第5話 現実を見るのは辛いことで


 ソウマは男に戻った!!


(いや、元々男だっつーの。あんな服着てたら何かに目覚めてしまいそうかとも思ったが杞憂だったな……)


 ルルに手を引かれて異世界の街に初めて入り、街の中でも一際大きな屋敷の前で待たされたのち、屋敷の中から出て来たルルから渡された生活用品一式を手にソウマは宿の一室に居た。

 ルルの心配は杞憂に終わらず、設定を組んでもいないご両親と初めて対面してしまったので女装するという案はただのコスプレで終わらず目的を果たしてくれた。


「それはそれとして、その後も街を歩いて紹介してもらっているときもあの恰好ってのはキツかったな……まあ、俺の服は別れ際に【変更チェンジ】で元に戻してもらえたけど……」


 ルルはソウマが創った設定どおりお人好しで故郷愛があることもあり、快く案内を買って出てくれた。

 そのおかげで通貨や文字、歴史や文化水準と言った世界の設定ではなく考えていなかった生活などの面も知ることが出来た。


「……いや、さ。いくら考えていなかったからって文字も日本語、通貨も硬貨しかないけど日本円ってどゆこと? いや、わかりやすくていいだけれども。それなのに文化水準はよくある異世界モノと一緒って……わんちゃん普通のシャワー室があると期待しちゃったじゃん……」


 直前に浴びたシャワー室は魔力を通して水を出すタイプの物であった。

 勿論、魔力などそれっぽいものを【合成容姿ルックス・チェンジ】を使った時に感じただけであって一糸まとわぬ姿になってから温水を出すまでめちゃくちゃ苦労した。


「へっくしゅ!! あー……ドライヤーも魔動式だったし……それ以外は現実でもあるようなのだったけど……慣れなきゃなんだろうなー……」


 まだ若干濡れている髪を触りながら、ソウマは天井を見上げた。

 木造だということがよく分かる、木目が完全に露出した天井で現代に生きるソウマは中々見ないタイプの天井だ。


「……明日、朝早くに来いって言われているし早めに寝るか」


 ソウマは言いようのない悲しさを胸の奥底で感じて部屋の灯りを消してベッドに身を投げる。

 枕元にある照明も消そうと手を伸ばしてふと気が付いた。


「……これも、魔動式か…………俺、ほんとに異世界に、来ちゃったんだな……」


 ポロリ、と涙が不意にこぼれた。


「…………ハハ、俺、意外と寂しがりやなんだな……ああ、クソッ……俺、このまま帰れねぇのかな…………」


 頭に浮かぶ、家族や友の顔。

 最後になるかもしれないだなんて思っていなかったから、彼らに対して特別なことをしてやれなかった。

 あのやり取りが本当に最後だったかもしれないと思うと、こぼれだした涙は止まるどころか勢いを増す。

 とりあえず宿と資金、この世界の情報を得て生きていく希望が

 ひとまず安心してしまった。


 この世界で今後も生きていくことは、恐らくできるだろう。


 彼の予測通りならば、この世界の作者は蒼真であり、ソウマはある程度の自由が利く存在だ。

 その一方で、作者であるがゆえに自分で作った設定に抗えないであろうとも思っていた。


「……主人公の設定はほとんど空欄……あるのは完璧な想像力を必要とする【想像そうぞう】だけ…………特別成長が速いわけでもない。生得魔術などの特殊魔術は試行錯誤を繰り返して成長させていく必要がある……」


 涙を拭いて日中は逃げていた現実を直視する。

 いつまでも逃げているわけにはいかない。

 隠せず、逃げきれず、ルルの前でこんな泣き姿を見せてしまうくらいならここで泣けるだけ泣いてしまえ。


「………俺の予測が正しければ、設定に無い【想像そうぞう】を補助できる力があるはずだ。あの、文章は………………俺が、考えた【想像そうぞう】とは……………………違う………………………………」


 どれだけ拭いても溢れて出てくる涙。

 現実を見れば見るほど、途中であきらめたくなるほどの時間が必要になるはずだ。

 それに、たとえ【想像イマジネーション】を成長させたとしても世界間を行き来できるほどの超常現象を引き起こすことなど想定していなかったので出来ないかもしれない。

 そんな不安と絶望とが押し寄せ、それに対抗するちょっとした希望がソウマの心を覆った。


「…………」


 泣いていたことと心身ともに疲労がたまっていただけあって、ソウマの意識はいとも簡単に落ちた。


**


 翌朝、不本意にも快適な睡眠をとることが出来たソウマは身支度をして宿の外に出ていた。

 ルルとの約束では昨日、ソウマのことを女にした(決して他意はない)ところで落ち合うことになっている。

 朝早くから起きて仕事をしている衛兵に会釈をしてソウマは難なく街の外に出ることが出来た。


「……真魔って、ほんとにいんのか? 人のような魔物って言っても、真魔は魔物がベースで簡単に見分けられるから別にそこまで警備体制を強く敷く必要がないんだろうが……」


