第2話 異世界転移は初めてでして……


 時は現在に戻る。


「……? どこに森に行く場面があった?」


 ソウマは自分の記憶の端の一日を全て思い出して首を傾げた。

 記憶の終わりであるベッドに入った瞬間から、眠りに落ちる感覚さえはっきり覚えている。記憶が途切れた様子もない。


「でも、目覚めたら、ここにいた。そして――」


 ソウマは目を閉じて耳を澄ました。

 風が吹いてきて木々が揺れ動き、ガサガサという音がソウマの耳に届く一方で、明らかに木々が風に揺られて生じた物とは思えない音が聞こえる。

 具体的に言うと、不定期に弾くような金属音が聞こえてくる。


「……どゆこと? どう考えても森の中から聞こえてくる音じゃないんですが。森の中で金属音って……山姥でも包丁を研いでんのか? いや、それにしては音が不規則だな」


 もう一度耳を澄ますとジャコジャコという規則的な音ではなく、キンッと高い音が稀に響いてくる。

 遠くもなく、近くもない場所から響いてくるため、行こうと思えば行ける場所から響いてくるらしい。


「……行ってみるか? 今の俺は、所謂遭難ってことなんだろうし……たぶん、この音は人が出してるもんだよな? そうじゃなかったら森の知識もない俺は死亡エンド確定だし、行ってみるっきゃないよな……」


 ソウマは凝り固まっている身体をほぐしながら立ち上がり、小さな虫が飛んでいる食べかけの何かから目を逸らして音のする方向に向かっていく。

 ソウマは異常事態こそ冷静にすべきだと自分に言い聞かせながら、万が一、目当てとする音が人為的なものでは無かった時に戻ってこられるようにするためにソウマは足元の石を拾って木に傷をつけていく。


「遭難した時はその場を動かない方がいいって聞くからな。戻れるようにはしておかなきゃ……ってか、マジでどこだよここ。位置情報とかわかりゃいいのに……」


 と、そこまで呟いてソウマは思い出した。

 今まで何故気が付かなかったのかと自分でもツッコミを入れたくなる手段であるのだがソウマはここでようやくその存在を思い出す。


「いや? 位置情報わかるんじゃね? 現代文明様様のスマートフォンなる物があるじゃん! なんですぐに思いつかなかったのかね?」


 ソウマは孤独を紛らわすために「ハッハッハッ、俺ってば、アホだなー」と呟きながら森の中で脚を止めてズボンのポケットに手を突っ込む。


「……」


 たらり、と汗が垂れる。別に暑かったわけではない。ただ、嫌な予感がしただけだ。

 藁をもつかむ気持ちでポケットの中の手を暴れさせる。


「うん……ない、スマホ……いや、まだだ! 諦めるにはまだ早い!」


 着用している服のありとあらゆるポケットに手を突っ込んで探すも、やはりない。


「……いや、こういう時って大抵圏外だし、意味なかったって。うん、意味なかったよ、見つかっても。きっと…………はあ……」


 一度期待してしまったためにいかに自己暗示しようともその絶望は大きかった。

 隠しきれない失望をため息で吐き出してソウマは当初の予定通り、音が聞こえてくる方角へと向かっていく。


「……ん? いや、工事音とかなのかと思ってたけど、なんか違わないか? 何と言うか――」


 少しずつ聞こえてくる音が大きくなってきたところでソウマは異変に気が付いた。

 金属音は思った以上に連続して響いている。

 そう、まるでテレビやスマホからよく聞いたような――


「――戦闘音?」


 アニメで聞いた、戦闘音に酷似している。

 ソウマは呟いたとたんに「いやいやいや」と手と首を一緒に左右に動かして自分の考えを否定する。


「そんなわけあるかッ。アニメ、漫画、その他諸々の見すぎだ馬鹿野郎……そんなわけないだろ……何かの聞きま――」


 そこまで言いかけたところでソウマの言葉は言葉ではないただの音によって論破される。


『ガアアアァァァァ!!』

「…………言葉以外で論破されたのは初めてだ。絶対に戦闘音じゃんこれ!! 現実に居て良い生き物の鳴き声を超越しちゃってるだろ。魔物と戦ってる系じゃん! ってことは何!? 今更だけど――」


