第8話 約束された危機
ソウマが光の矢で吹き飛ばされた直後のこと。
ルルはソウマの生死を確認するまでもなく、自分自身の身の安全を気にせざるを得なくなった。
今までにないほどの魔力の波動を感じた。
「思ったより簡単に釣れた……。ニンゲンなのに、馬鹿?」
その言葉と共に姿を見せたのは一見すると可憐な少女だ。
長く、艶のある茶色の髪を風になびかせ、お姫様のような真っ白なワンピースを身に着けているように見える。
しかし、何度も真魔と対面してきたルルはその姿があくまでも擬態の姿であることを知っていた。
どれだけ人間に見えても真魔は真魔。
身体から漏れ出ている魔力の異質さといびつさ、そして、魔力を覗く者の精神を削り取るような圧力と粘りが彼女は人間でないことを教えてくれる。
「貴女が、私達の街をゴブリンに襲撃させた真魔? 釣られたのは、果たしてどちらかしらね?」
真魔特有の本能的な恐怖心を植え付ける魔力にいとも簡単に抵抗し、ルルは不敵な笑みを浮かべながらレイピアを構える。
「…………それはすぐにわかる」
構えられたレイピアを警戒したのか、少女の姿をした真魔は少女とは思えない脚力でルルに迫った。
少女の姿をした真魔はお姫様のような姿から一変して細かった腕をブクブクと肥大化させて鋭い爪を生やし、ルルに殴りかかる。
日焼けを全く知らない白っぽい色から
「レイピアは刺突。間に合わない」
「それはどうかしら?」
殴られる直前に視線を真魔と交わしたルルは一秒にも満たない速度でレイピアの構えを解いてレイピアを片手剣のように持ち替えて腕に斬りかかる。
「【
ルルが
「っ!?」
「遅い」
人間よりも遥かに優れた動体視力で片手剣に切り替わった瞬間を目撃した真魔は咄嗟に腕を引こうとする。
だが、それよりも速くルルの剣が真魔の腕を傷つけた。
ブシュッと臙脂色の腕から黒い血が出るが、腕を引いていたこともあって大した傷にはなっていない。
それでも真魔は追撃を警戒してルルと距離を取る。
「知らなかったの? 私はルル・ホルト。代々人類を魔物の魔の手から守ってきたホルト家の長女。いくつもの武器を扱う、武器戦闘のスペシャリストよ」
嘲笑するように真魔を見てルルは片手剣の剣先を真魔に向けながらルルは余裕があるかのように振る舞った。
しかし、ルルは内心焦っていた。
(この子、今までに対峙してきたどの真魔よりも速い……魔法で動体視力をあげていても全く見えなかった……腕だって切り落とすくらいのつもりだったのに……)
戦闘の経験は今までに戦ってきたどの真魔にも劣るものだったが、あの大きな腕を携えながらあの速度。
そして、膨大な魔力量。
それらは戦闘経験の無さを十分に補う物だった。
「……知らない、ニンゲンのこと、なんて。みんな、死ねばいい。ニンゲンは、冷たい。ニンゲンは、脆い。ニンゲンは――」
本気を出して相手しなければいけないかもしれないと思っていた矢先、真魔が呟いている言葉がそろそろ迎撃をしようとしていたルルの動きを止めた。
「――残酷」
目の前の真魔に対する無表情だと言うルルの印象はここで一変した。
真魔は憎悪を宿した瞳でルルを見ており、その鋭さはルルの本能に警鐘を響かせるほどのものであった。
言葉の節々には人間に対する言葉では言い表すことのできないほどの負の感情が現れていた。
その鋭い感情の発露にルルの取り繕っていた心は鋭利な傷を受けてしまう。
「……に、人間は全員がそうってわけじゃ――」
「ニンゲンの言葉、信じられない。信じたくても、裏切る。ニンゲンはワタシたちを化け物という。そして、殺そうとする。一度も人を殺したことなくても、殺そうとしてくる。仲間も平気で殺す……」
動揺が現れたルルの言葉を一蹴し、真魔はその隙を見逃さずに攻撃を仕掛ける。
ルルが警戒していた突出した速度。
その速度は攻撃力へと転じてルルを襲った。
(ッ!!
