的に世界でただ一人のみが扱えるのはこのためだ…………』
『ルル?』
すっかり辺りが暗くなった時だった。
私は本の最後のページに纏められた特殊魔術の性質についての結論を無意識の内に読み上げていた。
暗くなっても傍で私の看病をしてくれていた兄さんが私に声をかけても私はただその本の末文を読み上げる。
『……ゆえに、特殊魔術は一度発現した後でも、その形を使用者の願望に応じて変化させることができる。願えば、誰でも世界の常識を根本から変え、世界を改変することが出来るのだ。まだ見ぬ少年少女諸君よ、夢を抱け、本気で自分の世界を望め――君自身が望む世界を創れるのは君自身だ。未来の若者へ向けて。ソール・ザット』
衝撃だった。
世界の常識に従わなければいけない、世界の常識は絶対なのだと考えていた私には思いつきもしない突飛な考え。
世界の常識が気に食わないのなら、世界の方を変えてしまえばいいと言う馬鹿げた考えだ。
なんて自己中心的で、傲慢な考えだろう。
それでも私は心を動かされた。
人生で最も感動したのは今のところこの瞬間だ。
常識は変えられないと自分に蓋をした私自身を、『そこで諦めるのか?』と頬を叩いて目覚めさせてくれた。
『……変わった考えだよね。この世界が嫌なのなら、世界の方を変えてしまえばいいって。でも、僕はこの本を目に通したとき、確かに信念を感じた。この本は著者に時間が残されていない時に書かれたものだそうだ。今後の未来を変えてやるって、爪痕残してやるぞっていう…………信念を感じた』
『……兄さん、私』
本当は私がはっきりと意識を取り戻したことに声をあげて喜びたかったはずなのに兄さんは私の手を取って優しく包んで言った。
『君自身が悩んでいること、今、この瞬間に精神を傷つけている葛藤は絶対に必要な物だよ。君自身が自分を罰そうとすることも、時には必要だろう。でもね、人はいつでも信念を持って行動して、その葛藤を解消して行かなきゃならない』
『……』
『……ルル、君はどうしたい?』
ゆっくりと兄さんは私の目を見た。
とっくに私が何を考えているのか気が付いているはずなのにあくまでも私自身の口から言うように促した。
『……私は…………真魔と人の諍いを無くしたい。真魔を人間と同じように扱いたい……昔に言っていたみたいに、私は本気で…………真魔と共存したい』
熱に浮かされたように私は目に涙を貯めながら言った。
あの真魔は確かに残忍で、司法に則ったとしても死罪になっていたかもしれない。
それでも最初から人間が真魔たちの存在を完全に否定したり、殺して回ったりしていなかったら違ったかもしれない。
逆に本能でただ人を殺して回っていただけかもしれない。
恨みも憎しみも悪感情も何もなく、ただそうであるのが当然のように人を殺していた厄災だったかもしれない。
どちらにせよ、私は殺した
『だから、私は……真魔をただの魔物と断じて殺すこの世界を変えたい。少なくとも、本当に彼らが全てただの魔物で共存不可だと断言できるほどに彼らを知りたい…………彼の未来を奪ったのだから、せめて、彼の仲間の未来を模索したい』
私が話している間、兄さんは黙って聞いていてくれた。
訳も分からず溢れてくる涙をハンカチで拭ってくれて、兄さんは強く私の手を握りしめた。
『ようやく、本心を言ってくれたね。よく言ってくれた。そして、おかえり』
兄さんは私のことを抱きしめてくれた。
私が陥っていたのは強い自己嫌悪と罪悪感による精神不調だったのだろう。
私が正気を取り戻して強く自分の意志を持ち、今までに隠してきた本心を打ち明けたことに本当に嬉しそうにする兄さんを見て許された気がした。
抱擁を通じて兄さんからの強い愛情を傍で感じた。
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