 自分でもその考えを否定したいし、もし誰かに言われたら鼻で笑って精神科に行くことを勧める自信があるだけにその考えに行きつかなかった。

 しかし、ソウマも様々なアニメ、漫画、ラノベを嗜む、サブカルチャーの国日本出身の男。

 こうなったからには言っておかなきゃいけないセリフがある。

 某有名なラノベを原作とするアニメを見たときに妙に印象に残っていたセリフ。


「これって、もしかして……異世界転移ってヤツ!?」


 大声で叫び、決まったと思ったと同時に羞恥心が遅れてやってきたためソウマはその場で膝を抱える。


「……十七にもなって一体何をやっているんだ、俺は。いや、誰にも聞かれていない可能性も……って、ちょっと待て。なんだ、この振動は?」


 地震大国でもある日本に住んでいたソウマでも分かるほどの振動がその森を襲っていた。

 いや、森というよりソウマが居る周辺を襲っていた。

 その振動はソウマが魔物と考えた存在が移動しているために生じたものだと理解するのに、対して時間はかからなかった。

 理由は簡単。

 その振動を生み出した存在がソウマの目の前に来ていたからだ。


「…………は、ハロー。魔物って初めて実物見ますけど、カッコイイすね…………アハハ。いやぁ、僕も異世界は初めてでして…………大声だしてすんませんでしたぁ……」


 先ほどの馬鹿げた叫び声に反応したと思われる筋骨隆々で緑色の肌を持つソレはどこからどう見てもゴブリンだった。

 手には人の大きさ程あろうかという大きな石製の斧が装備されており、所々欠けている。

 ある種イメージ通りのゴブリンを前にソウマは逃げようと後ろに少しずつ下がる。


「いや、ほんと、いいと思いますよ? いい筋肉してますね! 憧れますッ、それじゃ、俺はこれで!!」


 お世辞を言いつつソウマは勢いをつけて後ろを向き、足場の悪い中で出せる最速の速さで森の中を駆けだす。


『ガアアアァァァァ!!』


 しかし、筋骨隆々のゴブリンは暴走気味に魔物らしい雄叫びをあげて追いかけて来た。

 細い道を選んでみてもお構いなしに木をなぎ倒しながら迫って来る。


「ですよねー!? ゴブリンに話なんて通じるかっての!! って言うか、ゴブリンなんて低級モンスターに追いかけられてピンチとか初心者冒険者のテンプレかよ! いや、こんだけごついのがEランクなわけないけどさぁ!? 異世界に来て初っ端退場とか出オチ要員か、俺は!!」


 悲鳴の代わりに現実逃避のための言葉を吐きながらソウマは逃げる、逃げる、逃げる、石を後方に蹴ってみる、逃げる――とりあえず、逃げて逃げて逃げる。

 振動を近くに感じるがすぐに追いつかれると思っていただけに実は意外と距離を取れていたり……と思って期待しつつ後ろをちらりと見てみる。


「いやぁ!? 全然近いし!? つーか、マジで異世界なのかよ!? 異世界転移って特典あるはずだろ!! 反例があるなんて聞いてねーぞ!」


 もっと速く走らないといけないと思って更に強く脚に力を込める。

 すると、ソウマはグンと今まで手を抜いていたかのように加速し、ゴブリンとの距離が開く。

しかし、ソウマはそのことに気が付かず、森の中をグルグル回っていることにも気が付かず、走っていく。


「平和な日本が早速恋しいよッ!! ていうか、俺フツーに考えて帰れないよな? 帰れないなら日本での生活が良かった……ああ、父さん、母さん、朱里……そして、ついでに友たちよ……俺はすでにお前らに会いたい……」