真魔の一撃をもろに食らったルルは飛ばされながらも完璧な受け身を取ってダメージを最小限に抑える。
口が切れて出て来た血を拭ってルルは自分の心の弱さを反省して己の立場を心に強く思い返してルルは反撃を繰り出す。
「そんな風に言っても、人類の守り人たるホルト家の私には何の影響も与えられないわよ!?」
(うそだ)
心で否定する自分を抑え込んでルルは虚勢を張って腰に装備している短剣を取り出し、片手剣と共にダガーの構えをして真魔に迫っていく。
「どうでもいい。そんなこと狙っていない」
真魔は『人類の守り人』という言葉に心底嫌そうに眉をひそめてカウンターを狙いにかかった。
だが、無意味だった。
「【
ルルの手持ちの武器が変更され、よりスピード重視の戦闘スタイルに切り替える。
「ごめんね」
小さく呟いてルルは攻撃を避けようとしている真魔の身体にダガーを走らせた。
せめてどこで手に入れたか分からないワンピースだけは傷つけないようにして本気でダガーを振るう。
「ッ!!」
「……すぐ、終わるから」
連撃に次ぐ連撃。
回避する暇すら与えずに人類の守り人と呼ばれる所以を遺憾なく発揮するルルに真魔は臙脂色の腕を盾のようにして主要部を防ぐことしか出来ない。
たとえ回避が成功したとしても回避先に攻撃が飛んでくる。
今回が初めての人との殺し合いであるこの真魔にとってその攻撃はまさに悪夢だった。
ルルが呟く声は小さいので無言で自分を蹂躙する人間が怖くなった。
「ッ!! ああああ!!」
「…………ごめんね、ごめん……」
狩人と獲物のように一方的なルルの攻撃は本気でやっているつもりなのに致命傷には至っていない。
目の前の真魔は特別に再生力が高いのか。
それとも自分が心を自制できていないからか。
悲痛な悲鳴にルルは心を痛めながらもダガーを振るう。
(……? 斬撃が止まった? ……なら、今は一度、撤退を――)
急に止まった攻撃を真魔は怪訝に思ったが、それでも戦闘経験の少ない真魔は持ち味のスピードで逃げようとする。
だが、ルルは真魔への攻撃をただ止めたわけでは無い。
その必要が無かったのだ。
「【
これで攻防は終わりと言わんばかりに呟かれた
「ぁ……」
その効果は一目瞭然だった。
ルルが真魔に着けた傷から再び斬撃が生じ、真魔はさらに黒い血を噴き出して倒れこんだ。
どくどくと血が流れ出るが、古い傷から順に再生しており致命傷にはこれも至っていない。
しかし、これだけ弱っていればとどめを刺すのは容易だ。
「【
ルルは武器を大剣に変えて逃げようとしていた真魔の元へと歩いてゆく。
「……いや……」
ルルと対面した当初の強気はどこへ行ったのか。
真魔は思う様に動かない身体を何とか動かしながら震えた声でルルを拒絶する。
ただの子供のようにしか見えないその真魔を仰向けにしたルルは心を鬼にして大剣を振るう。
目の前に来た死の象徴にすっかり怯え切ってしまった真魔はぎゅっと目を閉じて終わりを待つしかなかった。
ザンッと耳元で音がした。
「……?」
しかし、真魔は痛みを感じるどころかかすりもしていない。
真魔は不思議に思って目を開けた。
真魔はそこで見た光景を見て衝撃を受けた。
自分の身体を裂き、生命の終わりをもたらすはずだった大剣は自分の顔の真横の地面に突き刺さっている。
真魔の頬はポタポタと落ちてくる雫によって濡らされていた。
その雫の出所は、先ほどまで自分を殺そうとしているとしか思えなかった死の象徴の薄水色の眼。
真魔は涙を耐えるように歯を食いしばっているルルと攻撃を仕掛けてきていた人物が同一人物だとは思えなかった。