 設定どおりなら、という注釈をつけて今日は一人で寂しく心の中でツッコミやボケを入れてまだ残っている悲しい気持ちを誤魔化しながら目的地に向かった。


 東西南北ある門の東側から出て北東にある小さな森の中。

 ほとんど同じ大きさの木が立ち並ぶ中ひときわ大きな木がある。

 魔物が出ると噂されていたがとある一人の少女によって外来の魔物が討伐されて以来、彼女だけの秘密基地と化しているらしいその森の大木の下。


 そこにルルはいた。


「おーい、約束通り来た――」

「……そうよ、ルル。私は、ホルト家の一員なのだから。兄さんやミミよりも、才能が、あるはずなのだから…………私が、頑張らないと……」

「…………」


 自分に気が付いていないルルの言葉を聞いてソウマは脚を止めて咄嗟に木陰に身を隠す。

 この森の中心にある大木の傍には平たく大きな石があり、そこの上で膝を抱えて自分を励ますように言い聞かせるようにルルは呟いていた。


『名家の生まれで強気だけど、実は誰よりも心が弱くて、それを必死に隠している……一人でいるときに弱音を吐いて、自分を叱責している』


 ソウマが思い出すのはルルの性格の設定。

 強気に人前では振る舞うけど、誰よりも傷つきやすい少女の心。


 怖くなるくらいにソウマの設定どおりの彼女は、ソウマが創った設定のとおりに心を痛めているのだ。昨晩の自分と同じように。


「私が、やらなきゃ、いけないかったの。私が、殺さなくちゃいけなかったの…………そうよ、あの真魔たちは――」

「ナニしてんの? 闇落ちごっこ?」


 自分で考えた設定とはいえ自らの思いに蓋をして、結果、自分の心を犠牲にしてしまおうとしているルルの姿に見かねたソウマは姿を見せてルルが精神を追い詰めようとするのを止めさせる。


「っ!? あ、貴方いつから居たのッ!?」


 居ないと思っていたから呟いていたルルは時間を確認してまだ早いことを認識するとあわあわと聞かれてしまったことに対して脳が停止しかけていた。

 停止した脳で情報漏洩を止めないといけないという意志が先行して無意識に手もとの武器に手が伸びる。


「おい、お前。聞かれて恥ずかしくて誰に聞かれたくない弱みだったからって手を出そうとするな。そのレイピアに伸ばす手を止めろ」

「あう、あうあうあ……」

「幼児退化しろって誰が言った!? 戻ってこい」

「…………聞かれた……もう、お嫁にいけない……」

「それ、裸とか見られたときに言うセリフだよな? ちょっと場違い感あるぞ。そもそも、お前は名家の戦うお嬢様タイプなんだからお嫁に行くんじゃなくて婿を貰う立場だろうが」

「貴方……ッ!!」

「まあまあ、落ち着け。お前の要求通りに心当たりについて話に来たんじゃないか。いいのか? ん? 情報源が消えるぞ?」

「…………」


 言われた内容に納得がいったのか、ルルはレイピアを元の位置に戻して元々座っていた石の上に座り直した。

 その手はプルプルと震えていたのでたぶん落ち着いてはいるが怒ってはいる。


「落ち着いたみたいでよろしい。まあ、なんだ。事故みたいなもんだ。俺は何も聞いていないし、何も見ていない。好感度を碌に稼いでいない俺が相談してみろって言ってもどうしようもないことぐらい知っている。だから、俺は何も聞かなかったことにする」

「…………いいの?」

「誰しも、秘密にしたいことの一つや二つあるもんだろ。それを知られたくないってのは当然だし、自分の意思以外で明らかにされるべきものでもない。いいもなにも、『己の欲せざるを人に施す勿れ』だ。人にしてほしくないことはしちゃならんのだよ」


「わかるかね?」と殺伐としていた雰囲気を和ませようとエア髭を撫でる動作をしながらさながら学者のように言うソウマ。

 ルルにその内容が伝わったかは定かでは無いが、ソウマが自分の意思を尊重してくれていることはなんとなくわかった。

 だから、ルルもこれ以上この件に関して言わないことにした。

 無性に信頼できる気がするのは、ルルがお人好し頭お花畑だからというだけでは説明がつかないものであったがそのことに気を留めることも無くルルは口を開く。


「わかったわ。私も……あなたを信じて気にしないことにする。それで、昨日の話だけれど……」

「うんうん、切り替えが早くて助かる」


 内心ホッとしながらソウマはルルが腰かける石の傍に腰を下ろしてここに来た本来の目的を果たすべく語り始める。


「それのことなんだが、俺も本当に予測しか――」


 始めた直後のこと。

 タイミングを全て見計らっていたかのように突然、街の方から高い音が鳴り始めた。

 野球場で鳴る音に近いその音は頭に直接響くような不快感を与えるもので慣れていないソウマは頭痛を感じた。


「どうして……? 昨日の時点では何も異常が無かったはず……」


 一方、ルルはその音が何を意味するのかを理解しているようで、右耳に手を当てながら街の方角を向く。

 少し強めの頭痛を感じているソウマを一度ちらりと見ると


「急用が出来た、貴方は今すぐに街へ戻って宿の部屋に入って出てこないで! 今日の話はまた今度でいいから!」


 と言って森を出るべく木々の間へと走っていく。


「ッてーな! これは何なんだ!? あ、おい! 待て!」


 頭に鈍い痛みが走る中、ソウマはルルのことを止めようとするもその声は焦っているルルには届かない。

 ルルの姿はすぐに見えなくなり、森の中心にはソウマだけが取り残された。

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