 友人たちの「ついでかよッ」というツッコミを脳内補完しながらソウマはふと疑問に思った。

 自分は何故、まだ死んでいないのだろうかと。

 現代日本のように整った道を走っているわけでもないのに中々ゴブリンに追いつかれることは無いし、先ほどから異様なまでに周囲の光景が速く過ぎ去っていく。

 神経を集中させてもゴブリンが移動するときの振動を感じない。

 まけたのかと期待を込めて再び後ろを向く。


「……あれ? ゴブリンは何処へ?」


 死への強い拒絶と突然、異世界に来たと思わざるを得ない出来事に巻き込まれ、親しい者たちに二度と会えないことに対する悲しみから既に冷静さを欠いているソウマ。

 振動を感じなかったとは言え、脚を止めてしまったのが間違いだった。


「しっかりと上を見なさいッ!!」

「なっ!?」


 右から聞こえて来た突然の命令にソウマは思わず咄嗟に上を向く。

 ソウマの上、そこには巨体からは想像できない動きで跳躍し、ソウマの頭に向かって落下してくる筋骨隆々のゴブリンが居た。

 持っている武器が石斧ではなく石槍なので別個体だろうが、そんなことはソウマにとってどうでも良かった。

 回避は間に合わない、少しずれても潰される未来は確定で訪れる。


 確実な死。


「……ああ、これで終わりか。ゴブリンに潰されて終わり……カッコ悪。何かの間違いで、消えてくれないかな……上のゴブリン」


 死に瀕して周りの動きがゆっくりと見える中、ソウマはそう呟いた。

 少しずつ迫って来る緑色の塊。

 自分に避けろと命令する、知らない人の声。

 迫って来る緑色のゴブリンはソウマを確実に潰す。

 もはや、頼むことしか出来ないソウマ。

 ただ、目の前の命を奪う物が消えてくれと強く願うほかなかった。


『それで正解じゃ』


 ソウマの耳元に誰かのノイズの混ざった声が響く。


「は?」


 耳元に突然響いた声にソウマは驚いて周囲を見渡す。

 しかし、当然彼の耳元で囁く者など誰もおらず、風に吹かれて落下している木の葉が見えるだけ……。


「……ん?」


 そこで、ソウマは再び疑問を抱く。


「いやいや、走馬灯を見てて周囲の景色がゆっくりに見えるのならわかるけど、見てないのに周囲がゆっくりで、俺だけ普通の速度ってどゆことよ? つか、この場を動けんし」


 ソウマが周囲を見渡すと、ゆっくりに見えていただけのように思われた周囲の物体が、実際にゆっくり動いていることに気が付いた。

 ソウマ自身の動きは周りと比べて通常時と変わらず、周囲だけがゆっくりと動いている。

 それなのに、その場を離れることが出来ない。


「まさか、これが異世界転移モノ特有のギフトってこと!? 『時間をゆっくりにできるがその場を動くことが出来ない能力』とか、どういうことだよ!? おい、神だか、超常現象だか知らんが俺をこの世界に連れて来た奴、もっとちゃんと仕事しろよッ!?」


 嘆くソウマは一瞬、希望を抱いただけにより一層自分の死を直視しなければいけなくなった。

 死に瀕したピンチ。

 確かにこの状況、異世界転移してきた人間が与えられた特殊能力を初めて発動するには悪くないシチュエーションだ。


 だからって、死ぬ前にちょっと人生を振り返る時間を長く出来るだけの力なぞ、無い方がマシと言う物だろう。

 ソウマはそう思いながら自分に残された時間があとどのくらいかを確かめるために再び迫りくるゴブリンを仰ぐ。


「……………………カーソルと、文字?」


 ソウマが視線を向けた緑色の脚を伸ばしてソウマを踏みつぶそうとするゴブリンのすぐそばに、それはあった。

 見覚えのある、白くとがったパソコンでよく見るタイプのカーソルと、【】で囲まれた文字――というより文章が空中に浮かんで見えた。


(なんだ、アレ。――ッ!? 身体が、勝手に!?)