「…………だめ。私には…………やっぱり、出来ない………………無理よ、こんなの。だって、だって……こんなに、震えて……ただの、ただの人間の子供と、変わらないじゃない…………」
ポロポロと涙を流しながらルルは大剣の柄を手で持ったまま、震えてルルを見る真魔に顔だけを近づけて大剣に顔を隠して言った。
「……貴女、見たところ人と戦ったことが無いわよね。人を殺したことも無いはずよね?」
誰かがルルの援護に来たとしても真魔から情報を引き出そうとしていたと言い訳できるように表情は隠す。
ルルにすっかり怯えてしまっている真魔はこくりと頷いて言った。
「……な、無い…………大人に、人を殺して来いって……言われて…………そうすれば、褒められる…………仇も討てる……」
震える声で臙脂色の腕を元に戻した真魔は生き残ることだけを考えて真実だけを喋った。
誕生してから十数年しかその真魔は経っていないので精神年齢は人間のそれと変わらない。
嘘をつけば見抜かれると根拠のない考えの元、ルルの表情を伺いながらそう言った。
「…………私が追いかけるフリをするから、逃げなさい。逃げて、そんな大人の言うことなんか聞かないで、人を殺さないで――」
生きていきなさい、と言う前にルルの言葉は強制的に中断させられた。
大剣で顔を隠すようにしていたため、直前まで気が付かなかったそれはソウマを飛ばした光の矢だ。
既に回避できない所にまで迫っていたため、ルルは内臓だけはやられないように身体をずらす。
「ぐふっ……」
大剣を手放して動いたが、その傷は浅くなく、脇腹を抉られた。
鈍い痛みがルルを襲うが冷静にルルは即座に結界を張って次弾を防いだ。
傷口を抑えて周囲を警戒する。
「……姉さんから、離れろ」
その言葉と共に現れたのは足元で倒れている少女の真魔によく似た顔立ちの少年だ。
少女とは対照的に黒を基調とした衣服を身に着けており、相も変わらずただの人間にしか見えない。
しかし、怒気と殺気と共に放たれる荒々しい魔力がいびつで真魔だとすぐにわかる。
「……………………やら、かした……」
油断していた。
大勢のゴブリンを率いて攻撃を仕掛けてきていたため、真魔は操り手が一体だけだとルルは思っていたがそうではなかったらしい。
(そもそも、この子はあの光の矢みたいなのを使って無かったわね…………予測できたはずなのに…………)
後悔してもどうにもならないが、目の前の相手は話を聞いてくれそうな様子もない。
この子みたいに一度捻り潰して動けない状態にすることも、この傷では難しいとルルは判断した。
どちらにせよ、今の自分には傷をつけることすら叶わないだろう。
(結局、皆の言う通りだったわね……私は、弱い)
周りに援護も居ない。
この真魔はこの少女と同じように自分を殺そうとするはずだが、手負いの自分では激しい動きも出来ないので殺されるだろうと思った。
戦場ではちょっとしたミスで人生が終わる。
頭で理解していても実際にそうなることはないだろうと思っていただけに自分自身が滑稽だった。
(……私の考えは真魔にも人間にも受け入れて貰えない、独りよがりな物だったのね……)
脅威ある真魔にさえ情けをかけようとしてこの状況になっているのだから、それが事実であると認めざるを得なかった。
比較的太い血管を傷つけられたのか、手で抑えても黒い血痕の上に赤い血痕が地面に出来ていく。
物語の強制力か、『ヒロイン』は一人、『主人公』が駆けつけない中で予定通りに『ピンチ』に陥ってしまった。
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