 不思議に思っていると、ソウマの手が勝手に動いた。

 カーソルがソウマの手の動きに連動するように動き、文章にその照準を合わせた。


「……分かる」


 ソウマは自分の意図とは異なることを呟きながらその手を、文章を下から上へとなぞるように動かす。

 それと同時に、彼の言葉は勝手に言葉を紡いだ。


「【削除デリート】……」


 何かに支配されているかのように行動した彼の目はどこか虚ろであったが、起きた出来事を観測するには支障なかった。



【ソウマの上、そこには巨体からは想像できない動きで跳躍し、ソウマの頭に向かって落下してくる筋骨隆々のゴブリンが居た】

                  ⇩

                  ⇩

                  ⇩

【                                   】



 筋骨隆々なゴブリンの身体に画面の表示バグが発生したかのようにザザッとノイズが走り、焦点が定まらないように像がブレる。

 ジジッと音が鳴るのと全く同時に、ソウマの上に居た筋骨隆々のゴブリンはまるでかのように存在が消え去る。

 と、同時に周囲の鈍化が直り、世界は正確に時を刻み始める。


「んんッ!?」


 身体が自由になったと思ったら自分の命を刈り取るはずだったゴブリンが消え去ったのでソウマは混乱の渦に巻き込まれる。


「そこの君! 一体何をしたの!?」

「何って……こっちが説明を求めてるんですけど……」


 何が起こったのか分からなくて、ナチュラルに日本語で聞かれたことに対してツッコミを入れる余裕すらない。

 逆に説明を求めるように自分の命を救おうとしてくれた人物にはてなマークを頭に浮かべながら視線を向ける。


「……ッ!?」


 声をかけて来た人物を見てソウマは、筋骨隆々のゴブリンが消えた以上の衝撃に襲われた。


 その人物は腰にレイピアと短剣を身に着けている少女だ。長くはなく、かと言って短いわけでもない髪をボブにしている。

 顔は驚くほど綺麗に整っており、子供にも大人にも見える子供と大人の間のような顔で言うまでもなく絶世の美女だ。

 身に着けている服装は動きやすそうな軽装であるが、過度な露出は無く、腰につけている短剣にはいい家の出身なのか家紋が刻まれていた。


 その家紋は見たことが無いものだったが、不思議とわかった。


「ああ、ごめんなさい。自己紹介が先ね。私は――」

「ルル・ホルト……?」

「あら? 知っていたの? 凶悪なゴブリンが住む森に居る迷子さんにも知られているだなんて、私も名が売れたものね……」


 名が売れたと言いながらもあまり嬉しそうにしていないルルはため息をつきながら肩をすくめている。

 しかし、ソウマはそんな彼女の行動に注目を置けるほど頭の整理が出来ていなかった。


 ルル・ホルト。


 それは確かに彼が創った物語設定のヒロインの仮名だ。

 名が同じというだけではなく、彼女の特徴は彼が考えていた設定をなぞらえており、何よりイメージした通りの姿で目の前にいる。

 およそ、異世界転移以上に訳が分からないことを前にしてソウマの脳は情報が完結することなく何もできなくなる。

 そんな状態を意思の力で抜け出してソウマは確認するように彼女に向かって述べる。


「年齢は十八。魔物の脅威から人々を守る名家の生まれ。普段はレイピアと短剣を使用するが、色々な武器を扱える。武器だけでなく、魔法も多少の心得があり、魔力量も歴代の中で上位に入る……ルル・ホルト?」

「え、ええ。かなり細かく知っているのね……ちょっと、怖くなるくらいに……」


 淡々と確認のためだけに述べるソウマの目に、ストーカーとは別種の危険を感じたのか、ルルはソウマから目を逸らしてしまう。

 一方、ソウマは空を仰いでいた。


(ここまで来たら、もう今、俺の頭の中にある、異世界転移より馬鹿げたこの状況を示す仮説を認めざるを得ないな……)


 既にゴブリンに殺されかけた身。もはや、異世界に来たことは確実だし、それを拒否することも無いがそれを遥かに超越する受け入れがたい事実をソウマは悟った。




 拝啓、ラノベ作家たち。俺は今、自分の世界に来ています。



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